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黒い軽騎兵の一群が、まっすぐ丘へ伸びた。
身軽な軽騎兵。
最後の追撃と突き込みのために温存していた、ゼイオンの矢尻だ。
丘の上で、ユンナが双眼鏡を握る手に力を込めた。
「……来ます」
サイラスは盤面から目を上げない。
「何騎」
「二百前後」
「予想通りです」
「軍師さま」
ユンナの声に、わずかな震えが混じる。
「本当に来ましたよ」
サイラスはようやく顔を上げた。
丘を駆け上がってくる黒の列。先頭にはゼイオンがいる。
「ゼイオンは完璧だ」
静かな声だった。
「左翼の穴を見逃すはずがない」
「1枚足らなかったんだよね~」
ユンナが唾をのむ。
「……でも」
「ええ」
サイラスは笑わない。
「そして彼は、僕が逃げると思っている」
風が吹く。青の将帥旗が、強くはためいた。
「戦わない軍師だからね」
コンナは丘の下を見た。
黒騎兵は一直線だった。こちらの“逃げ道”を読むように、その先だけを見据えている。
サイラスは静かに言う。
「だから来る」
一歩、丘の縁へ進む。
「この場所に」
そして、わずかに息を吐いた。
「僕を殺すために」
幕が風に揺れている。 兵はいない。
旗だけが残っていた。 ゼイオンが馬を止める。
「……遅かったか」 周囲を見渡す。
足跡。 轍。 撤退の痕。 ゼイオンは小さく笑う。
「やはり逃げたか」
「逃げるとしたら王都ではあるまい」
そのときだった。
少し離れた丘の向こうから声が響く。
「ユンナ」
その名を呼ぶ。
どこにもいないようで、どこにでもいる声が返った。
「いるよ」
「いまだ」
一拍。
「合図を」
ヒュウ――
鋭い音が空へ昇る。
花火。
弦が鳴った。
空気が裂けた。
矢の雨が将帥旗に降り注いだ。
最初の一瞬、誰も理解できなかった。
何が起きたのか。
ただ――
音だけが降ってきた。
次の瞬間、前列の騎兵がまとめて崩れた。
「――っ!」
悲鳴が、遅れて上がる。
馬が跳ねる。人が落ちる。矢が肉を裂き、骨に食い込み、盾を貫いた。
地面に突き立つ音が、無数に重なる。
黒騎兵の列が、そこで初めて歪んだ。
ゼイオンは、その中心で止まらなかった。
ただ、顔を上げる。
道が開けた丘。
ハリネズミのように矢が刺さった将帥旗。
青。
風に翻るその旗が、やけに鮮やかに見えた。
次の瞬間――
理解する。
(……あれか)
矢が、すべてそこへ向かっている。
いや、違う。
そこを基点にして放たれている。
扇状に。
逃げ道を塞ぐように。
正確に。
(標だ)
喉の奥で、わずかに息が漏れる。
(あの旗が、射の中心か)
陣幕が落ちた意味。
旗を隠していた理由。
すべて、ここで繋がる。
(見事だ)
わずかに、悔いがよぎる。
(気づくのが、半手遅れた)
空が鳴る。
再び矢が来る。
今度は違った。
“降る”のではない。
狙われている。
自分たちの進路。
速度。
間合い。
すべて読まれている。
「盾を上げろォ!!」
叫びが響く。
だが、矢はその上を越え、隙間に入り、背を貫いた。
騎兵がさらに削られる。
馬が倒れ、列が乱れる。
「左へ抜けろ!」
「だめだ、囲まれてる!」
逃げ道はない。
なぜなら。
青の旗を中心に――
この丘そのものが、射場になっている。
(……ならば)
ゼイオンの目が細くなる。
(サイラスはどこだ?)
矢の起点。
すべての計算の中心。
あの旗。
あの場所。
(ならば、サイラスはどこにいる)
そこだけが、この殺意の“核”だ。
「前へ出る」
低く言う。
「止まれば死ぬ」
槍を倒す。
視線は、ただ一点。
青の将帥旗。
「将帥旗より離れよ!」
一瞬。
兵たちの動きが止まる。
恐怖。
理解。
そして――覚悟。
「将軍に続け!!」
黒騎兵が、再び動き出す。
血路はある。
殺意の中心から。
離れるために。
白い火が青野ヶ原の空で弾けた。
その一瞬、戦場の誰もが空を見上げた。
次の瞬間だった。
「――まったく、いつまで待たせる」
しわがれた声が、どこかで響いた。
「見せ場をさらうのが遅いぞ、片腕」
リハクだった。
――あそこを抜く。
ゼイオンの号令とともに、黒騎兵が再び前へ出た。
矢の中を、突き進む。
馬が倒れ、仲間が崩れ、それでも速度は落ちない。
青の将帥旗。
あそこだけが、唯一の突破口だ。
その時だった。
背後から、地を打つ音が響いた。
ドドドドド――
規則正しい、重い足音。
騎兵ではない。
歩兵。
しかも――数が多い。
「……っ?」
振り返った兵の一人が、息を呑む。
そこにいた。
つい先ほど、自分たちが駆け上がってきたはずの坂道。
その道を埋めるように、王国の兵が押し寄せてくる。
盾を並べ、槍を構え、整然と。
逃げ道だったはずの道を、完全に塞ぐ形で。
先頭に立つ男が、一歩も揺れずに進んでくる。
ローガン。
無言のまま、ただ前を見る。
「どこに……そんな兵が……」
誰かが、呟いた。
その声には、すでに恐怖が混じっていた。
挟まれた。
前は矢。
後ろは壁。
左右は死角からの射。
完全な――
殲滅陣。
その中心で。
ゼイオンは、ふと笑った。
(……なるほど)
すべてが繋がる。
丘。
旗。
隠された弓兵。
そして――この地形。
(これは要塞ではない)
城でも、陣地でもない。
(外の敵を防ぐためにつくられたものではない)
守るための構造ではない。
ここは――
(中に入った敵を、殺すための処刑場だ)
その瞬間。
初めてだった。
盤の外にいると思っていた自分が、
駒として置かれていたと理解したのは。
恐怖ではない。
だが、確かにそれに近い何か。
(……だがもういい)
次の瞬間には、それすら踏み潰す。
目が、さらに鋭くなる。
「包囲されたか」
静かに言う。
周囲の兵が息を呑む。
「ならば、なおさらだ」
槍を構え直す。
視線は変わらない。
青の将帥旗。
「前を抜く」
後ろは捨てる。
左右も捨てる。
ただ一点。
そこだけを貫く。
「――俺に続け」
その声に、迷いはない。
そして黒騎兵は。
完全な死地の中で。
なお、前へ踏み出した。
王国本陣で起きた異変は、
丘の上にありながら――戦場の誰の目にも明らかだった。
あまりにも露骨だった。
丘の上へ。
無数の矢が、吸い寄せられるように飛来していく。
誰も、理解できなかった。
なぜあそこに。
なぜあの数で。
何が起きているのか。
ただ一つ、確かなのは――
あそこが、死の中心だということだけだった。
逃げ場を失った黒騎兵たちは、次々と射抜かれていく。
速度を落とした瞬間、終わる。
盾を上げれば、その隙間を貫かれる。
倒れた馬に乗り上げ、列は崩れ、さらに矢が突き刺さる。
血が地を染めた。
それでも、突き進もうとした者たちがいた。
血路を開こうと、隊を割り、横へ逃れようとした騎兵たち。
だが。
その先には、すでに壁があった。
坂を塞ぐ王国兵。
盾と槍が、無言で道を閉ざしている。
先頭に立つローガンは、一歩も引かない。
突っ込んできた騎兵を、正面から叩き落とす。
その脇で。
影のように現れた男が、一閃で首を刎ねた。
リハク。
逃げ道に入った者から順に、刈り取っていく。
左右は矢。
後ろは壁。
前は――
殺意の中心青の旗。
そのすべてが、繋がっていた。
戦場にいた誰もが、ようやく理解する。
戦いが終わろうとする瞬間が
きたことを
矢の雨を抜けてきたのは、一騎だけだった。
血に濡れた馬。
折れかけた槍。
そして――
ゼイオン。
丘の上、本陣。
その中央に、サイラスは立っていた。
動かない。
逃げない。
ただ、そこにいる。
ゼイオンは馬を止めた。
数歩の距離。
その間に、誰も割って入らない。
入れない。
風が、旗を揺らす。
青。
その下で、二人は向き合った。
「味方に将帥旗を弓で撃たせたのか」
ゼイオンが言う。
声は静かだった。
怒りも、焦りもない。
「ええ」
サイラスもまた、静かに答える。
「最低だな、お前」
わずかな沈黙。
ゼイオンは、周囲を一瞥した。
倒れた騎兵。
矢に覆われた地。
塞がれた坂。
逃げ場のない陣。
そして、目の前の男。
「見事だ」
短く言う。
「最初から、ここまで連れてくるつもりだったか」
「はい」
サイラスはうなずく。
「あなたは私をここで殺さないと」
「戦いが終わらないことを知っていた」
そこで、わずかに目を細めた。
「だけど」
「私もあなたを殺さないと」
「逃げきれないことも知っていたんです」
ゼイオンは笑った。
ほんの少しだけ。
「……そうか」
納得したように。
そして。
「ならば」
槍を構える。
折れかけたそれを、なお真っ直ぐに。
「見逃してもらえまいか」
サイラスは、首を振る。
「いえ」
「戦いは」
一歩も動かずに言う。
「すでに終わっています」
その言葉に。
初めて、ゼイオンの目がわずかに細くなる。
「――そうだな」
戦場は、すでに終わりを告げていた。
盤上の駒がひっくり返るように、帝国の陣は音もなく崩れていく。
兵たちは、もはや命令を待たなかった。
それぞれが、生き延びるために退き始める。
皇帝はラディスに守られ、戦場を離脱した。
それを追うように、グラントもまた戦線を放棄する。
前線で戦っていたヴァルドは、すべてを悟った。
しばし空を見上げ――
何も言わず、兜を地面に叩きつける。
そしてそのまま、ガイロの前に歩み出た。
剣を捨てる。
降伏だった。
一方で。
追撃に移ろうとしていた部隊に、トーソーの命が走る。
「追うな」
短い一言。
「負傷者を優先しろ」
その声に、兵たちは足を止めた。
勝ちは、すでに確定している。
これ以上の血は、必要ない。
戦場に、初めて“静けさ”が戻り始めていた。
認めた。
敗北を
完全に。
だが。
それでも。
「だからこそ、だ」
一歩、踏み出す。
地面を踏みしめる。
血の中を。
矢の中を。
死の中を。
「最後までやる」
その声は、静かで。
だが、戦場のどこよりも重かった。
サイラスは、わずかに息を吐いた。
「……あなたは」
言葉を選ぶ。
「戦場のルールに従う人ではなかったのですか」
「本当に、面倒な人ですね」
そして。
ほんの少しだけ、笑った。
「でも」
その目は、冷たいまま。
「だから、ここで死んでもらいます」
その瞬間。
空気が、変わった。
次の瞬間だった。
ゼイオンの身体が、わずかに揺れた。
――遅れて。
前へ、崩れ落ちる。
地に手をつき、膝が折れる。
そのまま、ゆっくりと倒れた。
背中。
首の付け根。
そこに、一本の矢が深々と突き立っている。
音は、なかった。
ただ、すべてが終わっていた。
サイラスは、動かない。
ただ、その光景を見ていた。
ゼイオンは、まだ息があった。
わずかに顔を上げる。
その視線が、まっすぐに向く。
丘の上。
青の旗の下。
ひとりの弓兵。
ユンナ。
弓を引き絞ったまま、動かない。
風が、髪を揺らす。
二人の視線が、ほんの一瞬だけ交わる。
言葉はない。
だが。
それで十分だった。
ゼイオンは、わずかに笑った。
そして。
力が抜ける。
身体が、完全に地へと沈んだ。
「……これで、終わりです」
「これは、なんじゃ」
レイナが一枚の紙をひらりと掲げた。
サイラスの顔が、わずかに引きつる。
そこには、拙い文字と子どもの絵でこう書かれていた。
「れいなじょうおう、えすかみおさま
ごけっこんおめでとうございます
おしあわせになってください
こどものなまえは
わたしとおなじあんなが
いいとおもいます」
沈黙。
サイラスは、こほんと咳払いをする。
「えーと……それはですね」
視線が泳ぐ。
「説明させてください」
レイナの目が細くなる。
「もとはといえば――王様がですね」
「ほう?」
「即位式のときに来られた女王が、エスカミオ殿のことを気に入ってるんじゃないかなーと」
「お似合いだなとか言ってたような」
ヨシュア王がレイナ女王の顔色を窺っている。
サイラスは勢いよく王を見る。
「そう言ってましたよね?」
「そうだったか、知らんぞ、わしは」
即答だった。
王は咳払いを一つして、いかにも他人事のように続ける。
「なぜ、妾のあずかり知らぬ婚姻を、妾の国の子供が祝っておるのじゃ」
後方で。
スカーレットの女性たちが、ぱっと華やいだ。
「えっ、やっぱりそうなの?」「素敵……」「いつ式なのかしら」
ひそひそ声が、一気に広がる。
レイナが、じろりとサイラスを見る。
「まさかとは思うが」
低い声。
「これも、おぬしの策だとは言うまいな?」
「えーっと……」
サイラスは天井を見た。
「婚姻話が出ているくらいなら、両国が戦争になるとは思われないかなーと」
視線を戻す。
「それで、スカーレット国に話を持っていったら……」
ちらりと横を見る。
「お国のみんな、すごく乗り気で」
「あれよあれよと」
「あっというまにひろまっちゃって」
「ねっ、そうだったよね、ユンナ」
「私知らないしー、いわれた手紙を落としてきただけだしー
それとは関係なかったはずだし―」
さらりと言う。
レイナは腕を組んだ。
サイラスの顔が引きつる。
(完全包囲なのか、逃げ道は無いのか…)
「で、
その策はいつ成就するのじゃ」
「
** 戦えぬ軍師は妾の婚姻をも操る**
のであろう」
女王はその美しい微笑みを軍師に投げかけた
fin