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侑哉篇
侑哉は高い偏差値と相反して馬鹿っぽく振る舞う頗る容量の良い性格だ。
教授にも学生たちにも誰からも好かれていて出席日数が半分不足しても単位を堕とされることはない。
彼の経歴は超難関の進学校だけに「それ程の能力があるなら大目にみる」が理由。
教授たちは彼にだけは寛容で彼もまた目上に甘えるのが巧い。
その類稀な容貌と人懐こい性格をフルに活用して快く教授の鞄持ちもする。
頼まれた論文の校正も一晩で完璧に仕上げ教授を驚かせていたが、それは僕が独り徹夜で頑張ったものだ。
侑哉にバイトだと依頼され引き受けた。賃金を得られると期待したのに彼がくれたのは「お礼」と称し講堂にある自販機の安い珈琲と女子から貰ったか可愛らしい容器に入った焼菓子だけだった。実質50仙の出費しかない。
「え、これだけか」僕が文句を垂れると
「たかが校正だけで金貰えると思ってんの?」平気で返すから
「たかが校正なら自分でやれよ。僕は二度としない」と告げた処で気が晴れた訳ではなかった。
珈琲が星羽だったら少しは許せたのに。
侑哉は裕福な家庭で育ってる割には金銭的な事に関しては異常なまでにシビアだ。
もし逆の立場で彼が僕に頼まれて校正をしていたら彼は絶対に高額な報酬を請求しただろう。校正がどんなに大変で優秀な知能を要するか理由を幾つも挙げて倍の値段は吹っ掛けてくるに違いなかった。
小学生の頃から僕はこいつに散々なけなしの小遣いを騙し取られていたから大方予想がつく。
下校時雨が止んで学校に置いた傘を僕の家に届けてやったから配達料50仙で、カンニングさせてやったからと壱弗で、だが何れも彼が一方的に僕に仕掛けた罠だった。他にも細かい事事を述べたら切りがない。
でもそれでも当時は侑哉に倦厭の情を抱くことはなかった。金持ちと言うのはケチで侑哉は親からお小遣いも貰えないのだと僕が勝手に想像し彼に同情していたからだ。
だがそれは僕の思い込みで実際のところ侑哉は虐めっ子に何万弗も貢がされて常に金欠だったのだ。
金持ちの家の子にもそれなりの苦悩というのがあるらしい。貧しい家庭の僕には誰も金品をせびる事は出来ないのである。だって無いものは無いのだから。
ぐずぐず後ろから追跡して来る侑哉が少し苛立って声を張り上げた。
「なあ隼斗、鍵どこ落としたんだよ?今週末に発表しなきゃならないのに。間に合わなくなる」何故僕に訊くのだ。他にレジュメ作らせといて図々しい。先刻作り笑いするんじゃなかった。
日の入りで消えかかった太陽の光が最後に何かを知らせるように濡れた路面を照らしている。きらきらの中に一際強い光が一つ僕の瞳に掛かった。
「あ、あった」心の奥では鍵が見つからない事を願っていたのに案外直ぐに見つかって僕は少しがっかりした。
「さっさとレジュメ写して終わろうぜ」先刻とは打って変わって侑哉の長い脚は速度を上げ僕の棲家に向かい路地をぐんぐん先に歩き出した。
僕は時折小走りで彼にやっと追いつく。脚の長さも歩幅まで僕には足りないものだらけで
嫉妬に駆られ
「くそっ、おまえなんか・・・」僕は侑哉の背中に向かって聴こえないよう吐き出した。
「あて」侑哉の背中に衝突事故
「急に立ち止まるなよ」また聴こえていたのかと一瞬怯んだが
「ほら」
侑哉が指した先を視ると、もう橙色に染まりかけた空に数えて百は有りそうな蜻蛉が透明な羽を輝かせて其処彼処飛んで僕たちを取り囲んでいた。
「大きいの来るな」大きな台風が来る前は蜻蛉の群を偶に見る。
「うん、虫の報せだな」
「だあるな」翻訳すると(そうです)と云う意味になる。
島では若者の常套句で、移住者がこの方言を使いこなせると島人に打ち解け易くなる重要な助動詞だ。しかし目上の者には使えない、
「だあるか」(そうか)僕はあいづちを返した。
「だあるば」(そうかな)侑哉もあいづちを入れた。
「だあるさ」(そうだよ)これで漸くこの会話は完結する。
外国人には難解な暗号化された意思の疎通が成されたのである。
「山原みたいだな、那覇でも蜻蛉の群れあるんだな」
「だあるなあ」これを二度も繰り返すのはマナー違反、侑哉は話を変えた。
「なあ、ところでゼミの漆沢教授って?」
「首にゼロあるし関西人だろ。おまえ兵庫に行ってたのに気づかないのか」
「いや、判るけど、漆沢教授の訛りてなんか可笑しくないか」
「確かに、彼いつも関西弁の敬語だからね。明日ゼミで各自発表あるよ」
「え、俺聞いてない」
「知るかっ、おまえは何時もサボってばかりだったろっ。だから今日僕の処に来てレジュメを写そうとしてるんじゃないのか」僕は声を荒らげた。
「あ、そうか」最早この天然に塗る薬はない、手遅れだ。
それからあっという間に日暮れて辺りは薄暗くなった。
僕の住処は更に真っ暗な曲った通りを行った先にある。
表通の灯が到達することも阻む路地裏は迷路のように入り組んでいる。
役所が予算を削減したのかこの辺りの街灯は何ヶ月も消えたままだ。表通には様々な最新設備の街灯や贅沢な琉球石灰岩の敷石が敷きつめられて夜も観光客で華やいでいると云うのに、裏通は相反して陰湿で惨めな雰囲気を漂わせ此所を通り慣れた住民をも殊更不愉快にする。
繁栄とは無縁の島民の現実だ。
(自主検閲省略)
嘗て日本だった所為か未だに島民はくそ真面目にもきちんと納税する。
肝心の狠民の富裕層は脱税に知恵を振り絞って国民の義務から逃れてばかりだと云うのに。貧しき者とは馬鹿なのか・・・じっと手をみる。なんだかお先真っ暗、この通路と同じく僕たちは手探りで先へ進むしかない。
「隼斗、独り言」
「僕なんか喋ってた?」自分でも気づかないが声に出ていたのかと自分に驚く。
「狠国企業がどうとか」
「ああ、最近狠国企業が建てたタワマン多いだろ。あっと言う間に増えたし、でーじ上等」話を逸らすが、
「うん、でも狼国のタワマンには住むなよ」侑哉から意外な返答だった。
「どうして」
「狠国人がマンションの内装とか請け負っている部屋は特に危ない」
「どういうこと?」
「例えば床暖房とかあるだろ、床板を敷き詰めたらその下にある配線や暖房の資材は見えなくなる」
「うん、だから?」
「あいつら、見えないからって床暖房の材料をくすねて狠民の本国で売捌いてた」
「それって、つまり・・・」
「そう、マンションの住民は床暖房を稼動しても効きが悪いし最悪の場合は火災の原因になる可能性もある、てこと」
「えー、あの狠民がそんな酷いことするのか。狼族とは云え正義感は人一倍強い種族だろ」
「狠民にも色々いるだろ、何事も裏があるってだけ理解してろ」
「床下まで知りようが無い、床板剥がす以外どうやって」
「いまは世界中資材が不足してるからな」
(自主検閲省略)
「家って誰が建てるんだ?」
「大工だろ、普通」
「そうなのか、知らんかった」
「・・・なあ、侑哉、いっぺん殴っていいか?」勉強は得意でもそれ以外は完全無知なる彼に鉄槌を降したい。
「なんで?」
「叩けば治るテレビもあるよ」
「・・・いつの時代のテレビだよ?」
「僕ん家のテレビ、ブラウン管。曾祖母から貰ったんだ」
「じゅんにかっ、でーじ骨董品。映るゔぁ?俺も欲しい、くれ」
「たーが、買うならやる」
「はーしぇっ、けち」島人は興奮するとつい方言が出る。
「誰がっ(いちいちむかつくな)・・・連合国基地内のテレビ番組が観えて結構面白いよ。軍服姿でニュース読んでるとか、あるし」
「基地内はデジタル放送しないのか」
「いや、普通デジタル放送だけど。アナログもある、時々ね。理由は知らん」
「ふーん、それもしかして軍の機密事項じゃないのか?」
「どうだろ」
「最高機密はネットに接続しない古いPCに保存するといいらしいから」
「USBも付いてないような、そんなアナログPCてあるのか」
(省略)
「例えばアップルワークスで保存したらUSBがあっても文書は誰にも取り出せないんじゃないのか」また唐突に話が変わる。
「それは文書をテキストファイルに変換して抜き出せば終わりだ」
「あ、やんな。なんだ、俺ずっと 家で古いマック使ってて困ってたんだ。大学のPCで文書を開こうにも出来なくてさ」
「最初から素直にそれを聞けっ」いちいち遠回しに聞くなっ。
「これで宿題のレポートもスマホでしなくて済むな」
「え、いままでスマホでやってたのか?宿題の小論文とかも?」新しいノートパソコンぐらい買えるだろ。秀才はやはり肝心な処は抜けてるのか。
「メイド買うために親父に貰った新しいPC売ったんだ。もう家には骨董マックしか残ってないよおおぉぉ」
侑哉がメイド(腕時計型電話)の液晶画面を覗き込んでしょげる顔がぼうっと闇に浮かんだ絵になって見えた。
またしても暫し侑哉に見とれてしまった。侑哉は確かに格好良い。男から見ても惚れ惚れする。彼の父親は生粋の暦音人だが侑哉の瞳は青い。母親の話は昔から僕たちの間ではタブーだ。侑哉には幼い頃から母親がいなかった。だから小学生の侑哉はいつも僕の家に来て祖母のご飯にありついていた。彼の家にはシェフもいるのに、僕の祖母のご飯の方が美味いらしい。しかし僕からしたら絶対祖母の作るゴーヤーチャンプルーよりシェフの作るビーフストロガノフが美味いに決まっている、食べたことはないから味は想像の枠を出ないが。でも僕としては侑哉とご飯を一緒に食べるのは嬉しかった。僕にも母親がなかったから幾分寂しさが紛れた。僕の両親は交通事故でニライカナイに出かけてる。
僕は幼い頃から祖母に育てられ親の愛情には無知だ。でも祖母の愛情は有り余る程いただいている、殆ど毎日ゴーヤーチャンプルーばかりだったが。祖母と僕とふたりっきりの夕食はもの悲しかったけど侑哉という友だちができた時は食卓が明るくなった。中学の時、喧嘩別れしたが僕はやはりこいつに随分助けられたのかもしれない。
漆黒の柔らかそうな髪に長身で手足は長く、スポーツ万能で勉強もできる、更に家は名家で裕福な家庭、それでも少しも金持ちを鼻にかけない性格の好さ、もてるのも当然か。格好良すぎるんだ侑哉は。
(省略)
「隼斗、ノートパソコン貸して」
「やだ」
「ちぇっ、けち」
「誰がっ」僕ははたと気がついた。
「ところで、欠陥マンションの件、なんでおまえが知ってんの?そんな内部事情大学生の僕らが調べてわかることじゃないだろ」
「ミゲルがリークした」
「ああ、あの天才ハッカー」
「あの正直過ぎて救いようがないやつ」
「あいつ、またハッキングして内部文書でも見たか。欠陥マンション何千何万戸規模らしいよ。企業はそれを知ってて何十年も隠蔽してる」
「その狠民、大陸で大金持ちだな」
暫し不穏な空気が流れた。遠くで微かに汽笛が聴こえた気がした。
「・・・そこ?」真っ暗な路でも侑哉の鼻息が背筋に掛かったのはわかった。
「うん、そこ。どうせ僕、タワマンなんて住めねえし」
「やんな」
「うー、やんど」方言には方言で返答するのが島人のマナーだ。
「ところでミゲルって俺たちより歳上だって知ってたか?」
「えっ、まじ?小さくて可愛いからまだ高校生にしか見えんし」
「・・・なあ、隼斗。おまえがでっか過ぎるって自覚ある?」
「この前告ったら、失笑された。だからか、童顔でも妙に大人びて不思議だったんだ」
「おまえも、振られたんだな。良かった、僕だけじゃなくて」
「あいつ結構モテる」
「大樹も片思いらしいよ」
「ミゲル重度の男嫌い」
「女も苦手らしいけど」
「つまり人間嫌いってことか?」
「ああ、そうらしい」
真っ暗闇を進みながら僕たちは他愛ない会話を楽しんでいた。これが友だちってものなのか、ずっと忘れてた久しく味わったことがない感覚だった。何でもないことでも話をしてくれる他がいる、僕はいま独りじゃない。
頑なな僕の心の蟠りに少し変化が起きた気がしていた。
「そういえば、このまえ部屋の鍵が壊れてミゲルに治してもらったんだ」
「あいつ、アプリも作ってる。メイドにダウンロードした」
「僕も持ってる、それ同じアプリかな?彼のアプリ色々あるから」
「後で教える」
「うん。でさ、ミゲルっていったい何処から通ってるか知ってる?」
「いや、そういえば聞いたことなかったな。こんど一緒にミゲルの家に遊びに行かないか。ミゲルの謎を解明しようぜ」
「ああ、ミゲル解体新書とか作る?」
「脱がせる?」幼い頃のいたずらっ子の顔が覗いて見えた。僕まで気持ちが高ぶって調子にのりそうだった。
「やる?」ミゲルの話になると尽きることがない。彼を話の種にしたら星の数ほど題が出てくる。
「ああ、でもあいつ蚤いるよ。先ずは風呂に入れて蚤駆除してからだな」
「ミゲル猫拾ってばっかだから、自分で手に負えないから僕の祖母の家に猫連れてくるんだ。お陰で僕の実家は猫だらけだ」
「まじかー、俺は犬派」
「ミゲル犬も拾うよ。ミゲルにそのこと言ったら侑哉の家は犬だらけになるぞ」
「そっかー、それも楽しそうだなあ」
「・・・そこ?」
「ぬーが?」(何が)
「あに、ぬーんあらん」(いや、何でもない)
侑哉の天然とミゲルの馬鹿はどこか似てる。
このふたりは最強のコンビかもしれない。
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