「詩織?」
銀座にあるコンビニの前に佇む男女が目に入った時、その女性の方がよく知る人物であることに気がついた。
妹の詩織だ。
ただ、姿形は自分の知る詩織だけど、なんとなく醸し出す雰囲気が違っていて、つい疑問系で僕は呼びかけていた。
「…………お兄ちゃん」
驚いたように目を丸くする詩織は、やはり僕のよく知る妹だった。
なんで銀座にいるの?と聞けば、詩織は「仕事で」と言いながら隣に立つ長身の男性を見上げる。
その男性と目が合うと、彼は明るい笑顔で僕に挨拶をしてくれた。
彼、瀬戸さんは、健からよく話を聞いていた、健の大学時代からの友人で、詩織の上司だ。
名前を聞いて「あぁ、あの瀬戸さん!」と、初対面にも関わらず、なぜか知っている人に会った感覚になった。
健が普段からよく瀬戸さんの話をしていたからだろう。
噂に違わず、眉目秀麗で目を引く男性だった。
なのに、近寄り難い雰囲気はなく、気さくで明るい、人の懐にスッと入ってくるような感じのする人だ。
だからなのか、初めて会って早々、僕は思わず会社での詩織の状況を立て続けに尋ねてしまった。
詩織が新しい職場でうまくやっているのか心配でならない。
健は大丈夫だと言ってはいたけど、本当にそうなのか気掛かりだったのだ。
……こういうところがシスコンって言われる所以なんだろうけど。
それは分かっているが、心配なものは心配なのだ。
なにせ詩織は昔から集団の中でうまく人間関係を築けないところがある。
異性には好意を寄せら、同性には嫉妬されて。
本人がそれをうまく対処できる性格なら良いものの、詩織はそれができない。
控えめで前に出ることを厭い、基本的に受け身だ。
最初は上手く人との関係を築けない自分を卑下して泣いてばかりいた。
それがいつしか、最初から関わらないようにするかのように、人と線を引き、殻に閉じこもるようになった。
心を開くのは唯一、兄である僕にだけ。
昔は無邪気に僕に甘えてきたけど、それもいつの頃からか遠慮するようになったように思う。
大人になったからだろう。
その分、誰か他に甘えられる人がいればいいけど、詩織からそういった人を紹介されたことは一度もない。
……僕が知らないだけで、きっと恋人はいたとは思う。でも、未だに僕が一番と言わんばかりだから心配なんだよなぁ。
ふと、響子を紹介した時のことを思い出す。
あの時の詩織はなんだかオモチャを取り上げられた子供みたいな悲しげな顔で無理やり笑顔を作っていた。
響子はそれには気づいていない。
昔から詩織のことを知っている僕だから分かっただけだ。
きっと唯一心を開いている僕が結婚することが寂しかったのだろう。
……詩織にも、僕にとっての響子みたいな存在ができるといいんだけど。
そんなことを頭の中で思いながら、目の前にいる詩織に視線を向ける。
詩織に会うのは久しぶりだった。
実家に写真を探しに行った時以来だから、2ヶ月ぶりくらいだろうか。
……あれ?
そこでふと違和感に気づく。
さっきパッと見た時もなんだか醸し出す雰囲気が違うなと一瞬思ったけど、改めて見るとやはり詩織がいつもと違う。
……なんていうか、いつもより明るい?
表情が柔らかだし、人を寄せ付けない張り詰めた空気がない。
上司である瀬戸さんを見上げる瞳には、親しみがこもっている。
どうやら今の職場ではイキイキと働いているようだ。
少し見ない間にずいぶんと変わったなぁと感じる。
……上司である瀬戸さんのお人柄のおかげかもなぁ。それに職場には健もいるし、詩織も心強いんだろう。
詩織が良い方向に変わっている様子は兄としても嬉しい。
会食の時間が迫っているという詩織と瀬戸さんと別れ、僕はコンビニで買い物を済ませて、会社に戻る。
残務を片付けるため残業をしばらくしたあと、自宅に帰った。
家の中は段ボールでいっぱいだ。
結婚を機に新居へ引っ越すことになっていて、少しずつ荷造りをしている最中なのだ。
時計を見れば、時刻は22時。
詩織の会食も終わってるかなと思い、僕は久しぶりに詩織に電話をかけた。
さっきはあまり時間もなくて少ししか話せなかったから、詩織の話を聞きたいと思ったのだ。
「もしもし?」
数コールののち、詩織が電話に出る。
背後からは外にいるような騒がしい音は聞こえないから、おそらくもう家に着いているのだろう。
「詩織?もう家にいるの?」
「うん、帰ってるよ。……お兄ちゃんから電話なんて珍しいけど、どうしたの?」
「今日偶然会って驚いたね。あの時、少ししか話せなかったから。新しい仕事はうまくいってるみたいだね」
「うん、皆さんによくしてもらってるよ」
なんの躊躇いもなく詩織から肯定的な言葉がスッと出てくるのは非常に珍しいことだ。
それだけで今の環境の良さが伝わってくる。
「それなら良かった。詩織の雰囲気が変わったなぁって感じたけど、職場に恵まれたからなんだね」
「えっ?」
詩織は驚いたような声を小さく上げる。
自分では自覚がなかったようだ。
「瀬戸さんのことも信頼しているみたいだし、いい人が上司で良かったね」
「……そんなふうに見えた?」
「? うん、そうだね。ずいぶん心を許してる感じに見えたよ」
そう言うと、詩織はなにやら動揺しているようだった。
自分の変化を指摘されて戸惑っているのかもしれない。
「ああ、そういえば、結婚式の招待状は届いた?」
「うん、届いたよ。まだ返信してないけど、出席させてもらうね」
「ありがとう。響子が詩織と仲良くしたいって言ってたから、今度一緒にゴハンでもどうかな?」
「そうだね、時間が合えば。響子さんからもこの前カフェに誘って頂いたし」
「ああ、この前大塚フードウェイの創業記念パーティーで偶然会ったらしいね。響子も驚いてたよ」
「……うん、あれは私もビックリした。色々あってスッカリ遠い昔ことに感じてたけど。……あの時、誘って頂いたのに無視するみたいな形になってすみませんでしたって響子さんに謝っておいてくれる?」
「全然響子は気にしてなかったよ。でも分かった、伝えておくね」
「うん、ありがとう」
詩織が響子に歩み寄ってくれている感じがして嬉しい。
響子は誰に対してもフレンドリーでお節介焼きなところがある。
同性の友達がいない詩織でも、響子とは仲良くできると思うのだ。
自分の妻になる人と妹にはぜひとも良い関係を築いてもらいたいと思っている。
そのあと詩織と少し話して電話を切ったあと、僕はそのまま響子に電話をかけた。
詩織から言われたことを伝えたかったのだ。
「詩織さんがそんなふうに言ってくれたんだ?嬉しい!結婚式の前に一回ゴハンに行きたいね!」
「また今度予定聞いておくよ」
「ねぇねぇ、それで悠くんは、詩織さんと偶然会った時に瀬戸社長にも会ったんでしょ?」
「うん?そうだけど?」
「で、なんか詩織さんの雰囲気がいつもと違うって感じたんだ?」
「そうだね。それがどうかした?」
電話口で響子がなぜだか楽しそうに笑っている。
そんなに面白いことを話しただろうか。
「ふふっ、それ職場に恵まれたからだけじゃないと思うけどな~」
「? どういう意味?」
「ん~? たぶんそのうち分かるよ!」
響子はもったいぶるようにそれ以上は何も言わない。
ただ心底楽しそうで声が弾んでいる。
それはまるで恋愛話をする時の健みたいなテンションだなと僕は思った。
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