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どれだけの時間が経過しただろうか。
この部屋に置かれた、無機質なデジタル時計の数字は、ある時は猛烈な速度でカウントアップし、ある時は数時間もの間、同じ「一秒」を刻み続けて動かない。
分厚い防音材と遮光カーテンで外界と完全に断絶されたこの空間では、窓の向こう側で太陽が昇っているのか、それとも月が沈もうとしているのか、私にはもう判別する術が残されていなかった。
(……お腹が空いたから、朝なのかな。……でも、すごく眠いから、夜なのかもしれない)
思考が泥のように濁り、時間の感覚が指の間から砂のように零れ落ちていく。
かつて、校庭の桜を見て「散るのが勿体ない」と感じていた私は、今や、その桜がいつ咲いていたのかさえ、遠い前世の記憶のように霞んで見えた。
「……ねぇ、愛姫。また時計見てる。……そんな不確かなデバイス(数字)、見ても何の意味もないのに」
ヘッドセットを首にかけ、椅子のキャスターを滑らせて私のベッド際へと音もなく詰め寄ってきたのは、孤爪研磨先輩だ。
モニターの青白い光に照らされた彼の顔は、何時間も、あるいは何日間も一歩も外に出ていないはずなのに、透き通るように白く、冷徹な美しさを保っている。その瞳は、壊れたデータを修復するエンジニアのような、静かな熱を帯びて私を射抜いた。
「研磨、さん……。……いま、何時、ですか……? 学校は……。……みんな、私のこと、探して……っ」
「……学校? まだそんなバグ(過去の残像)の話してるんだ。……愛姫のタイムライン、僕が全部書き換えたって言ったでしょ。……学校にはもう、君の席なんて論理的に存在しない。……みんなの記憶からも、君というデータは、僕が丁寧に消去(デリート)しといたよ」
研磨先輩は、私の手首に嵌められた、外れない電子の首輪——スマートウォッチの画面を、細長い指で滑らかに操作した。
そこには、現実の標準時ではない、彼が私を飼い慣らすために再構築した「愛姫専用の標準時」が表示されている。
「……ねぇ、愛姫。……外の時間は、君を老いさせて、汚して、いつか死なせるだけの無意味なカウントダウンだよ。……でも、この部屋の時間は、僕が完全にコントロールしてる。……僕が望む限り、君は一番綺麗な瞬間のままで、僕の隣で静止してられるんだよ。……幸せでしょ?」
彼は私の顎を、指先で掬(すく)い上げると、焦点の合わない私の瞳をじっと覗き込んだ。
人間にとって、時間の感覚を奪われるということは、自分という存在の連続性を失うということだ。
自分が誰で、昨日は何をしていて、明日は何をすべきなのか。その「個」を形作る記憶の断片が、研磨くんが与える「今の快楽」と「今の安息」によって、じわじわと最適化(デフラグ)され、上書きされていく。
「……お腹、空いたでしょ。……ほら、あーんして。……僕が選んだ、最高に効率的な栄養素だけ、摂取してればいいから」
彼はスプーンで、味の薄い、けれど温かいペースト状の食事を私の口元に運ぶ。
それはまるで、迷い込んだ小鳥を育てる慈悲深い飼い主のようでもあり、致命的なエラーを起こしたデータを一行ずつ修正していく冷酷なプログラマーのようでもあった。
私は、彼の指先が私の唇に触れるたび、言いようのない戦慄と、同時に、世界で彼とだけが「接続(コネクト)」されているという、強烈な依存感に脳を支配されていく。
「……っん、……あ、……研磨、さん……っ」
「……いい子。……愛姫の身体も、思考回路も、僕のサーバーに最適化されてきたね。……あの日、散る桜を見て泣いてたバグだらけの不安定な君より、……今の、何も考えられなくて僕を求める君のほうが、ずっと……読みやすくて、愛おしいよ」
研磨先輩は満足げに、獲物をフォルダに格納し終えた後のような三白眼を細めると、私の首筋——電子のロックが肌に食い込むその場所に、深く、執拗な誓いの口づけを落とした。
時間軸のデフラグ。
バラバラに分解された私の人格(データ)は、彼の指先一つで、彼に都合の良い順番に並べ替えられていく。
窓の外の春は、もうとっくに終わったのだろうか。
それとも、まだ始まったばかりなのだろうか。
私は、孤爪研磨という名の終わらない夜の中で、彼という唯一の光源に、ただ盲目的に縋(すが)り、同期することしかできなくなっていた。
「……ねぇ、愛姫。……今、この瞬間が、……僕たちの永遠のチェックポイントだよ。……上書き、しとくね」
彼が再び私の唇を、呼吸ごと奪い去るように塞いだ瞬間、私は自分が、もう二度と現実の時間(リアル)へは戻れないことを、深い、深い陶酔という名の絶望の中で悟った。