テラーノベル
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日が落ちるのが早くなった。五時過ぎの街は、ビルの影が地面を長く這って、光と温度の境界を曖昧にしていた。
「……なあ、どっか寄ってくか?」
歩道橋の下で、日下部がポケットに手を突っ込んだまま、横目で遥に聞いた。
声はいつも通りだったが、ほんのわずかに語尾が持ち上がっていた。
「別に……」
遥は返事にならない返事をして、信号の赤を眺めた。
顔は見せないまま、少しだけ歩幅を緩める。
それが「行ってもいい」の合図だと、日下部はちゃんとわかっている。
寄ったのは、小さな喫茶店だった。
学校帰りの高校生には少し背伸びな空間で、二人とも黙ってメニューを開いた。
「それ、甘そうだな」
日下部が遥の選んだチョコレートパフェに目をやる。
「うるさい。……別にいいだろ」
拗ねたような口調。けれど、真正面からは怒っていない。
そのニュアンスを読み取って、日下部は肩を揺らして笑った。
「……甘いやつ、好きだったっけ」
「覚えてなくていい」
「いや、覚えてるよ」
返されたその言葉に、遥のまつ毛が少しだけ揺れた。
不意打ちのように、ほんのすこし、視線がぶつかる。
「……オレさ」
日下部が、冷めかけたアイスコーヒーのストローを弄びながら言う。
「別に、こーいうの得意じゃねえけど。おまえが隣にいるの、悪くない」
遥はパフェのスプーンを止めたまま、小さく眉を寄せた。
それから、目線を逸らして、つぶやく。
「おまえ、……なんでそういうこと、平気で言えんの」
「平気じゃねえよ。心臓バクバクしてるし」
「……」
遥は何も言わなかった。
けれど、パフェのグラスの向こうで、ほんの少しだけ唇が緩んでいた。
その夜、ふたりは寄り道をしたことを、誰にも話さなかった。
けれど、確かにその日――
一度だけ、空気がやわらかく、静かに結ばれていた。
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