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「……シェフをお呼びください」
コース料理を食べ終えた一人の客が、静かにウェイトレスへと告げた。
「かしこまりました。ただいまシェフをお呼びいたします。少々お待ちくださいませ」
その声を背に、私は厨房を後にする。
こうして呼び出されるのは、もう何度目になるだろう。もはや儀式のようなものだ。
客席に現れた私を前に、男は感嘆の声を漏らす。
「とても素晴らしい料理でした。このコースは、まさに最先端を行っています。――きっとアナタの人生を大きく変えるでしょう」
……その類の賛辞は、正直、もう聞き飽きている。だがシェフとしては、笑顔で受け止めるしかない。
「ありがとうございます。それは何よりでございます」
そう口にしながらも、心の奥で私はふっと口角を吊り上げた。
――最先端、か。
客が無邪気に使ったその言葉が、やけに耳に残った。
私はかつて“天才”と呼ばれた料理人だった。
数々のコンクールを総なめにし、ミシュランの星も三つ獲得した。
そう、世に言う“三つ星シェフ”だ。
だが天才とは、祝福と同時に呪いでもある。
凡人の二倍、三倍の速度で走り抜けなければならない。
期待という名の重石が常に背にのしかかり、次へ、さらに次へと、自らを追い詰めていく。
『天才』という言葉は、栄誉であると同時に――足枷でもあるのだ。
かつて――と過去形で言ったが、それは事実だ。
今の私は少々……いや、中々?
いや、むしろ大々的に。
……そう、大々的に料理に対してイップスなのだ。
毎晩、厨房に籠もり、夜が白むまで料理について考え続ける。
重圧、焦燥、期待――その全てが岩石のように胸へ積み重なり、私は次第に動けなくなっていった。
……では、先ほど提供したコース料理が“最先端”と呼ばれているのか?
その答えは、実に単純明快。
――『クソマズ料理』だ。
は?ふざけてんのか。
そう思うだろう。だが、話を聞いてほしい。
例えば絵だ。鉛筆で模写をする際に大事なのは、デッサン力ともうひとつ――『明暗』だ。(名案だ!)
白をより白く見せるには、隣の黒をより黒くする。黒もまた然り。
真逆のものを並べれば並べるほど、お互いの存在は濃く、鮮明に浮かび上がる。
これは視覚的効果のひとつだ。
味覚もまた、同じだと言える。
甘いものをより甘くしたいなら、糖度を上げれば良い――もちろん妥当な方法だろう。
しかし、健康の観点からすると、それは必ずしも最善ではない。
そこで『明暗(名案)』を応用するのだ。
甘味に甘味を重ねても、実際の甘さは増さない。
では逆に――口に甘味を含む直前に苦味を先に与えるとどうなるか。
一度苦味で満たされた舌は、次に甘味を欲する。
そこに甘味を与えれば――落差により、
通常の二倍の甘味を感じられるのだ。
もちろん、この理論は視覚や味覚に留まらない。
人間に与えられた五感すべてに、この原理は適用できる。
興味があるなら、自分で試してみると良い。
私は、この理論を応用してコース料理を組み立てた。
前菜には、わずかにまずい前菜と通常の前菜を並べ、小さなコントラストを楽しませる。
スープでは、その差をさらに広げる。まずいスープと美味しいスープを同時に提供するのだ。
もちろん、まずい方を先に食べるのが理想だが、交互に味わい何度もコントラストを楽しむのも良い。
すべては客次第だ。
基本のコース順に従いながらも、私の工夫は一つ――同時に“マズい料理”を添えること。
従業員のほとんどは猛反対したが、私は無理やり押し通した。
結果、ほとんどの従業員が店を去った。
構わない。これは、私一人の戦いなのだ。
天才はいつだって理解されない。それで良いのだ。
理解されてしまえば、もはや天才ではなくなる。
噂は瞬く間に世界に広まった。
「とうとう頭が狂ったか?」
「いや、新時代の幕開けかもしれぬ!食べに行かねば!」
そういった声が、ネットの隅々まで飛び交った。
しかし、新シーズン当日から数日も経たぬうちに――
私の店は潰れた。
――終わり。