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侑哉篇
漸く玄関の前に辿り着いた。
外に設置した街灯のスイッチを押す。辺りが明るくなって漸く足下が把握できるようになった。
何やら蠢く生物に一瞬驚く。
「おい、踏むな」侑哉が静止した。
「なんで、百足だろ。咬まれたら痛いから殺せよ」
「違う、マーミンジャールーだよ。よく見ろ」侑哉は手の甲にその生物を乗せて僕に見せた。見ると確かに緑色した体調15センチ程のトカゲだった。
「カーミンジャールーだ、絶滅したと思ったのに。まだ在たんだな」
「グリーバンバンだろ」
「アータクー」
「アントゥッカーだろ」
「ワートゥーヤー」
「いったいどれがこいつの名前なんだよ」
この島のキノボリトカゲは地域によって呼び名が違う。誰に聞いても違う答えが返ってくる。世界一名前が沢山あるトカゲ君かもしれない。ギネスに載るかな。この個体の呼び名は他にもまだまだある。
「こいつ、カメレオンみたいに迷彩に体色変化するんだ」
「保護色か」
普段は鮮やかな緑色で尻尾に縞模様が入っている。体色変化はあまり聞いたことがない。
「んー、どうかな。こうやって頭を撫でてやると、ほら」
トカゲが侑哉の掌でまるで猫のように嬉しそうに目を細めている、腕立て伏せしてみせて何だかとても気持ちよさそうだった。よく見ると体色変化を始めている、驚いた、始めて視た。こいつトカゲ使いか、侑哉が不思議でならない。
「おまえのこと好きになったんじゃないの?」
「だあるかー、ジューミーに恋されたのか、もてもてだな俺」
「やっぱ殴らせろ」こいつは絶対叩かないと治らない。
「なんでだよ俺はテレビか?」
侑哉が凄むと僕は途端に怯んだ、喧嘩してもこいつに勝てる自信はない。僕は振り翳した腕をそっと引っ込めた。
「・・・侑哉は生き物好きなんだな」
「うん、島には珍しい生物いっぱいいたけどなあ」
「僕たちが小さいとき綺麗な青い蝶々とか沢山いたのに、いまは全然見ないな。観光客が乱獲してるの見たことある。あいつ等の所為でもう絶滅したんじゃないのか」
「なあ、隼斗。誰かの所為にするな、おまえが乱獲の現場を見たとき何してたんだ?」
「・・・も言えかんった。ごめん」僕は傍観者だ。
「ああ、島の自然を護れなかったのは俺たちの責任でもある」
「そうだな、でも」胸が詰まって指先にもその痛みが走った。
「珍しいな、外にボタンあるのか」
急に話を逸らすのは侑哉の優しさかもしれない。
気まずい空気を察知してそこから僕を拾い上げてくれていたのだ。
僕は次々話を厳しい方へ持って行こうとするから侑哉は常に気が軽くなる方へ誘導していた。
楽しいことばかり思っていたい、それが寂しい人間の本音だろうか。
僕は孤独に慣れているから殊更楽しいことばかり思いたくない節がある。
でもふと侑哉は寂しいのだろうかと思える瞬間がある。
いつも皆に囲まれて賑やかに見える彼だったが、心の中まで僕は知らない。
いつか侑哉の心根を探りたいと思っていた。
「最初はここ街灯すらなかったから僕が設けたんだ」
「さすが隼斗器用だな。ここだけ凄い明るい」侑哉は頻りに真っ暗な辺りに目を凝らして何かを気にする仕草をした。
「誰かいるの?」
「え、まさか。幽霊とか?怖っ」
「人が、誰かいるのかって意味で聞いたんだよ。馬鹿」
「うん、いる。ほら、あっち」
「えっ、どこ」誰か連いて来たなら此の狭い一本道、直ぐに分かった筈だが自分は少しも気づいてなかったから驚きを隠せない。
「ほら、人影が動いてるだろ。あの角のとこ」能く能く見ると僕には直ぐに解った。
「ああ、彼処の角にはカーブミラーが有るんだ。そこに僕たちが映って見えるんだよ」
「なんだ、幽霊かと思ったのに」やはり彼はそう思っていたのか。僕も幾度と間違えて驚っとすることがある。あのカーブミラーは何度同じく自分の影が映って見えても慣れた試しがない。
「それにしても、この辺り真っ暗なんだな」
「この裏崖下だからね」
「道理で」小さな島にありがちな島の事情ってやつだ。起伏の激しい地形だけに自転車すら普及しないのはそれが根拠だろう。
「そういえば侑哉、僕の部屋来るの初めてだよな。でも何でここ知ってたの?僕の先ぐんぐん歩いてたし、最初はあのカーブミラーの辺りまでしか来なかった。通りは二つに分岐てるのに、知ってるように先に歩いたから」
「ナビあるし。ぐぐった」
「いつの間に」
「でも隼斗ん家なかった」
「だろうね」
「だから適当にここに曲がった。隼斗ん家臭うし。くんくん。あ、咖哩だ」
「うん、昼に凡カレー喰った。てか、おまえは腹を空かせた野良犬か」
「野生の本能かもな、ナビより役立つ」確かに侑哉は前から頗る勘がいい。
「ぐぐっても無いのか」地図にも載らないのが殊更際立って、真っ暗な闇で灯の中る僕たちの地上の足場だけが海に浮かぶ小さな孤島にも思えた・・・世界から取り残されたようにぽつんと存在する、ひとりふたり。
煌煌と照らす街灯を頼りに僕は鍵を開けようとしたが何故か容易くいかない。日が落ち外気が急激に冷えたのか僕の眼鏡が曇って鍵穴が何処かよく見えなかった。ここは断崖の上にあり海からの冷気が風で直に運ばれると夏でも夜は寒くなる。白い息が僕の口から漏れた。
「おい、やっぱり幽霊だったんじゃねえのか。やけに寒いな」
「しつこいなあ、まだ言うか。だったら後で熱いお茶を煎れてやればいい」
「幽霊に」
「うん、熱いお茶を煎れると逃げるらしいよ。僕の祖母が言ってた」
「幽霊て猫舌だったのかあ」
素直に応える侑哉の顔を判然見えなかったが心の中で可愛いなこいつと一瞬思った。同時に頭で「いや絶対ない」と否定して是非なさを思い打ち消すように首を横に激しく振った。
ぶるぶる、ぶるぶる、
「何してる、さっさと鍵開けろよ」こつん、と軽く頭を突っ込まれた。
「え、あ、えっと、眼鏡が曇って・・・」僕は動揺を眼鏡の所為にする。
「だあ、鍵よこせ。俺が開けてやるよ」のろのろ進まぬ動作に苛立った侑哉が
僕の掌から鍵を剥ぎ取った。
彼は小学生以来ずっと視力2.0を維持しているのが自慢だった。小学生の頃から眼鏡の僕には羨ましい限りだ。
侑哉は直ぐさまそれをドアの鍵穴に差し込んだ。その瞬間、
「グオォ・・・ン」
部屋の中で何か得体の知れないものが動いたような音がした。
「侑哉、いまの何だ。聴いたか?」
音と呼べるものでもなかったが他に形容の仕様がない大きな風圧か超音波の波動か説明のつかない鬼気迫る気勢を感じた。
「あれ、隼斗ん家誰か居るの?」
相変わらず天然は冴えてんな。
「だったら直ぐに鍵捜しに行く必要なかっただろ」
「それもそうだな。じゃあ泥棒とか?」
「まじか、狠ポリス呼ぼう」弱腰の自分が多少情けなく思えた。
「待て、先ずは何の音か確認してからだ。窓閉めて出た?大きな棚が風で倒れた音かも知れないだろ」
「倒れるほど大きな家具は何もないよ。窓は閉めて出た」侑哉のインサイトの強さにも僕は負けた気がして「でももし強盗だったら?刃物とか持っていたら危ないだろ」過剰な警戒心を正当化していた。
「だとしても、ふたり対相手はひとり。こっちが優勢だろ」
僕の腕力は充にはならなかったが、
「相手がふたりでも、俺には隼斗がついてるし」
期待されても困る。
僕が躊躇している間に侑哉はとうにドアの向こう側に飛び込んでいた。
「あ、待って」僕も直ぐ後を追って部屋に飛び込んだ。