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#オリキャラ
須古星 れい
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この先、知っておかないといけないこと、学校では教えてくれないことを書きます。私は舞田 はるか、20歳です。3歳の女の子の母です。
え?20歳で3歳の子供がいるの?と思いましたよね?そうです。3歳です。3歳の女の子です。
私は高校1年生の春休みに妊娠しました。
生理が来なくなった時、怖かった。すごく。まだこの歳なのにって。
『ねぇ、、春希』
帰り道、何も知らない幸せそうな顔をしていて、なんとも言えない罪悪感が押し寄せてきた。
『ごめん、、相談したいことがある。』
そう呼び止めた。心配そうな顔をしていて、本当に申し訳なかった。
「どうした、、?」
『実は、、子供が出来たかもしれなくて、、』
「え、、これ、、?」
『うん、、ごめん、、!本当にごめん、!』
「いや、、俺の方こそ本当にごめん、!」
そう謝られて、抱きしめられた。
正直想定外だった。捨てられる覚悟で言いに行ったから。
どうしたらいいか分からなくて涙が出てきた。
「病院は?行ったの?」
『まだ、、』
「なんで行かないの、?」
『怖いから、、』
「だとしても、、、」
「ううん、、ごめん、気づいてあげられなくて。」
「怖かったよね。」
その後、春希が病院の予約を取ってくれて、次の日に産婦人科へ行くことになった。
『斗、準備できた?』
「うん、、ちょっと待って、、」
『ゆっくりで大丈夫だよ。』
「ごめんね、、ありがとう。もう行けるよ。」
『了解。あ、ここ段差あるから気をつけてね。』
「ありがとう、、」
待合室で、
「はぁ、、なんか緊張する、」
そう言葉をこぼすと春希は、何も言わず私の手を握ってくれた。
独りじゃないよ。僕がいるよ。そう言ってくれているようだった。
名前が呼ばれて、診察室に入る。産婦人科はあまり馴染みがなく、行ったこともないため何も分からない。
普通の病院と同じように居ればいいよね、、、?
「今日は、どうされましたか?」
「えっと、えと、、」
「学生?」
「はい、、、」
「後ろにいるのは彼氏さん?」
「はい、、」
「優しい彼氏さんね。でもとてもデリケートな話だから、1度診察室を出て待合室にいてくれる?」
『え、あ、はい。わかりました。』
「ありがとう。」
春希は退出させられ、私と先生だけになった。
「正直にお願いね。今日はどうしたの?」
「生理が来なくて、、検査薬、、試してみたら陽性で、、」
「そうなのね、、来てくれてありがとう。」
「最後の生理はいつ?」
「えっと、、、わからなくて、」
「、、、じゃあ1度超音波を見てみよう。痛くないから大丈夫だよ。」
「一応超音波の時は彼氏さんにもいてもらおうか。その方が心強いでしょ?」
「はい、、、いいんですか、?」
「あなたがいいなら。」
待合室で待機していた春希を呼び、一緒にエコーを見ることになった。
「これくらいだと、、大体5ヶ月くらいかな。」
『え、、そんなに?』
「学生だからこそ知っておいて欲しいんだけど、週数ってどこから数えるか知ってる?」
「わ、、からないです、、」
「週数は、最後に来た生理からカウントするの。覚えておいてね。」
『「はい、、」』
「そして、2人で決めて欲しいことがある。」
「この子を産むか、お空に見送るか。」
この選択を突きつけられた時、心臓のあたりがギュッと、痛くなったような気がした。
だって、自分のことで精一杯な私が決められることじゃないと思っているから。
「この子を見送る場合、人工死産と言って、薬で陣痛を起こして、普通の出産みたいな方法が用いられる。」
「ただ、身体的に辛い思いをするのは斗さん、貴女だからね。あなたが主で決めなさい。」
「彼氏さんは、斗さんの選択を受け入れて、できる限りのサポートをしなさい。」
『はい、、』
心臓を鷲掴みにされているような痛みがあったが、責任は私たち2人にある。
と感じたから、家に帰って春希と長い時間相談した。
春希としては、やっぱり私に辛い思いをさせたくないそうだ。
春希はとってもいい子だから、やっぱりそういうと思った。
だけど見送る場合、精神的、身体的苦痛を味わうのは私。
だけど産んだからといって育てられる自信もない。
もうどうしていいか分からない。
もう私では考えきれないから本当は春希に委ねたい。
でも春希に委ねると、産むという選択をすると思う。
やっぱり私は育てられる自信がないし、見送ったあとの精神的苦痛に耐えられる自信もない。
こんなのもう耐えられない。と思うと涙が出てくる。血反吐が出そうになる。
その日は意見がまとまら無かったため、とりあえず春希と解散して家に帰った。
その日は珍しく、お風呂を沸かしてお湯に浸かった。
お湯に浸かっている間、ずっと頭の中が螺旋状にぐるぐる回っていた。
「産む」か「見送る」か。
また考え出す度、血を吐きそうな気持ちになる。やっぱり私としてはどっちも辛すぎるからだ。
「もう、、いっその事この子と死んじゃおうかな、なんてね。」
そう思うくらい追い詰められていた。
やっぱり辛すぎる。どちらにせよ。
ただ、この子を見送っても、この子が私の中で育っていたことに変わりは無い。現実が永遠に残り続ける。
そんなことになったら私も耐えかねて自殺に逃げるだろう。それくらいの精神強度な私が母親だと?自分でも笑ってしまう。
そんなのが親になれる訳ないだろうと。
「どうしていいかわかんないよ、、」
と弱音を吐いて泣く私が自分でも情けないように感じる。こんなのが母親で気の毒だ。
次の日また春希と待ち合わせして、この子のことについて話し合う。
だけど全く意見が絞れていない。
だって私も春希も考えきれないから。
こんな辛い決断私たちにできるわけが無い。
まだ私たちは16歳。つい1、2年前まで義務教育を受けていたような年齢だ。
そんなの決められるわけがない。
そうやってグダグダしてる間に時間が経って産むことしか出来なくなるんだろうな。と
考えると私たちが馬鹿みたいだ。実際こうなってしまうくらい馬鹿なんだから否めないが、、
「金銭面考えると、、見送ってしまう方がいいけど、、斗が辛いもんね、、」
私には育てられる自信もない。頼れる親もいない。
そんな中どうしろって言うんだ。
現在5ヶ月になるところ。時間が無いのにずっと進まない。
そんな中春希が“養子に出すのはどうか”と提案してきた。
それもいいが、1回この子を抱いたらもう離れられなくなる気がする。だからそれは無理だと思う。
「斗は、お母さんも、お父さんも居ないけど、、うちにはいるよ?」
その言葉を聞いた瞬間“あ、そうじゃん。だから育てられないことないじゃん。”と気づいた。
「うちのお母さんも、本当に申し訳ないことをしてしまったから、金銭的な援助はする、、って。」
『でもなんか、、申し訳ないよ、、』
「援助するって言うか、、させて欲しいって、、」
それを聞いたら尚悩む。
だが春希は産んで自分たちで育てたいみたいだ。
もうこれは消去法で産むしかないのでは、??泣
『じゃあ、、わかった。産むことにする。』
あぁ、、言ってしまった、、!!!
なんでそんなにさっきの私は軽々しく“産む”なんてことを言えたんだ?!?!!?!
自分でも不思議なくらい命の重さを分かっていないッッッッ!!!!!!!
あああああああ、、私が、、母親に?この子の母親に??!!お腹の子に申し訳ないよぉおぉぉ、、
こんな感情が私の頭をウロウロしてる中、春希の顔はパァッと明るくなり、目に涙を溜めて喜んでる、、
ん〜、、キツい。何したってキツい。今度は違う意味で血反吐が出そう。
青井春希、こいつは私の葛藤を何も分かっていない、、!!イライラするほど分かっていない!!!
いくら愛している人でもこれは蛙化現象不可避だ。もうこれからどうなっちゃうんだろ、、もう鬱になりそう、、
はぁ、、
なんてこと思いながら生活してたらもう少しお腹が目立ってくる週に入っていた。
春希と会うとなんだか楽しくて、まだ春希に恋をしていた段階のあの頃を思い出すようになっていた。
その時から私は日記を付け始めた。
3⁄29
今日は久しぶりに春希に会って話した。楽しかった。
3⁄30
今日は検診に行って「この子を産む」ってことを伝えた。
3⁄31
今日はこの子に対する愛情がだんだん濃くなっていることに気づいた
そんなこんなで4月7日、新学期に入った。
私たちは高2になり、先輩と呼ばれる立場になった。
「おはよ、!」
「おはよ、春希、!」
「あ、、クラス、また一緒だったね、!」
「そうだね、!!楽しみ!!」
そう心を躍らせていると、少しお腹の下の方で何かが動く感覚がした。
なんだろう
たい、、どう、?
胎動 の2文字が頭をよぎった。
これは今春希に言うべきか、??でもこの会話を聞かれたらあまり良くない、、
「春希、、」
「ん、?」
「ねぇ動いたかも、、」
と階段の踊り場で少し立ち止まって言うと
春希が涙目で
「え、??この子が、??動いたの、??」
と喜んでいた。
私はその時なんだか複雑な気持ちだった。
喜びたいけど素直に喜べない。
そんな気持ちだった。
でもすこし嬉しい気がして
「自分も母親になるんだな。」なんて気がした。
学校が終わって帰ろうと準備をしていると春希が
「斗、!!一緒に帰ろ、!!」
と誘ってきた。
「ん、いいよ!ちょっとまってて準備するから。」
「分かった。待ってるね。」
「おまたせ、!おわったよ!」
「あ、まって、!手帳忘れてるよ、!」
「ありがとう、、」
平和な会話だな。
と思いながら正門に向かうと、春希のお母さんらしき人がいた。
「お母さん、、?」
と言って春希はお母さんに用件を確認しに行った、
「斗!うちのお母さんが斗と話したいことがあるって!」
と大声で春希は伝えてきた。
なんだかその光景が面白くて笑いそうになる。
楽しいな。平和だな。このままこの時間が続けばいいのにな。
そう思った。
春希のお母さんからの話は、“出産費用”の話と“赤ちゃんの居場所”の話だった。
私は帰り道、ボソッと
「赤ちゃんの“居場所”、、」
と呟く。作ってあげられる自信がないのと、
この子がのびのび育つようにしてあげられるか、やりたいことをやらせてあげられるか。
そこばっかり考えてビクビクしてる。
4⁄7
春希のお母さんから、出産費用についてと赤ちゃんの居場所について話をされた。
私一人では赤ちゃんの居場所を作ってあげられる自信はない。
ただ、春希の両親からはこの子が成人するまでなんでもやりたいことやらせてあげられるように頑張るし
成人するまでの養育費は払うと。
そんなの申し訳なさすぎるし重すぎる、、
でもそうでもしていただかないとこの子を育てられない、、
4⁄8
今日は遅くまで起きちゃってた。
この子が生まれてからのことを考えていたら2時になっちゃって急いで寝た。
そのせいなのか、つわりなのか分からないけど少し体調が悪かった。
つわりだったらだいぶ遅くきてるな、、笑
そこから数ヶ月経ち、私は管理のため入院することになった。
そこで主治医の菅野佳織先生と仲良くなったり病院の看護師さんと仲良くなったりもした。
予定日が近づき、先生も「本当にもうそろそろかもね。」と言うくらいになった。
春希は毎日病院に来てくれて、毎日頑張ってね!と言ってくれた。
ある日起きると、下腹部に鈍い痛みを感じた。例えると少し重めの生理痛のような。
その日は予定日より3日ほど遅れていた。
あぁー、、今日明日か、、と思って先生に報告する。
「うん。今日明日で生まれるね、」
「やっぱりですか、、うわぁ怖い。」
少し痛みが強くなってきたような気がしたから調べてみたら
「若いとお産が急に進むこともある」と書かれていて戦慄、、
「それだけは勘弁です、、、」
と祈りながら少し強くなってきた陣痛に耐えていた。
また陣痛が強くなってきた気がしたから春希に電話をかけて
「春希、、多分来たわ。」
と言うと電話の向こう側で涙を堪えているような震えた声が聞こえた。
「ほんとうに、??泣」
「ほんと。今すごい痛い。」
「すぐ病院行くね、、泣」
すぐ病院に来てくれるとの事だが、、さすがに陣痛の間隔が10分は短すぎないか??
休憩時間が10分しか取れないとなると体力面がやばそうではある。
だから先生も「出産は体力戦」と言っていたのか。納得。
そうして陣痛に耐えていると、春希が涙目で個室のドアを開けてきた。
「斗、、来たの、?泣」
「きたよ、、」
「何より、、内診怖いなぁ、、」
私の弱音に、春希は自分のことのように顔を歪ませて、ベッドの脇で私の手をぎゅっと握りしめた。その手も少し震えている。
「大丈夫、大丈夫だからね。僕がずっとここにいるから」
「うん……ありがと……っ」
言葉を返した瞬間、また下腹部の奥から、さっきよりも重く、鈍い痛みの波がググッと押し寄せてきた。
思わず息が止まり、握られた春希の手を思い切り握り返してしまう。
「い、痛い……? 息吐いて、スー、ハー、だよ!」
事前に2人で本を読んで予習していたらしい春希が、焦りながらも一生懸命に声をかけてくれる。
「スー……フー……」
痛みの波が引いていくまでの数十秒が、まるで永遠のように長く感じられた。額にじんわりと汗がにじむ。
コンコン、と静かに個室のドアがノックされ、主治医の菅野先生が助産師さんと一緒にやってきた。
「お、春希くんもう着いたのね。偉い偉い」
先生はいつもの優しい調子で場を和ませようとしてくれるけれど、その手に嵌められた医療用手袋のキュッという音が、今の私には恐怖の合図にしか聞こえない。
「じゃあ、陣痛の間隔も短くなってきたし、子宮口がどれくらい開いているかちょっと診てみようか。力抜いて楽にしてね」
「せんせ、……やっぱり怖いです……」
「お産を前にしたらみんな怖いよ。でも、赤ちゃんも今、外に出ようと一生懸命頑張ってるからね。一緒に乗り越えよう」
先生の言葉に小さく頷き、私は掛け布団を握りしめた。春希が「僕、手握ってるから」と、私の視界を塞ぐように顔を近づけてくれる。
(ここから、本当の戦いが始まるんだ――)
窓の外はすっかり暗くなり始めていた。私の中の、あの静かだった時計の針が、今、ものすごい速さで動き出そうとしているのを感じていた。
「うん。子宮口も開いてきたみたいだし、分娩室に移ろうか。」
「え、、はい、、」
「分娩室まで近いし歩こう!」
先生のその軽いトーンの言葉に、私は心の底から「嘘でしょ……?」と絶望した。
お腹がこれだけ痛くて、立つのすらやっとの状態なのに、ここから自分の足で歩けと言うのか。出産って、
車椅子とかストレッチャーで厳かに運ばれるものじゃないの?
「ほら、歩いた方がお産も進みやすいからね。ゆっくりでいいから」
助産師さんに優しく肩を支えられ、ベッドからノソノソと足を下ろす。床に足がついた瞬間、
ずんと下腹部に赤ちゃんの重みがのしかかるような感覚がして、思わず声が漏れた。
「くっ……あ、痛い……っ」
「大丈夫? 無理しないで、僕に寄りかかって!」
春希がすかさず私の反対側の支えになってくれる。彼の肩にしがみつくようにして、一歩、また一歩と廊下へ踏み出した。
白いリノリウムの廊下が、いつもより果てしなく遠く見える。
数歩進むたびに、容赦なく陣痛の波が襲ってくる。その度に立ち止まり、
春希の服をクシャクシャに掴んで、ただ嵐が過ぎ去るのを耐えるしかなかった。
「スー、フー……っ、うぅ……長い……」
「がんばれ、あと少し、あの角を曲がったら分娩室だからね」
春希の必死な声が耳元で聞こえるけれど、痛みのせいで意識が朦朧として、視界がぐにゃりと歪む。
やっとの思いで辿り着いた分娩室の重い扉が開く。
中央に鎮座する独特な形の分娩台を見た瞬間、恐怖の限界を超えて、逆に「早くあの台の上に横になりたい」という一心で、
最後の力を振り絞ってステップを上った。
台に横たわり、足を固定された瞬間、パチン、と頭の中で何かが弾けるような音がした気がした。
もう、ここから先は引き返せない。産むまで、この激痛の嵐から逃げ出すことはできないんだ。
ガチガチと奥歯が震える私を安心させるように、春希が再び私の右手を強く握り直した。
彼の掌は汗でじっとりと濡れていたけれど、その熱さだけが、今の私を現実の世界に繋ぎ止めてくれている。
「斗、大丈夫。僕、ここにいるから。ずっと一緒だからね」
「はる、き……っ」
その声をかき消すように、今までとは比べ物にならない、地響きのような激痛のビッグウェーブが下腹部を襲った。
「うっ……! あ、あああああ……っ!」
耐えきれずに声が漏れる。お腹の底から、何か巨大な塊が無理やり押し出されようとする猛烈な圧迫感。
「斗さん、良い陣痛来てるよ! 次の波が来たら、おへそを見るようにして、グッと息を止めていきんでみようか」
菅野先生の声が遠くで響く。助産師さんが私の両手を分娩台のレバーに導いた。
「ここにグッと力を込めてね。大きな波が来たら、息を吸って、止めて――」
キタ。
体感でわかる。抗えない、破壊的なまでの痛みの波。
「吸って――止めて、いきんで!」
助産師さんの合図と同時に、私はレバーを壊さんばかりの力で引きつけ、喉の奥で息を止めて、すべての力を下腹部へと集中させた。
「んんんんんーーーーーーっ!!!」
頭の血管が切れそうなほどの圧迫感の中、春希が「斗! がんばれ……っ!」と泣きそうな声で叫んでいるのが聞こえた。
あの壮絶な痛みの果てに、産声が響いた瞬間は、間違いなく人生で一番幸せな瞬間のプロットだったはずだった。
春希と2人で涙を流して、この小さな命を全力で守っていこうと誓った、あの分娩室。
だけど、現実という日常は、私の時計をまた別の歪んだ速度で動かし始めた。
――3時間おきの授乳。
――理由も分からず泣き叫ぶ我が子。
――寝不足で頭が割れそうなのに、横になっても神経が昂って一秒も眠れない夜。
「斗、少し休んで。僕がミルクあげるから」
仕事で疲れているはずの春希が、必死にサポートしようとしてくれているのは分かっている。分かっているのに、彼の優しい声さえも、今の私には「お前は母親失格だ」と責められているように聞こえてしまう。
(なんで上手くいかないんだろう)
(なんで私、この子を可愛いって思えないんだろう)
ある日の夕方、薄暗いリビングの床に座り込んだまま、私は動けなくなっていた。
赤ちゃんは奥の部屋で火がついたように泣いている。でも、私の身体は鉛のように重く、
指一本動かすことができない。脳が完全に機能を停止したみたいに、ただ涙だけがポロポロと床にこぼれ落ちていく。
「……消えたい」
ポツリと呟いた自分の言葉が、妙にリアルに頭の中に響いた。
このまま私がベランダから一歩踏み出せば、この鳴り止まない泣き声からも、寝不足の地獄からも、全部解放されるんじゃないか。
そう思った瞬間、涙がピタッと止まり、頭の芯がすうっと冷たくなっていくのを感じた。
ガラガラ、と鍵が開く音がして、春希が帰ってきた。
「斗!? 電気もつけないでどうしたの……って、顔色めちゃくちゃ悪いよ! 大丈夫!?」
駆け寄ってきた春希が私の肩を掴む。その必死な顔を見つめながら、私は生気のない声で、ただ一言だけ呟いた。
「ねえ、春希……。私、この子と一緒に死んだ方がいいのかな」
私の目には、もう光が一切残っていなかった。
「なんでそんな事言うの」
そう言われた時私はもう
「わかんないよ」
しか出てこなかった。
そりゃ私だってなんでって聞かれても理由なんてただ
―もうこの子を育てるのがつらかったから―
ただそれだけ。
「ごめん、俺何も手伝えてなかった。」
全身の力が抜けたような感覚の後にどこか胸のあたりが暖かくなるような感覚がして、
胸のあたりが暖かくなるような感覚がした直後目から頬にかけて何かが垂れていくような感覚がした。
目から頬を伝って床に落ちていったのは、さっきまで私の頭の芯を冷たく支配していた、あの感情のない涙とは違う、ひどく熱い塊だった。
「ごめん……ごめん、斗。俺、何にもわかってなかった。
お前がどんなに怖かったか、どんなに一人で耐えてたか、俺、ただ見てるだけで、何も……っ」
春希の大きな手が、私の細くなった肩を壊れそうなほど強く抱きしめる。彼の身体が小刻みに震えているのが、
密着した胸の奥からダイレクトに伝わってきた。
その熱が、私の硬直した皮膚をじわじわと溶かしていく。
(ああ、春希も、ボロボロだったんだ)
私と同じように。いや、男の彼には「産む」ことも
「育てるために身体が変わる」ことも物理的には経験できないからこそ、彼は彼なりに、
自分の無力さと冷酷な現実に押しつぶされそうになっていたのかもしれない。
私の視界は、彼が流す涙と、私自身の目から溢れ出る熱い液体のせいで、ぐちゃぐちゃに歪んでいった。
「……はる、き……っ」
言葉にならなかった。
かすれた声を出した瞬間、胸の奥に澱のように溜まっていたドロドロとした感情が、一気に堰を切って溢れ出した。
可愛いと思えない。どうしてこの子を、命をかけて産んだはずの我が子を、愛おしいと抱きしめてあげられないんだろう。
毎日毎日、朝が来るのが怖くて、夜が来るのはもっと恐ろしい。
赤ちゃんの泣き声が耳に突き刺さるたび、自分の頭の骨が内側からミリミリと削られていくような感覚がする。
でも、そんなことを思う私は、母親失格なんじゃないか。
世界中の誰もが当たり前にやっている「育児」という営みを、どうして私はこんなにも呪わしく思ってしまうんだろう。
「つらかった……っ、つらかったよ、春希……! もう、どうしたらいいか、わかんないの……っ! 私の何がいけないの……!? 何が足りないの……っ!?」
顔なんて、もうどうでもよかった。
鼻水が垂れて、口元が引き攣って、涙で視界が遮られて、メイクなんて跡形もなく溶けてドロドロになっているだろう。でも、今の私には、そんな「見栄え」を気にする余裕なんて1ミリも残っていなかった。
ただ、春希の服の胸元を両手で力任せに掴み、子供のように声を上げて泣き叫んだ。
自分の醜い感情を全部ぶちまけるように、肺にある空気をすべて吐き出しながら、声を枯らして泣いた。
奥の部屋では、私たちの声に呼応するように、赤ちゃんの泣き声がさらに一段と高くなる。
火がついたような、狂おしい叫び声。
いつもなら、あの声を聴くだけで逃げ出したくなっていたはずなのに、今は春希に抱きしめられているその腕の温かさだけが、私をこの世界の地面に辛うじて繋ぎ止めていた。
春希は何も言わなかった。
「大丈夫だよ」なんて、安易な綺麗事は口にしなかった。
ただ、私のぐちゃぐちゃになった頭を何度も何度も撫でながら、自分の涙で私の髪を濡らしながら、私の叫びをすべてその身体で受け止めていた。
どれだけの時間、そうやって2人で床に蹲って泣いていたのだろう。
薄暗かったリビングの窓の外は、いつの間にか完全に夜の闇に包まれていた。
時計の針の音だけが、静まり返った部屋にチクタクと冷たく響いている。
先に息を整えたのは、春希だった。
彼は鼻をすすり、私の肩を優しく引き離すと、自分の袖で私の濡れた頬や口元を乱暴に、でもどこか恐る恐る拭った。
「……斗、一回、座ろう。床、冷たいから」
そう言って、彼は私の身体を支えながら、ソファへと移動させた。
自分の足に力が入らない。バレエを現役で踊っていた頃の、あの鋼のように強靭だった私の内転筋も、体幹も、今のこの泥のような身体の前には何の役にも立たなかった。
ソファにしがみつくようにして座ると、春希はすぐに台所へ向かい、温かい白湯をコップに入れて戻ってきた。
「はい。少し、飲みな」
差し出されたコップを両手で受け取る。それだけで、指先が小さく震えた。
温かい液体が喉を通り、胃の中に落ちていくと、凍りついていた体内の細胞が一つずつ、諦めたように息を吹き返すのがわかった。
「……赤ちゃん、泣き止んだね」
私がポツリと呟くと、春希は奥の部屋の様子を気にしながら、静かにうなずいた。
「うん。泣き疲れて、寝たみたいだ」
部屋の中には、奇妙な静寂が満ちていた。
それは決して心地よい平和な静けさではない。嵐が去った後の、すべてが荒れ果てた荒野に立つような、張り詰めた静けさだった。
私たちの前には、相変わらず何も解決していない「現実」が、その巨大な質量を保ったまま横たわっている。
明日も、明後日も、この寝不足の日々は続く。
私の身体はすぐには元に戻らないし、コンクールに出られなくなったあの日の絶望が、この涙だけで消えてなくなるわけじゃない。
私は、自分の両足に視線を落とした。
部屋の電気をつけないままの薄闇の中で、タイツ越しにもわかる、かつて10年間、毎日週4回以上スタジオに通って鍛え上げた私の足。
爪は割れ、親指の付け根の皮は何度も剥けて硬くなり、ポワントの中で血を流しながらも、ピルエットを3回転回れたあの日の喜び。
「私、上手でもないし下手でもない中間地点にいるから、もっと頑張らなきゃ」
そうやって、自分を追い込んで、バレエの神様にすべてを捧げるように踊っていたあの頃の私は、もうどこにもいない。
今の私の足は、冷え切り、ただ床の上に投げ出されているだけの、ただの肉の塊だった。
「斗」
春希が、私の手を握った。
彼の手のひらは、驚くほど熱かった。
「俺、明日から、仕事の時間を調整してもらう。上司にもちゃんと話す。お前を一人にしない。夜中のミルクも、俺が半分やる」
「でも、春希の仕事は……」
「仕事より、お前の方が大事だ」
春希の目は、真っ直ぐだった。
そこには、かつて一緒に「産む」と決めた時の、どこか現実味のなかった若者らしい無鉄砲な輝きはなかった。
もっと泥臭く、自分の限界を知った人間の、諦めと覚悟が混ざったような、大人の目がそこにあった。
「綺麗事は言えない。俺だって、明日から急に完璧な父親になれるわけじゃないし、お前がつらいのを全部肩代わりしてあげることもできない。……でも、一緒にボロボロになることならできる」
一緒に、ボロボロになる。
その言葉が、私の胸の、一番深いところにすとんと落ちた。
「救ってあげる」でもなく、「頑張ろう」でもない。
ただ、一緒にこの地獄のような現実の泥水をすすりながら、傷だらけになって歩こうという、その不器用なプロポーズのような覚悟。
「……うん」
私は、もう一度涙が溢れそうになるのを堪えながら、小さくうなずいた。
握られた春希の手を、私も同じだけの力で握り返す。
私たちは、まだ何も成し遂げていない。
この子が大きくなって、「産んでくれてありがとう」と言ってくれる日が来るかどうかもわからない。
私たちがこの先、お互いを嫌いにならずに、壊れずにいられる保証なんて、世界のどこを探したって見つからない。
それでも。
(時計は、止まったんじゃない)
私は心の中で、自分の内側に深く問いかける。
カチ、と微かな音が頭の中で響いた気がした。
止まったんじゃない。
ただ、これまでの「バレリーナとしての私の時間」が終わり、全く別の、
誰も名前をつけてくれない新しい「ノンジャンルな時間」の秒針が、新しく刻み始めただけなのだ。
「春希、電気、つけよう」
私は言った。
「暗いところにいると、また変なこと考えちゃうから」
「……ああっ、そうだね。すぐつける」
春希が立ち上がり、壁のスイッチを押す。
パチ、という音と共に、リビングに蛍光灯の白い光が容赦なく降り注いだ。
眩しさに目を細める。
光の下に晒された私たちの姿は、それはもう酷いものだった。
春希のシャツの胸元は私の涙と鼻水で濡れそぼり、シワだらけになっていた。
そして、鏡を見るまでもなかった。私の顔は、きっと目が腫れ上がり、皮膚は赤く 爛れ、美しい10代の少女のビジュアルなんて、見る影もなく崩壊しているに違いない。
でも、その酷い顔を見た春希は、ふっと小さく、本当に愛おしそうに笑ったのだ。
「斗、顔、ものすごいことになってるぞ」
「……うるさい。春希だって、目が真っ赤でウサギみたい」
私たちは、お互いのボロボロな姿を見合って、この数ヶ月間で行方不明になっていた、かすかな「笑い」をようやく取り戻した。
それは、かすかで、儚くて、今にも消えそうな笑いだったけれど。
「よし。じゃあ、まずは冷めちゃった白湯を新しくして、それから……少しだけ、何か食べよう。斗、お腹空いてない?」
「……少し、空いたかも」
「何がいい? 何でも作るよ。あ、お姉さん(香恋さん)がこの前持ってきてくれた、あの美味しいお菓子、まだ残ってたっけ」
「うん、台所の棚にあるよ」
春希が台所へと歩いていく背中を見つめながら、私はソファの上で、自分の両足をもう一度、今度は自分の意思でぎゅっと床に踏みしめてみた。
まだ、上手くは踊れない。
ポワントを履いて、3回転のピルエットを決めるような、あの鮮やかな世界には戻れないかもしれない。
でも、私のこの傷だらけの足は、まだ死んでいなかった。
この冷たいリビングの床の上で、泥臭く立ち上がり、生きていくための力は、まだ辛うじて残っている。
奥の部屋から、また小さく、赤ちゃんが寝返りを打つような衣擦れの音が聞こえた。
私は深呼吸をひとつして、崩れた顔のまま、前を向いた。
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読了しました。タイトル「私の中の時計が止まった日」、第1話。十代の妊娠・出産という重いテーマを、主人公・斗の内面の揺れとともに描き切った密度に圧倒されました。「産む」と決断した後の戸惑い、そして育児の中で「消えたい」とまで追い詰められる心理描写が、フィクションでありながらものすごくリアルで、胸が締め付けられました。春希の「一緒にボロボロになることならできる」という台詞には、本物の覚悟を感じます。連載、続きが気になります。