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『何であの子は死んじゃったの? 何で、何で?』
『受け入れられない気持ちは分かる。だが……ああ、あんまりだ』
お父さんとお母さんの声が聞えた。こそこそと、暗い部屋で肩を抱き合って泣いている声が聞えた。朧気な記憶。そして、私の記憶には全くその時のことが残っていない。もしかしたら、私は記憶の何処かにそれをしまっているか。あるいは、知っているが当時小さすぎたせいで記憶として記憶していないか。
どちらにせよ、二人からは、悲しみのオーラが溢れていた。まだ、物心つく前の私の記憶。
『あの子には頑張って貰わなくちゃいけない。あの子の分まで生きないと。人一倍じゃなく、何倍も頑張って貰わないと。死んだあの子に顔向けできないじゃない』
『そうだな。あの子は厳しく躾けないとな。一人生き残ったんだから、あの子は死んだあの子の分まで頑張って貰わなくちゃいけない』
そう壊れたレコードのように何度も同じ言葉を繰り返す。
あの子とは誰なのか。片方は私なのだろうと思っているが、もう片方が分からなかった。あの子の分まで頑張って貰わなくちゃいけない。そうじゃないと、生きている意味が無いと。そういう風に聞えた。
ああ、それからだったか。
『お母さん見てみて、98点。頑張ったんだよ』
『100点じゃ泣きゃ意味ないでしょ。それに、凡ミスじゃない。よくこんなものを嬉しそうに見せることが出来たわね。貴方ってそうだから、いつまで経ってもダメなのよ』
お母さんはそれが口癖だった。
私は出来ない子と烙印を押して、でも努力を怠るなと言ってきて。私の事なんてちっとも興味無いくせに、頑張れ頑張れと言ってくる。子供の頃の私は純粋だったから、頑張ったらいつか認めてもらえるんじゃないかと……そう思って努力した。
でもその努力は無駄だった。
私は誉めてもらえることもなくなって、両親は家に帰ってこなくなって。帰ってきている痕跡はあったけれど、私と顔を合わせようとしなかった。100点を取ったテストを机の上に置いておいても、見向きもしないようだった。
スポーツはできなかったし、これと言って芸術のセンスもなかった。でも、ピアノは好きだったから続けていた。それすらも、両親は否定した。
否定とダメな子と言われ続けて、精神がすり減っていた。私の存在価値は何処にもないと、そう思っていた。
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――――――――
「……ッ」
目が覚める。
悪夢を見ていた。小さいときの、思い出したくない悪夢を。身体を起こせば、頭がズキンと痛み、パジャマも汗でぐっしょりになっていた。呼吸が乱れていたため、私は何とか肺に酸素をおくって、呼吸を整える。
嫌な夢。頭が痛い。
「はあ……はあ……何で」
何で、こんな時に両親の夢なんて見たんだろうか。ここに来てから、初めのうちは、昔の夢に魘されていたけれど、最近はそんなことなかった。かといって、夢を頻繁に見るようなタイプでもないため、時々見る夢はこんな悪夢ばかりなのだ。最悪なことに。
私は、頭を押さえた。両親の声が、ここにはいない両親の声が頭の中に響いていたから。
『お前はダメな子。お前はあの子の分まで生きないといけない。そうじゃないと、生きている意味が無い』
そう、両親が言うんだ。
(あの子って誰? 私は、私なりに努力したじゃない)
勉強もピアノも。それでも、見向きもしてくれなかったのは両親だったと。私は悪くない、何もしていない。中学で虐められても問題を起こさなかった。言わなかった。言ったところで変わらないと思っていたけれど、私の鞄とか見て悲惨な状態だったことぐらい把握していたはずだ。
もしそうじゃないなら、救いようのない無関心だったと言うだけだ。
「……もう、いないのに、何で」
死んではいないだろう。あっちでは。あっちの世界がどうなっているか、戻ることが出来るのかとか考えるけど、戻る気は無かった。戻ってもいいこと何てなかった。こっちだって、辛いことも多かったけど、私を支えてくれる人がいる。なら、私は此の世界に居続けたかった。私を必要としてくれる此の世界を。
(まあ、といっても……こっちの世界が滅茶苦茶いいですーって訳じゃないんだけど)
現に、信頼を置いていた騎士には裏切られて、妹も闇落ちして精神がかなり参っていた。このままじゃ壊れてしまいそうだったのだ。
でも皆忙しいし、災厄のことや混沌、それぞれの悩みや苦悩があってこれ以上迷惑を掛けられないとも思う。だから、自分で抱えられる分は抱えないといけないと思った。
そう思って笑顔を繕っていたが、それも限界だったのかも知れない。
だから、今日、こうして悪夢に魘されたんだと。
私はベッドから降りた。ひんやりと足の裏に冷たさが広がっていく。災厄のせいで、年中温かいこの帝国の気温は下がってしまった。昼間よりも夜の時間の方が長いし、星も転々としか出ていない。月だって出ない日がある。そんな暗闇の世界にいる。響くのは私の足音だけで、周りに誰もいないことが分かった。皆寝ているだろう。警備で巡回している騎士達はいるだろうが、それを除けば、皆寝ているに違いない。
まあ、そんなことはどうでもよくて、こんな真っ暗闇の中に居たらさらに気が狂ってしまいそうだった。
(何か、明るいこと考えないと)
仄かに差し込んでいた月明かりを頼りにベランダの方へ歩いて行く。光を求めて歩いた。
「……あの子、あの子……」
悪夢の中で、両親は言う。
あの子、確か名前は『廻』だったか。聞き覚えのないその名前を、私の記憶にある限り探したが、見当たらなかった。女の子か、男の子かも分からない。ただその名前の響きは何処かで聞いたことあるような、なじみ深い、懐かしいものだった。
「……暗いなあ」
少し立て付けの悪いベランダの窓を開けて私は外へ出た。月明かりはぼんやりと地上を照らしていたが、その光は薄い雲に覆われて、あまりその光を届けることが出来ていないようだった。何というか悲しい感じがする。
混沌のこと、グランツやトワイライトのこと。問題が次から次へと現われて、それを消化しきれずに蓄積されていく。何処から手を付ければいいのか、自分に何が出来るのか。考えても、答えは出なかった。
見栄張って、頑張る、任せておいて。何て言うけど、実際の所不安で仕方ない。逃げ出したい気持ちで一杯だった。
(こんなんじゃダメなのにな……)
リュシオルや、リースに私は変わったと言われた。確かに、最近、自分でもそうなんじゃないかと自覚している。自分は変わったと。でも、根本的なところは変わっていなくて、逃げたい、目をそらしたい。そんな弱い自分がたまに顔を出してしまう。引っ込んでくれと思えば思うほど、一緒に逃げようと弱い私が私の手を引く。
逃げても、きっと逃げ場なんて無い。
「寒いから……寝よう」
ひゅうう……と吹いた風が、薄いパジャマを通り抜けて私の身体を冷やす。私は身震いし、踵を返す。また目を閉じたらあの悪夢が蘇ってきそうで、寝ることが怖くて、でもこの闇も怖かった。怖くてその場から動けずにいれば、ストンと何かがベランダに降りてくるのが背中越しに分かった。
「だ……」
「しー、声出すなよ。バレちまうだろうが」
「あ、ありゅべど」
「よお、エトワール。寂しそうな顔しやがって、俺に会えないことか悲しかったのか?」
と、振返るとすぐに口を塞がれ、その満月の瞳に射貫かれる。空に浮かぶ月よりも光輝いているものがそこにはあった。紅蓮も、仄かな月明かりを浴びて輝いている。
(え、え、何でアルベドがここに?)
ここは皇宮だし、三階だし。何でアルベドがここにいるのか分からなかった。闇夜に紛れるその漆黒の服は、まるで不法侵入するための服みたいに見えて仕方がない。でも、思えばアルベドはいつもそんな服を着ていると思って、一人納得した。
(でも、ここ皇宮! 本当に見つかったら不法侵入罪で捕まるって!)
幾らアルベドでも、皇宮に招かれてもいないのに足を踏み入れたら不法侵入罪で捕まるのでは無いかと思った。というか、それを分かっていて、声を出すなって言ったんだろうけど、それにしても、相変わらずどこからともなく現われると。
でも、何故か安心している自分がいた。
「アルベド」
「んだよ。エトワール……って、お前泣いて……」
アルベドは、私を見るとぎょっと目を剥いた。いつの間にか、ぽろぽろと私の目から涙が零れだしていた。