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「クレハ様、ここを手で持って……頭の先から入れますから。あっ! あんまり強く握ると出ちゃう。優しく……」
「うぅ……上手く入らない。怖い」
「大丈夫です。ほら、私が上から支えててあげます。頭の部分が過ぎたら、スムーズに入りますので。固定してる方の手で、ゆっくり滑らすように……焦らないで、少しずつ入れていけばいいですから」
耳元でレナードさんが囁く。落ち着きがあって優しい声だ。彼に従い、言われた通りに手を動かす。
「こ、こうですか。ちゃんと入ってます?」
「入ってますよ。とっても上手です……その調子」
「おい、レナード……お前真面目にやってる?」
眉を寄せて不快そうな顔をしたルイスさんが、エサ付けをしていた私達を上から覗き込んだ。私があまりにも手際が悪いからだろうか……レナードさんはとても丁寧に教えてくれているので、彼のせいではない。私が不器用だからだ。
「これ以上無いってくらい真面目ですけど」
「とてもそうは見えないんだが。悪ふざけし過ぎると、またボスに言い付けるぞ」
「妙な勘繰りはやめて欲しいなー。ルイスにも教えてあげようかぁ? 手取り足取り……」
「結構だ。虫はダメって言ってんだろ」
もう一度レナードさんに教わったやり方を反芻してみる。頭の方から針を入れて、力み過ぎないように……。針が入ったら虫を持っている手の方を動かして、針に沿うように虫を通していく。針の縛り目まで埋めてと……
「できたー!! どうですか? レナードさん」
なかなか思った所に針が刺さらなくて大変だった。虫は動くし、力を込め過ぎて潰しそうになっちゃうし。
「完璧です。クレハ様上手くできましたね。リズちゃんの方はどうかな?」
「私もできました。こんな感じで良いですか?」
「練り餌の大きさも丁度いいし、ちゃんと針先が隠れてるね。リズちゃんもOK」
リズも餌を付け終わり、いよいよ私達が釣りをする準備が整った。互いの釣り糸が絡まないように適度に距離を取る。そして、竿を持っている手とは反対側の手で、針の付いている場所より少し上の糸を摘んで構えた。竿の先を軽くしならせ、振り子のようにして仕掛けを水の中に投げ入れる。
投入後は竿やウキをあまり動かさない方がいいらしい。魚を警戒させないように、時々軽くゆらゆらさせる程度で良いのだそうだ。
「ふたり共初めてとは思えませんね」
「俺なんかより、よっぽど上手いよな」
私は浮かんでいるウキをじっと眺めた。魚がかかるのを見逃さないように。そんな感じで10分程度経過した頃……竿に反応があった。ウキがちょんちょんと、小刻みに沈んだり上がったりを繰り返している。これもしかして、かかってる? 私はドキドキしながら、側に控えてくれているレナードさんへ振り返った。
「今は水の下で魚が餌を突いている状態です。慌てちゃダメですよ」
ぐぐっと重く引かれるような感覚が竿から伝わってきた。ウキが水中に、すーっと完全に沈んでしまう。
「アタリです。クレハ様、合わせを入れて」
「合わせって何ですか!?」
「あっ! そうか、えーと……こう竿を上にして……ちょっと失礼しますね」
レナードさんは背後から覆い被さる様にして、釣り竿を握る私の手を彼の大きな手で包み込んだ。そのままレナードさんに誘導され、上に向かって竿を上げた。
「合わせというのは魚の口に針がしっかりと刺さるようにする為の動作の事です。うまくいきましたので、リールを巻いて魚を引き上げて下さい」
「頑張れ、姫さん」
「クレハ様しっかり!!」
リズとルイスさんの応援する声が耳を通り抜ける。私は必死だった。でも、それはきっと魚も同じ。水中を走る魚の力は想像していたより強くて、ぐいぐい引っ張られてしまう。レナードさんが体を支えてくれなかったら、立っているだけで精一杯だった。
「魚は引かれた方向とは逆に泳ぎますから、それに合わせて同じ向きに竿を倒して……魚の力をいなしながら、糸を巻き取って下さい。魚が疲れてきますので、ゆっくりこちらに寄せて……」
一瞬だけど魚の姿が見えた。もう少しだ。抵抗する魚が暴れてバシャバシャと水飛沫が上がる。それにしても重い……こんなに力が強いんだな。
「ルイス、タモお願い!」
レナードさんの呼びかけに応じ、ルイスさんがタモを持ち出した。魚は疲れたのか、やがて大人しくなり水面に横たわった。ルイスさんはこのタイミングを逃さないように、魚の頭から体全体をタモの中にすっぽり収め、水からすくい上げてくれた。
「やったー! クレハ様、凄い」
「これはクロダイですね、50センチはありますよ。おめでとうございます! クレハ様」
「おふたりが手伝ってくれたからです。ありがとうございます」
釣れたのは黒くて大きな魚だ。レナードさんはクロダイと言っていた。お腹側は白くて、体も真っ黒というよりは灰色っぽい。
「デカいのが釣れて良かったね。ボスにいい土産ができたじゃん」
手伝って貰ったからではあるけど、私の生まれて初めての釣りは大成功だった。こんな大きな魚を釣ることができたのだから、堂々と胸を張って帰れそうで良かった。レオンの驚く顔が目に浮かび、口元がつい緩んでしまう。
その後は、いわゆる入れ食い状態だった。次々に魚がかかり、私とリズだけでも10匹以上釣り上げることができた。釣り堀が釣りやすいのは知っているけど、これもビギナーズラックと言えるのかな。
「あっ! またかかりました。今度は私1人で釣り上げてみますね」
「気を付けてね、姫さん。無理そうなら言うんだよ。レナードはすぐに助けに入れるようにしとけよ」
「分かってるよー」
ルイスさんったら心配性だなぁ……。大物を釣り上げたことで、私はちょっとだけ調子に乗っていた。
徐々に水面に近づいてくる黒い影。最初に釣り上げたクロダイに比べたら小さいし、引っ張る力も弱い。これなら私1人でも平気だ。
「よーし、魚が見えてきました……ってアレ?」
浮き上がってきたのは魚ではなかった。黒い布のような塊。生簀の上へ引き上げ、近くでよく見てみる。
黒い塊の正体は帽子だった。猫の刺繍が施された可愛いらしい物だ。誰かが誤って落としたんだろうか。ここは陸地に比べたら風も強い。私も被っている帽子を何度か飛ばしそうになったのだ。せっかく自分だけの力で魚が釣れたと思っていたのに……浮かれてしまい恥ずかしい。
「この帽子……」
レナードさんが黒い帽子を食い入るように見ている。もしかして、持ち主に心当たりでもあるのかな。
「あっ、あ……」
その時、何かを詰まらせたような声が聞こえた。声の主はリズだ。顔を真っ青にして震えている。さっき虫を見た時なんかとは比べものにならない。その明らかに異常な様子に、胸中が騒ついた。
「リズ、どうしたの。気分でも悪くなった?」
彼女の大きな茶色の瞳が揺れている……酷く動揺しているようだ。私の問いかけに対して、リズは答えることができない。そんな彼女は言葉の代わりに、ある方向を指差した。私が釣りをしていた場所から、正面に向かって数メートルほど離れた生簀の中……
「えっ……?」
私の目にそれが映ったのとほぼ同時に、ルイスさんが私を懐へ抱き込んだ。彼の体で視界が遮られてしまったため、一瞬だったけれど……それでも、しっかりと見えてしまった。そして、その物体が何であるかも分かってしまう。皮肉にも、ルイスさんの態度が見間違いではないと物語っている。
忘れられた釣り竿? それとも枯れた木の枝……いや、そのどちらでもない。水中から伸びるそれは、まるで……天に向かって必死に何かを掴み取ろうとしているような、そんな形をしていた。青白く変色し、生気を失ったそれは――
人間の腕だった。