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魔王さまは、ひたすら走って逃げたのだという。

まだ、今の魔王城ではない、魔族領の中心部に向かって。

他の村々よりも大きなその町に、ひたすら走り抜いたこと。


そして、村が焼かれたことを兵士に告げた。

残虐な人間達が攻めて来たと。


そして、いち早いその報告のお陰で、最小限の被害で済んだ。

いくつかの村が同じように焼かれてしまったし、その住人達は皆殺しにされていた。

けれど、戦闘訓練を積んだ魔族の兵士達が、その仇を討った。

人間の軍を壊滅状態で追い払い、完全勝利に収めた。


それを間近で見たいと、少年だった魔王さまは無理を言って、仇を討つ様をずっと見ていたらしいことを聞いた。


その瞳には何の感情もなく、ただ風景を眺めているだけのような風体で。

人間が一人討たれる度に、小さく、微かに頷いていたことを。


なぜ、そんな詳細を見て来たかのように言うのかと聞くと、その肩に少年を乗せ、見せてあげていたのがファル爺だったからということだった。

当時もそれなりの年で、前線ではなく少し後ろから指揮を執っていたからと。





その最初の防衛戦から、魔王さまは強くなる術を教わっていたらしい。

全ての兵士に教わっていたようだと、爺は言った。


もちろん爺にも。とにかくつわものには、誰であろうと声をかけて修行を……死ぬつもりかというほどに過酷な訓練を、続けていたという。

その細くて小さな体に、一体それ以上、何を刻もうというのかと、爺は何度もそれを止めたらしい。

だけど魔王さまは聞かなかった。


「皆殺しにしてやるんだ。俺は」


その言葉には、怨念や執念などでは生ぬるい、絶望が宿っていたという。

地獄だった。

と、爺は涙を流していた。


私も涙が止まらなかった。

シェナも、目を真っ赤に腫らしている。


当時、この子には、たとえ死んでしまおうとも、絶対に強くなる修行をつけてやるしかないと、爺は覚悟を決めたらしい。

他の兵達も、いずれその意見に賛同し始めたらしく。

それまでは子ども向けにと加減していたのに、もう、誰もが厳しく鍛えた。


「やめちまえ。そんな程度なら」

その言葉を掛け続けて、それで諦めてくれるのを待つしかなかったのだと言う。

でも――。


「諦めなかった?」

「……その通りですじゃ」


それが何年も続き、当時の魔王さまの齢が十を過ぎた頃。

また、人間が軍を率いて攻めてきた。


教訓を生かし、防衛ラインと小さな砦を築いていたから、村人が死ぬことは無かったけれど。

それでも、育てた畑を焼かれ、家々を破壊され、命の代償だとはとても、納得出来るものではなかった。


その被害を最小限にして守るため、兵士の中に紛れてひと際小さい、少年兵が最前線に立つ。

彼を、誰も止めなかった。

それに意味が無いことを、誰もが痛恨の想いでありながらも、知っていたから。

ただ、死なせぬように盾になろうと、そう団結する事でしか、支えてやれなかったのだという。



「今でも、あの胸の痛みは忘れられませぬ」

この話は……ファル爺にとっても、辛いものだったのだ。

それが分からない私だから、話して聞かせることを躊躇ったに違いない。


「ごめんなさい。ファル爺……」

その言葉に、爺は静かに首を振った。


「迷っておっただけですじゃ。サラ様にまで、この辛さを共有してよいものかと」

「そんな……」

そんな風に、私に優しくしてくれる価値なんて、ないはずなのに。

突然降って湧いたような私に、そこまで想ってくれる必要なんてないのに。



「魔王様が、今のように穏やかなお顔をされるのは、なにせ、出会ってから初めてですからの」

そう言って、私の目を見て爺は力強く頷いた。


「サラ様が現れてから、皆、ようやく胸をなで下ろしておるのです。ご自分を卑下なさるようなお顔を、せんでください」


私は目を逸らしたいのに、爺はそうさせてくれない、強い目だった。

「続きを聞いて頂きましょう」



魔王様はお察しの通り。と。

案ずるよりも、小さな兵士は頭角を現していったのだそうだ。


傷ひとつ負わず、人間の兵どもを見事に斬り捨ててゆく。

むやみに敵陣深くに突っ込むような真似も見せず、ただただ正確に敵の首を刎ね、的確に敵陣形を潰して進む。


一体どこから、そんな力が出るのかと不思議なくらいに。

その勇猛な姿は、小さな戦神のようだったという。

「剣術も、戦況把握も完璧な、少年の姿をした猛将でした」



それは最初の言葉通り、敵を全て殺し尽くすまで止まらなかったそうだ。

魔王さまの居る部隊と当たった敵軍は、一瞬で陣形が瓦解し、瞬く間に敗走していく。


その戦が終わる頃には、辺り一面に敵兵の首が転がっていたらしい。

しかも魔王さまは、戦の最中でさえ……修行をしていたのだという。

「首だけを刎ねて殺す。刃こぼれも少なくて済むからな」


自慢でも何でもなく、それを今回の課題にしているのだと、絶望に沈んだ瞳で微笑んでいたのだそうだ。

乱戦の中で、峰受けをして刃を使わないなど、よほどの達人でさえ容易く出来るものではない。


爺はそう話す頃から、涙は完全に止まっていた。

そこからは、英雄譚を語るように、崇め称える神に賛辞を贈るがごとくだった。



「見事としか、言葉がありませんでした」

数年おき、十年おきと戦争の間隔が長くなるに比例して、その度に猛烈な強さを見せつけていったのだと言う。


もはや、赤子の手を捻るよりも――。

容易い勝利に、魔王さまひとりで前線に立つことも増えて行ったのだそうだ。


その頃には魔法も絶大な威力を持ち、ひとつ放てば壊滅する。

魔王さま一人居れば、人間など簡単に絶滅させられるだろう程に。


そしてその頃には、魔王さまは誰からも「魔王様」と呼ばれていたそうな。

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