「偉央さんが……。ご両親から私と連絡が取れないのはどう言うことか? って問い詰められたら面倒かなって思ったの。向こうのお母さん、昼間に時々家の方に電話くださってたから」
結葉は家を出てしまっていたから、それには出られない。きっとそれが続けばキッズ携帯に電話が掛かってくるはずだった。
「あの携帯がどうなったのかは分からないけれど……。もし解約されていなかったとしても、私が出られないことに変わりはなかったから。家の電話にも携帯にも出られないとなったら……きっと色々変に思われるかなって思ったの」
偉央が下手に問い詰められて、離婚の危機にあるとあちらの両親にバレてしまったら。
もしかしたら偉央とゆっくり話し合う機会に恵まれなくなってしまうかも知れない、と考えてしまったのだと結葉は言った。
「もちろん、ご両親にも関係のあるお話だし、ずっと隠し通すつもりだったわけじゃないの。でも……ある程度は偉央さんとちゃんと話してからがいいって思っちゃったの。ワガママでごめんね」
眉根を寄せて悲しそうな顔をする結葉に、想は「何バカなことしてんだよ!」と思わなかったわけじゃない。
でも、そういう、どこか変なところで律儀なのが結葉だというのも分かっていたから。
喉元まで迫り上げてきたモヤモヤした気持ちを、表に出さないようにしてグッと飲み込んだ。
それに、当人同士で話し合う前に第三者に出てこられたくないという気持ちだって分からないわけじゃない。
「それで……御庄さんには番号――」
「教えてない」
偉央の両親も、まさか息子が妻の連絡先を知らないなどと思いはしなかったのか、現状義理両親から偉央に結葉の携帯番号が漏れてしまった気配はないらしい。
だけど。
「落ち着いたら番号変えような?」
想は思わずそう言わずにはいられなかった。
「え、でも……想ちゃん」
「嫌だったんだろ? 向こうの親からの電話」
ぶっきら棒につぶやいたら、結葉が言葉に詰まったみたいに押し黙った。
結葉を傷つけるような電話が掛かってきた以上、愛しい結葉にその番号を持たせ続けるのは、正直想が嫌なのだ。
それに、一度あちら側に伝えてしまった番号が、いつ偉央に知られないとも言い切れないのが正直容認出来なかった想だ。
さっき、離婚届を提出した以上、結葉はもう偉央の妻ではない。
想としては二度と他の男に好き勝手されたくはないというのが本音だ。
おそらく偉央は自分の親が結葉にそんな酷い言葉を投げかけたことを知らないんだろう。
偉央のマンションや、結葉の実家での、数回に渡る話し合いの最中も、今日離婚届を出しに行った時も、偉央の口からそんな話は微塵も出なかったから。
きっと偉央は事務的に淡々と、結葉と離婚することになったと両親に伝えただけなんだと思う。
離婚の理由をどう話したのかまでは分からないけれど、偉央が誰に憚るでもなく、惜しみなく結葉に慰謝料などを渡そうとしたことから鑑みるに、離婚の原因は自分だから、みたいには話していたのだろう。
だが、さすがに、偉央だって自分の親に妻を監禁していたなんてことは言わなかったんじゃないだろうか。
実際結葉だって偉央の両親にはもちろん、自分の親たちにですら、まだそのことは言えていないみたいだし。
だけど――。いや、だからこそ――。
偉央の両親はきっと、結葉の方にこそ原因があると思いたかったんだろう。
「婚姻中はとても良くしてもらっていたの」
さっきの結葉の口ぶりではしょっちゅう電話が掛かってきていたようだし、そうなのだろう。
実際、結葉は、偉央と二人きりで暮らすより、義父母と同居した方が気が楽なのではないかと思ったこともあるくらいだったの……とポロリと涙を落とした。
想は車を出そうと着けていたシートベルトを外して、助手席の結葉をギュッと腕の中に抱き寄せる。
「想……ちゃ?」
途端、腕の中で結葉が驚いたように小さくつぶやくのが聞こえた。
「お前は何も悪くねぇよ」
普通、結婚生活が破綻するとき、片方だけに百パーセント責任があるなんてことはない。
だけど、少なくとも偉央と結葉の場合は、旦那側にその割合が大きいのは明らかだ。
それに、結葉は美鳥への電話で言っていたじゃないか。
子供を持てなかったのは旦那が望まなかったからだ、と。
「なぁ結葉。子供が出来なかったのは旦那の意思だったって……」
――言わなかったのか?
そう続けようとした想に、結葉が腕の中でフルフルと首を振るのが分かった。
「何で……」
「私ね、偉央さんに首を絞められる前、『子供を作って、親子三人でやり直そう』って言われたの」
それは初耳だった想だ。
「は?」
思わずつぶやいて、結葉を抱く腕を緩めて彼女の顔をじっと見つめたら、結葉が泣きそうな顔をする。
「私ね、あんなに偉央さんとの子供が欲しかったはずなのに……言われた時、今更要らないのにって思ったの。だから――」
否定しなかったと言うのだろうか。
「けどそれは……」
「うん。言ってくれるのが遅すぎただけだってちゃんと分かってる。だって私、結婚してる時は偉央さんに何度も何度も『赤ちゃんが欲しい』ってお願いしてたもの。……きっとね、その頃に言われてたら心が動いてたと思う。――でも……あの時は。私、どうしても嫌だ!って思っちゃったの。それはまぎれもない事実だから」
想にはよく分からないが、その際偉央は結葉を引き止めるための足枷にするため、子供を欲しているようなことを言ったらしい。
そんな理由で子供を望む人と、幸せになれるとは思えなかったの、と結葉が悲しそうに微笑んだ。
「だったら尚のことそういう経緯全部ひっくるめてあっちの親に言ってやれば良かったじゃねぇか」
「……でも……想ちゃん。私、何だかんだ言っても……結局のところ偉央さんとの子供、欲しくないって思っちゃったんだよ? 孫を残せない嫁だって非難されても仕方ないかなって……思っちゃった」
結葉はそんな風に自分を責めるけれど、想としてはどうしても納得がいかない。
真実を知らないくせに結葉を悪者にして泣かせるなんてふざけんな!と思う。
でも――。
「こちらの理由はどうあれ……私はお義父さんとお義母さんに孫を見せてあげられなかった。それは紛れもない事実だから」
結葉は甘んじてその非難を受け入れると言うのだ。
「ねぇ想ちゃん。私も……いつかうちのお母さんや純子さんみたいな幸せなママになれるかな……」
想の腕の中、小さく縮こまって、結葉がポロポロと涙をこぼすから。
想は居た堪れない気持ちになって彼女をギュッと抱きしめた。
もう相手の親に言い返したとか言い返さないとか、そんなことどうでもいいと思って。
今はただただ、この腕の中で所在なく震える結葉のことを、誰よりも幸せにしてやりたい、と願うのみだった。
コメント
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結葉ちゃんは優しすぎるのよ。相手が悪くてもそれを全面に出さないのは性格よね。 絶対いいママになれると思う😊