テラーノベル
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放課後の図書室。
窓の外からは、部活動に励む生徒たちの遠い掛け声や、ボールが床を叩く乾いた音が微かに響いてくる。けれど、背の高い本棚が幾重にも重なり、迷宮のように入り組んだこの「一番奥の席」だけは、空気そのものが絶対零度の氷に閉じ込められたような、不気味な静寂に支配されていた。
私の目の前には、一時間前に広げられたまま、一度もページを捲られることのないノートが虚しく横たわっている。
そしてその真横、視界の端には、頬杖をつきながら、獲物の喉元を品定めするような昏い三白眼で私をじっと見つめ続けている、角名倫太郎。
「……ねぇ、紬。さっきから一文字も書いてないよね。何、俺に触られたとこ、まだ熱くて集中できないわけ?」
低く、どこまでも平坦で、それでいて鼓膜の奥をじりじりと焼くような湿度を孕んだ声。
彼は机の下で、私の膝の上に自分の大きな、節くれだった手を無造作に置いた。
(ゾクッ……!)
ビクッ、と身体が大きく跳ね、拒絶の震えが走る。その目に見える反応を確認した瞬間、彼の瞳の奥に、ドロりとした、どす黒い愉悦の色が浮かび上がるのを私は見逃せなかった。
「っ……、角名、さん……。もう、……もう、やめてください……っ。お願い、です……っ」
絞り出した声は、自分でも驚くほど細く、頼りなく震えていた。
合宿から戻って以来、私のプライベートは粉々に粉砕された。スマホは常に彼に検閲され、休み時間のたびに教室の入り口には彼の監視の目が光り、肌には服で隠しきれないほどの「独占の痕跡」を増やし続けている。
「好き」だったはずの、あのミステリアスな先輩は、いつの間にか、私の自由と人格を根こそぎ奪い尽くす、残酷な「支配者」に成り代わっていた。
「……やめて? 何を。俺がこれだけ時間を割いて、君を愛してあげてるのを、拒否するってこと? ……誰のおかげで、君が他の男に汚されずに済んでると思ってるの」
角名さんはゆっくりと椅子を引き、不快な金属音を立てて私を本棚の壁へと、じりじりと追い詰めるように距離を詰めてきた。
逃げ場はない。
背中を冷たく硬い本棚の角に押し付けられ、古い紙の匂いと、彼の放つ圧倒的で、逃走を許さない独占欲の香りに肺が押し潰されそうになる。
「……怖いんです。……角名さんの今の愛し方、私……自分が壊れていくのが分かって、……怖い、です……っ!」
初めて明確に、心の底から叫んだ拒絶の本音。
けれど、それを聞いた角名くんは、傷つくどころか、獲物を絶望の淵まで追い詰めた捕食者の喜びを隠そうともせずに、低く、低く、喉を鳴らして笑った。
「……怖い? いいじゃん。もっと怖がってよ。……俺のこと怖くて、俺のことしか考えられなくなればいい。……君の頭の中の記憶、全部、俺の恐怖と熱だけで塗り潰してあげるから。……ほら、こっち向いて」
角名さんの、長く骨ばった白い手が、私の喉元にそっと、羽が触れるような軽さで添えられた。
力を込めているわけではない。けれど、指先一つで私の呼吸を、命を、いつでも止められるという、絶対的な「生殺与奪」の誇示。
「いい、紬。……俺から逃げようなんて、そんなマヌケなこと、一生考えないで。……もしそんな兆候が一瞬でも見えたら。……その時は、本当に君を再起不能になるまで壊して、俺の部屋のベッドに繋ぎ止めて、一生、外の世界が見えないようにしてあげるから。……分かってるでしょ?」
耳元で、牙を剥くような冷徹な警告。
彼の指が、私の首筋に残る「合宿の噛み跡」を執拗になぞり、今日の分として新しく、深く、自らの存在を刻み込もうと、沸騰するような熱い唇を押し当ててくる。
「……っ、……やだ、……あ……っ、誰か、……っ!」
「……だめ。助けなんて来ないよ。……拒絶権なんて、最初から一秒もあげてないでしょ」
攻略不可だった、あの美しかった境界線。
そこはもう、ただの「恋」ではなく、底なしの「執着」という名の、二度と這い上がれない地獄へと繋がっていた。
l 。 l 🏐
私は、彼の逞しい腕の中で、震えることしかできない「角名倫太郎専用の玩具」として、再び深い、深い暗闇の底へと引きずり込まれていった。
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