ある貧民街に、容姿の整った、曲がったことを嫌う真っ直ぐな少年がおりました。
髪は薄紫色に靡いて、汗は太陽光を反射しては、その美しい容姿を際立たせていました。
貧民街を歩く度に、年端も行かぬ少女の眼を釘付けにしました。
少年は、両親の鏡になる様、育てられました。何故かって?
両親が上層区の人間だったからです。父親の仕事の関係で、仕方なく貧民街に引っ越してきたのです。
そのため、少年は父親の克明、そして、母親の余すところの無い美貌を強要されました。
少年と両親は、昼食を摂るため、仕方がなく貧民街を歩き回りました。
「全く…何故この私が貧民如きと同じ生活を送らなければならないのだ……」
少年の父親は、思った事を口にしました。
「そう?私は案外楽しいわよ??」
「お前は呑気過ぎるのだ…そもそも私達が引っ越してきたのは仕事の為だ。遊びに来た訳では無いぞ。」
「分かってるわよ。」
少年の母親は少年の耳元に顔を寄せ、小声で呟きました。
「お父さんが仕事へ行ったら、貴方の言ってた好きな本、買ってあげるからね。」
「ありがとうございます。お母様。」
少年の母親は、ふふっと笑い、背筋を正しました。
少年は、母親の事が大好きでした。それはもう抱きつきたいくらい。しかし、その反対に、父親の事は心の中では拒絶していました。理由は、恐怖で支配する暴力、買いたいものも買わせてくれない厳しさ。息子を自分の動かしたいように動かす、自分勝手な心。どれも、少年の目には、思わしくなく見えました。
貧民街の安っぽい昼食を無言で味わい、店を出ようと店のドアを開けようとした瞬間。
ドアは勝手に開かれました。
刹那、少年の父親は、赤い赤い血飛沫とともに、その場に倒れました。少年の目には、こう見えました。”知らない人が自分の幸せを邪魔する人をナイフで刺し殺してくれた。”と。
母親は、安堵の顔を浮かべた少年の手を引きました。
「……貴方…!?」
少年の母親は、咄嗟に店の裏手に回ろう。そう考えていました。
しかし、その考えも虚しく、
母親は、父親同様、血飛沫とともにその場に力尽きました。
その血は、少年の髪、顔、皮膚、目、全てにかかりました。
少年はその場で泣きました。泣いて泣いて泣いて、自分自身も刺される事を予期していました。
しかし、両親を刺し殺したそのナイフは、頬を掠めただけで、いつまで経っても、刺される事はありませんでした。
両親を殺した2人の人間が、目の前に倒れ込みました。
「大丈夫??」
それは、優しく手を差し伸べました。まるで、いつも出かける時に手を繋ごうとしてくれていた母親のように。
「私はイザベル。君の名前は??」
1人の少女が、手を差し伸べました。すると少年は、泣きそうな声で。たった一言。
「……カイル」。
イザベルは安堵したように笑い、隣にいる大人にそっと呟きました。
「パパ。怪我してるから治してあげて。私は誰にもみられないようにさっさと帰るから」
「分かったよ。気をつけてな。」
「パパもね。」
カイルは、母親が刺された際、店の木の床で転んで擦りむき、
膝と腕を負傷していた。
その為、消毒、治療する必要があったのだ。
消毒を始めて数分後、血が止まったのを確認し、再び手を差し伸べた。
「さぁ。一緒に帰ろう。暖かいご飯と望むものを用意しよう。」
そして、カイルの首に、手を差し伸べたもののナイフが突き刺さった。
イザベルは、もう、死にたがっていた。ミラ、マティスを自分の手で殺し、ソニアを救う事は叶わず、カイルは自分を守るために死んだ。
この場で息をしているのは、自分だけだ。そう、悟った。
今この場で死んでしまえば、誰にも見つからず、誰にも知られず、朽ちていく。ただそれだけ。
死んでも、いなくなっても、誰も悲しまない。生きていては駄目だ。そんな思考が頭を巡らせる。
「……あ……。」
その時、イザベルの視界は、神父に突き刺さっていたナイフを捉えていた。
これで今死ねば終わる。そんなことが脳裏に過ぎる。
体が勝手に動く。死にたがっている心が、行動に起きる。
気がついたら、ナイフを首に突き立てていた。ガタガタと手が震え、なかなか力が入らない。
勇気。
力を入れ、自分の首に押し当てる。
少しずつ皮膚が切れていくのを感じる。と同時に、
微かな吐息音が聞こえた。
「……ひ……ゅぅ……」
まるで幻想でも見ていたかのように、夢を見ていたかのように意識が心から現実に戻される。
「!?ソニア!!!」
体は、ナイフを押し当てていたことも忘れるくらい、ソニアに夢中になっていた。
ナイフを首から離すと、皮膚が多少なり切れ、血を流す。
ナイフを捨てるように投げ、
ソニアへと駆け寄る。
「ソニア……!ソニア!!!」
ソニアは呼吸を繰り返している。生きているのだ。
神父に拷問され、心を殺されていても、心臓は動いていた。
イザベルは慌ててソニアの拘束具を解いた。
裸で体液を流し放心したソニアを、優しく起こし、抱きしめる。
「ごめんね……ごめんね……ごめんね……、、」
涙を流そうが、許しを乞おうが、
ソニアは返事をしない。
それでも、イザベルは泣いていた。ソニアは生きている。
それだけでも、イザベルに僅かな希望を抱かせた。
「(……早く町の病院に行けば間に合うかもしれない。)」
イザベルはソニアと肩を組み、拘束台からソニアの体を下ろした。幸い、ソニアは体を動かせていた。心は壊れていても、意思はあるようで、歩く事は支えていればふらつきながらだが出来るようだった。
イザベルは自分の服を1枚脱ぎ、ソニアに着させた。
「……行こう。」
イザベルは1歩踏み出した。
1歩1歩。小説や物語を辿るように。そう。福音書を、辿るように。
福陰 第1節 ~完~
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