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無名の灯 番外編

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無名の灯 番外編

20 - 第20話 まぶたの裏の静かな日差し(もしもの回)

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2025年07月20日

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駅のホームで電車を待つ、夏の午後。

蝉の声が耳の奥に焼きついて、どこか遠くでずっと鳴いている。日下部は、改札を出たばかりの遥の姿を見つけて、軽く片手を上げた。


「……よ」


遥は、少しだけ口の端を上げて、うなずいた。


二人とも、制服じゃなかった。今日は休みだ。日下部は黒のTシャツにカーキのジャケット。遥は白いシャツに、襟元を無造作に崩して、ジーンズ。人の視線をどこか避けるように歩く遥の後ろを、日下部はほんの少し距離を保ちながらついていった。


「どこ行くか、決めてんの?」


「……別に。歩くのがいい」


「それ、デートって言わなくない?」


遥は返事をしなかった。ただ、小さく息を吐いて、信号を渡る。


そういうやりとりが、嫌じゃなかった。何もかも分かり合おうとしない、けれど、決して切れない糸のような距離感。


商店街の細い道に入ると、ふと遥が立ち止まる。古い書店の前。中から冷房の風がふわりと漏れ出していた。


「寄る?」


「……ああ」


狭い店内。棚のすき間で二人、無言のまま本をめくる。日下部は詩集を手に取り、遥は絵本のコーナーにいた。子どもがいないことに、違和感はなかった。


「これ、持ってた」


遥が手にした絵本を見せてくる。あざとさもなく、ただ淡々と。


「壊れてたやつ?」


「うん。ページ、やぶれてた」


日下部は、遥の指先に視線を落とした。ふと、幼い頃の遥を想像する。その頃から、たぶん、静かに生きてたんだろうな、と思った。


「じゃあ、俺がそれ買ってやるよ。直して持っとけ」


「いらない」


「うるせえな。俺が欲しいっつってんだろ」


遥が目を伏せて、苦笑した。


店を出ると、陽が少し傾いていた。蝉の声はまだ続いている。日下部は自販機で缶コーヒーを買って、遥に一本差し出した。遥は受け取らなかった。


「……甘いの?」


「甘いやつも、たまにはいいんじゃね」


「おまえが?」


「いや、遥が」


少し沈黙があって、それから遥が缶を取る。


「……ありがとう」


一言だけ。陽炎の向こうで、遥の声が揺れていた。


──これが「もしも」の世界なら。


もし、誰かに脅かされることもなく、無理に笑う必要もないなら。


ただ、何の事件も、目撃も、加害も、ない世界なら。


二人は、こうして、日差しのなかで歩くだけでよかったのかもしれない。



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