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白壁にかかる時計を見ると、時刻はすでに12時を回っていた。
窓から見える大垣オーナーの部屋の明かりはまだ灯っている。
「時夫ってこのまま帰ってこないこと多いの?」
ツトムはグラスから浮きあがるワインの丘に口づけをしてすすった。
「たぶん彼女さんの家にでも行ってんじゃない? この時間にいないなら朝帰りだね」
「そっか……。
ところでみなさんは全員、美濃輪雄二さんに声をかけられてここに入居したんですよね?」
「ああ、みんな美濃輪に連行された口さ。ヤツのビッタがあったからこそ、大垣オーナーはこの場所に、こんな立派なシェアハウスを建ててくださった」
島田タクミが言った。
「まさにやな」
ホベルト・ソウスケが腕を組んでうなずいた。
「いわば美濃輪雄二が今日のシェアハの礎を築いた母体っちゅうこっちゃ。表情がなくていけ好かんヤツではあるけど、感謝すべき人物でもある。ヤツは神戸にまで足を伸ばして、俺を誘ってくれたんやから」
ツトムはホベルト・ソウスケの言葉に心が安らぐようだった。
ホベルト・ソウスケが美濃輪雄二に対して少なからず感謝の気持ちをもつのは、すなわちここでの生活が充実したものであるのを示しているからだ。
「べつに感謝すべき相手ではないけどな。美濃輪雄二は職業としてそれ相応の報酬を得てんだから。
俺たちが感謝すべきは大垣オーナーただひとり! オーナーは神様だ」
「あのな、30回くらいこれで揉めてるけど、美濃輪雄二が俺たちに声かけんかったらどうなってたと思う? 下積みの貧乏ホストやったおまえが路頭に迷わんかったんは、美濃輪雄二のビッタに見出されたからこそやろ。
おまえそのまま生きてたらずるずる30歳になって、貯金もないままホスト界引退してたんとちゃうか」
「だからといって美濃輪雄二が俺らを見つけたんじゃねーよ。大垣オーナーがシェアハウスを作り、美濃輪雄二に指示をだしてくださったからこそ、あいつが俺らを見つけられたんだろ。おまえはどうも根本を履きちがえている」
「おまえの言うとおり、根本はそれで正しい。せやけどな、世界に70億以上もの人間がいるなかで、美濃輪がどうやって俺らを探しだせたと思ってんねや。
あいつはなんも言わんけど、人が集まる場所に何日も何十日も張り込んだ過酷な過程があったからこそ、俺たちは拾われてこんな高待遇を受けてるんとちゃんうんか」
「いまおまえ高待遇って言ったよな? ならわかってんじゃねーか。この待遇を取り決めたのは誰だよ? 美濃輪雄二がいくら俺らを見つけたとしても、連れてこられた場所が橋の下の青いテントだったら、なんも意味ねーだろ」
「この世にはまだ美濃輪様の御眼鏡にかなってないビッタが山ほどおるはずや。見つけてもらったありがたみくらいは感じなあかんのとちゃうんか?」
ホベルト・ソウスケの言うように、美濃輪雄二ひとりが探しだせる能力者の数などたかが知れているだろう。
美濃輪の業務。
それはは、能力者に遭遇するまでただひたすら張り込むという、想像より過酷なものであることをツトムははじめて知った。
「あのふたりはほっといて、ツトムくん、飲もっ」
百瀬が他のシェアメイトを乾杯へと誘った。
乾杯をした神谷ひさしはグラスを空け、小さなゲップをしたあとフライドポテトに手をつけた。
五十嵐真由は頬杖をついたまま、母のような目で神谷ひさしを見守っている。
「あかねが自分のビッタに気づいたきっかけって?」
「ああ、わたしね。小さいころすごいワガママな子だったの。体調が悪いといつもママを叩きながら、お願いだから痛いの変わってよって哀願してたんだ。でもそうやってママにお願いしてるといつのまにか体調がよくなるから、最初ママってとくべつな人だと思ってた。自分がビッタだなんてわかるはずもないしね」
「でも体調が入れ替わるのって、ビッタが発動して3日後だよね? ママを叩いたからってすぐ治るわけでもないし、どうやってそれがあかねのビッタとつながっていくんだ」
能力の数だけ、それにまつわる物語は存在する。
それがツトムには大変興味深かった。
「ほんというとね、体調なんてたいして悪くなかったかもしれない。たぶんかまってほしかっただけ。いまになってそう思う」
百瀬はそう言ってゆっくりとワインを飲んだ。
ツトムは静かに話のつづきを待ったが、百瀬はすべてを話し終えたように、エビのチリソースに手をつけて満足そうに食べている。
「あれ、終わり? どうやってビッタに気づいたか、けっきょく教えてくれないの?」
「えっ、あれ? 質問なんだったっけ?」
百瀬は明るい笑顔を浮かべた。
「あかねが自分のビッタを知ったきっかけだよ」
「ああ、そっちね。そんなのかんたんだよ。生理がはじまって辛いときに友だち叩いてたら、だんだんとパターンがわかってきたんだよ。
おなじこと繰り返してると、ふと気づくことってあるでしょ。それだけだよ」
「もうちょっと詳しく聞かせてもらいたいんだけどな」
「わたし、長い話できないんだよ。途中でわけわかんなくなるの」
百瀬はエビのチリソースを頬に残したまま、冷めたホイコーローを口に入れた。
島田タクミとホベルト・ソウスケは互いににらみ合いながら、さらなる議論を白熱させている。
美濃輪雄二の擁護に回るホベルトは、美濃輪がどれほどすぐれた探偵の素質をもつのかを熱弁し、その探偵素質こそがじつはビッタではないかとの推論を展開している。
「それならツトムくんに決めてもらおうぜ」
「ええぞ、結果に異論はなしやからな」
互いに一歩も引かない島田とホベルトが同時にツトムをにらみつけた。
「美濃輪雄二に感謝すべきか否か、ツトムくんの率直な意見を聞かせてくれ。さあ、いますぐ」
「テキトーに答えればいいよ」
百瀬がとなりでつぶやいた。
中華オードブルの消化に精を注ぐ神谷ひさしと、それを眺めていた五十嵐真由もツトムに注目している。
ツトムはとつぜん追い込まれ、小さなため息をついた。
「いずれにしても大垣オーナーと美濃輪雄二さんに感謝するふたりは、とても良い人たちだと思います。今日入居するまでずっと不安だったんですが、おふたりの議論を見て、なんだか楽しく過ごせそうで安堵しています」
「けっ、優等生め。逃げやがって」
「いまのはせこいぞ、ツトムくん」
舌戦が延期になったふたりは、不平の声をあげた。