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「着きました」
しばらく車を走らせて、夕香はとあるマンションの前で車を止める。
車を降りた輝夜は、その建物を見上げる。目の前にそびえ立つのは雲に届かんばかりの摩天楼。
「これ何階建て?」
「五十階です。輝夜さんのお部屋はここの四十九階です」
日本でも有数のタワーマンションの、それもほぼ最上階を借りているとは夢にも思わず、開いた口が塞がらない輝夜。
一階にはコンビニやジム、二階から三階には映画館やカラオケが設置されており、最上階にはプールとバーまでもがあり、マンション内から出ずとも生活が成り立ってしまう。
「政府が購入したマンションで、セキュリティーもかなり厳重なので、安心して過ごせます」
エレベーターに乗り、最上階のフロアへと向かう。夕香は輝夜を一番奥にある一室に案内する。
部屋に二階があるメゾネットタイプ。広いリビングにテラスやバルコニー付き。
「服や日用品は一式揃えてありますけど、必要なものがあったら言ってください」
「それからこの部屋ですが、輝夜さんが購入した事になってるので自由に使って良いそうです。水道光熱費も政府が負担しますし、マンション内の施設もすべて無料で使えます」
「国民が知ったら税金の無駄使いって言われそうだね」
普通に住もうとしたら、一体いくらかかるのか想像もつかない。
「なので、絶対に言っちゃダメですよ」
ケラケラと笑いながら夕香はそう言う。
「それじゃあ、私はこれで失礼します。連絡先、ここに書いておくので外で用事がある場合は連絡してください」
夕香は小さく一礼するとメモ用紙に自分の連絡先を書いてテーブルの上に置き、部屋を出て行く。それを見送ってから輝夜は各部屋を見回る。一階と二階で合わせて九部屋。
輝夜の配信を見てから慌てて準備をしたのだろうか、リビングと寝室以外はほとんど手が入っておらず、何もない状態だった。
『部屋は豪華だけど、空き部屋が多いわね』
「慌てて準備したんでしょ」
輝夜はそう言うと、適当にタンスを物色して着替えを用意してからシャワーを浴びる。
Tシャツに下はジャージという楽な服装でベッドに寝転ぶと、近くに用意されていたタブレット端末でネットを眺める。
「見てみなよナディ、僕らの記事ばっかりだ」
ネット記事は輝夜やナディの事についてや、百足旅団について、それにともなう政権批判の内容についての記事で大半が占められていた。
◇◆◇◆
渋谷のダンジョン配信の一件から三日後。
「……来ないな」
輝夜はリビングで筋トレをしながらそう呟く。
『何が?』
「連絡だよ」
逆立ちをした状態で腕立て伏せをしながらそう言う輝夜。
「後日連絡するとか言ってたけど、全然来ないからさ」
『まぁ仕方ないでしょ。だってほら』
ナディはそう言ってテレビを指差す。そこにはコメンテーターらが神妙な面持ちで議論を交わしている映像が映されていた。
【百足旅団は以前から噂されていましたが、政府は存在を否定していました。しかし、今回の一件で政府が存在を認知していたということが判明したわけですね】
【そんな危険な連中の存在を隠して、もし国民に被害が出たら責任はどうとるつもりだったのか。存在しないと明言していた以上、これは政府が国民に嘘をついていたということです】
【そうですよね。街頭アンケートでも現政権を支持しないという声が四十%になっており、これを受けて、このあと総理の記者会見が行われる予定です】
「大変そうだね」
腕立てをやめ、冷蔵庫からペットボトルに入った水を取り出し、それを飲みながらソファーにドカっと座ってテレビに視線を向ける。
ちょうど記者会見が始まり、総理が今回の一件についての説明を始めていた。
【百足旅団については、実在する可能性が高いと認識しており、あくまでも実在する可能性として、プロ契約をしている一部のハンターには有事に備えて情報を提供しておりましたが、あくまでも存在する可能性があるということで、国民の皆様には不安を与えぬように伏せておりました】
「ああ、居るの知ってたわけじゃなくて、居るかもしれないって事にするのか」
国民に隠し事をしていたという事実は変わらないものの、知っていてそれを隠蔽していたという事と、いるかもしれないけど、不要な不安を与えないために言わなかったとでは、受け手の印象は大きく異なる。
『まぁ、焼け石に水みたいなものだけどね』
「気休め程度でも、そっちの方がマシってことでしょ」
【ですが百足旅団のメンバーを捕らえたことで、百足旅団が実在するという事が判明しました】
【また、以前よりダンジョン内部のモンスターが活発化していることを受け、今回、新たにハンター犯罪及びダンジョン対策室を設置する事を決めました】
その発表に記者陣がざわつく。
【メンバーは氷室透を初めとした、政府契約のプロハンターを中心に編成いたします】
【それに加えて、国民の皆様に安心して過ごせるよう、対策室も活動をライブ配信いたします】
ざわめきがより一層大きくなり、記者たちから誰がライブ配信をするのか、どのような配信を予定しているのかといった内容の質問が飛び交う。
【ライブ配信特別顧問として、巷で話題となっている朱月輝夜さんを招き入れ、彼女がライブ配信を行っていく予定です】
その質問に答えるように、総理大臣がそう説明すると、ざわめきは一気に大きくなり、同時にどのようにしてコンタクトを取ったのか、プロ契約を結ぶのか、どのような経歴の人物なのか、我先に質問する記者達。
「何か、思ってたポジションじゃないんだけど」
輝夜は記者会見も大変だなと思いながらも、いつの間にか最重要の役回りを任されている事に戸惑いを覚える。
たまに政府の仕事を手伝うだけの臨時職員的な立場になると思っていた輝夜だったが、記者会見の話を聞く限りだと、臨時職員どころではなく中核を担う主要メンバーという扱いになる。
『今からでも断る?』
「無理でしょ。これだけの騒ぎになってるんだから」
認識に食い違いはあれど、三日前に話した内容から大きく逸脱するような事は言ってないため、話が違うと文句をつける事はできない。
インターホンが鳴る。
玄関を開けると、スーツを着た夕香が立っていた。
「こんにちわ輝夜さん」
「夕香さん、三日振りだね」
軽く挨拶を交わして夕香を部屋に上げて、ダイニングへと通すと、椅子に座るように促す。
「記者会見はご覧になられましたか?」
「うん、今さっき」
「そうでしたか……それでなんですが、今後、輝夜さんは立場上は内閣情報局の一員になります。とはいえ、基本的にこれまで通り過ごして頂いて大丈夫ですし、ちゃんと給料も発生します。それからこれを渡しておきます」
夕香はそう言うと、鞄の中から白い封筒を取り出して輝夜に渡す。中を確認すると、二枚のカードが入っていた。
「一枚は身分証です。それを見せればどの機関でも立ち入ることができます」
一枚は輝夜の顔写真が記載され、内閣情報局の桐紋が記された白いカード。
「それから、輝夜さんの戸籍は新しく作っておきました。年齢は十六歳という事になります」
「えっ……いや……なんで?」
夕香から年齢を聞いた輝夜は、驚きのあまり声が詰まる。
輝夜の年齢は二十四歳。外見が変わって十代といっても問題ない程に幼くなったとはいえ、諸々の面倒を避ける為には二十歳以上にしておいた方が良い筈だ。
「私もそう言ったのですが、十六歳はダンジョンに入れる最低限の年齢であり……おそらく、十六歳でプロ級のハンターを育成できるほど、それだけハンター育成分野に力を入れているんだぞ、という内外に向けたアピールのためだと」
要するに輝夜の経歴、戸籍を自由に作る事ができるため、自分達に都合の良いように好き勝手やったということである。
「それは、そっちの都合でしょう!?」
しかし、そんな事を相談もなくされてはたまったものではないと、輝夜は声を荒げてそう抗議する。
「すいません! 私も絶対にやめた方が良いって思いますし、そう言いました! ですが、輝夜さんの経歴も隠さなくてはなりませんし、十六歳ならハンターとしての経歴など無用な詮索をされずに済みます」
夕香はテーブルに額が付きそうになる程に頭を下げて謝る。
「それはそうだとしても、事前に相談の一つくらいあっても良いでしょう!? 十六歳じゃ酒も飲めない!」
勝手に決められた事も腹立たしいが、それ以上に酒が飲めないことの方が、輝夜にとって問題である。
「お酒はこれまで通りに飲んで頂けます。いくつか契約している店舗もありますから、外で飲みたい場合はそちらを利用できます」
「……これまで通りって、十六歳じゃコンビニで買うことも出来ないんだけど」
そう言ってもう一枚のカードの方を見る。
黒色のクレジットカード。ICチップ以外に何も書かれていないシンプルな見た目のカードである。
「も、もう一枚は、上限額のないクレジットカードです、好きに使ってもらって構いません。ATMから現金を引き出して自分の口座に移しても大丈夫です」
「……これは、詫びのつもり?」
夕香の説明を聞いた輝夜は、あからさまな機嫌取りのクレジットカードを見て。不機嫌そうにそう言う。
「年齢については本当に申し訳ないと思ってますが、輝夜さんの見た目で成人と言うのは少し無理があります。それにお酒であれば政府の方で用意しますので、どうか怒りを収めてはいただけませんか?」
輝夜の視線にしどろもどろになりながらも、夕香はなんとか輝夜の怒りを静めようとする。
「……わかった。怒鳴ってごめん」
年齢については夕香が決めたことではない、彼女に文句を言ったところでどうなるわけでもない。誠意ある対応をしようとする夕香に、これ以上怒りをぶつけるのも酷だと思った輝夜は、ひとまずクレジットカードを収める。
「それで配信についてなんですが、配信はすべて輝夜さんのチャンネルを通して行う事になります」
政府のチャンネルでやった方が良いのではないかと思う輝夜だったが、そもそも政府の配信チャンネルがあるはずもない。
仮に作ったとしても輝夜主体で配信する以上は、自分のチャンネルでやった方が都合が良い。
「とりあえず、輝夜さんのチャンネルはこちらで整えておきました」
配信サイトを開いて自分のチャンネルを確認する。
【銀の弾丸/朱月輝夜チャンネル】という名称と共に、概要欄やアイコン、ヘッダー画像など、それらしく見えるように整えられていた。
(銀の弾丸って、自分で名乗ったつもりはないんだけど……)
「それと、SNSアカウントも作成しておきました。これがIDとパスワードです。裏に電話番号が書かれており、二十四時間輝夜さんの配信をサポートしますので、わからない事があったらそちらに掛けてください」
夕香はそう言って名刺サイズのコート紙を渡す。輝夜はそれを受け取り、先にもらった二枚のカードと合わせて封筒の中に入れる。
「それと、輝夜さんの立場についてですが……その……」
「……まさか、学校に行けとか言うんじゃないよね?」
歯切れ悪く淀む夕香を見て、輝夜はまさかとは思いながらもそう聞く。
「……いや、あの、通わなくてはいいんですけど、ハンター育成を専門とした教育機関があるのはご存知ですか?」
「ダンジョン高等専門学校だっけ?」
ダンジョンの攻略、調査は莫大な経済効果を生み出し、そこから得られる発見は人々の暮らしを大きく発展させる。そのため、どこの国に置いてもダンジョンの調査は最重要課題である。
ハンターのみならずダンジョンの副産物を研究する者や、ダンジョンを管理する職員など、ダンジョンに関わるあらゆる分野の人間の育成を目的とした学校がダンジョン高等専門学校である。
「そこに生徒として在籍していただきたいなと思います。もちろん、通うも通わないも自由です。在籍しているという事実だけあれば構いません……嫌なら断って頂いても構いません」
「行かなくても良いなら、それくらいは」
事前に決められていたなら反発したかもしれないが、学校の件はそうしてくれないかという相談であるため、輝夜は渋々ながらも了承する。
『面白そうな事してる学校もあるのね。ちょっと行ってみたいわ』
「……見学くらいは考えておきます」
高専に興味を示すナディの言葉に、輝夜は面倒くさそうな表情を浮かべてそう言う。
「ありがとうございます。高専に行く際は事前に連絡をしてください」
「それから、配信ですが何時でも好きなタイミングで始めてもらって大丈夫です」
「配信はできるだけ早い方がいいよね?」
記者会見のあった後であるため、出来るだけ早く配信した方が良いだろうと思った輝夜はそう聞く。
「そうですね。早ければそれに越したことはないです」
「じゃあ、これから機材を買いに行きたいんだけど良いかな?」
輝夜は夕香にそうお願いする。
「わかりました。それじゃあ手配しますので少しお待ちください」
そう言うと夕香は手短に電話をかける。
「それじゃあ、行きましょう」
電話を終えた夕香は輝夜とマンションを出て車に乗り込む。