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ガタガタと、一定の周期で繰り返される大型バスの不快な振動が、今の私の、粉々に砕け散りそうな不安定な心を代弁しているようだった。
窓の外を飛ぶように流れていく、藍色に染まり始めた山並み。合宿所が遠ざかるにつれて、普通なら重圧からの解放感に息をつくはずなのに、私の隣に隙間なく密着して座る「彼」の、異常なほど高い体温が、それを一寸たりとも許してはくれない。
(……怖い。……角名先輩が、どうしようもなく、怖い……っ)
膝の上に置かれた私の右手は、角名さんの、長く節くれだった大きな掌の中に、指の一本一本まで逃げ場なく閉じ込められている。
彼はスマホをいじるフリをして画面を眺めながら、空いた指の腹で私の手の甲の、皮膚の薄い場所をゆっくり、ゆっくりと、何かを削り取るような手つきでなぞり続けている。その動きは、まるで獲物の皮を丁寧に剥ぐ準備をしている捕食者のように執拗で、一片の慈悲も感じられなかった。
「……ねぇ、紬。さっきから、ずっと窓の外ばっかり見てるね。……俺の顔、見るのも嫌になった? ……それとも、あの男のことでも思い出してんの?」
低く、温度を完全に失った、地を這うような声。
バスのエンジン音と、他の部員たちの微かな寝息に紛れて、彼にしか聞こえない、そして私の鼓膜に直接毒を注ぎ込むような、逃走を許さない囁き。
「っ……、……そんなこと、ありません。……少し、合宿の疲れが、出ただけ、です……っ。……離して、ください……っ」
「嘘。……君、俺に触られるたびに、ビクビクして、身体を強張らせてる。……あんなゴミみたいな男に連絡先渡されそうになった時は、もっと嬉しそうな、期待に満ちた顔してた癖にさ」
角名さんは、繋いだ指にぐいと、骨が軋むほどの力を込めた。
ミキッ、と指の節々が鳴るような錯覚。痛い。けれど、それ以上に、私の心が悲鳴を上げていた。
私は、彼のことが好きだった。
クールで、誰にも媚びず、何を考えているか分からないあのミステリアスな「攻略不可」の先輩に、純粋に憧れていた。
けれど、今私の隣に座っているのは、私の友人関係を指先一つで断ち切り、スマホの中身を暴き、誰かに見られそうな場所でさえ、見せつけるように私の肌を汚してくる、独占欲という名の化身だ。
(これは、本当に……私が望んだ『愛』なの……?)
制服の襟元の下、更衣室で新しく、深く刻まれた噛み跡が、心臓の鼓動に合わせてジンジンと拍動するように痛む。
彼に愛されれば愛されるほどに、私は「四ノ宮 紬」という一人の人間を、砂が零れ落ちるように失っていく。
人格を消され、「角名倫太郎の所有物」という無機質なラベルを貼られた、ただの動く器になっていくような、底知れない恐怖。
「……ねぇ、紬。……黙って、何考えてるの。……まさか、ここから逃げようなんて、マヌケなこと考えてないよね?」
角名さんがスマホを無造作にポケットにしまい、私の顔を覗き込んできた。
睫毛が触れ合うほどの至近距離。三白眼の奥にあるのは、私の思考のすべてを透かして暴こうとする、粘りつくような暗い熱。
「……もし、俺から逃げようなんて一瞬でも考えたら。……その時は、本当に君を再起不能になるまで壊して、一生、俺の部屋から出られないようにしてあげるから。……分かってるでしょ? 君に拒絶権なんてないんだよ」
彼は私の震える指先に、逃走を封じる契約を交わすように、深く、冷たく、そして執拗なキスを落とした。
窓の外、夜の闇がすべてを飲み込んでいく。
私は、彼の腕の中で、彼を「好き」だと思い込もうとする自分と、今すぐこのバスから飛び降りて逃げ出したくて堪らない自分との間で、音を立ててバラバラに引き裂かれそうになっていた。
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