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めんだこ
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ランタンの火も、心なしか小さくなってきた頃。
「——そろそろ寝るか」
ダリウスがひとつ大きく伸びをした。肩や背中の骨が、ぱきぱきと年季の入った音を立てる。
「そうだな」
オットーも立ち上がり、腰をぐるぐると回す。
昼間の指圧の名残りで、妙に可動域が広がっているらしく、どこか誇らしげだ。
エドガーも魔導書の手入れを終えたようで、栞を挟み、ぱたりと表紙を閉じて小さく頷いた。
「ミラ、ちょっといいかしら?」
エリーが、焚き火——の代わりに置かれたランタンの向こう側から、柔らかく声をかける。
「……うん」
さっきまで笑っていたミラの顔から、一気に色が引いた。
視線が足元に落ち、指先が小さく震える。
「どうした?」
ダリウスが眉をひそめるが——。
「女同士のお話よ」
エリーはくるりと振り返り、いたずらっぽくダリウスにウィンクを飛ばした。
中年二人の警戒心を軽くいなすための仕草だと分かる。
ミラの肩にそっと手を置き、岩陰へと歩いていく。
野営地の喧騒から、ほんの少し外れた場所。
渓谷を渡る風の音だけがする、細長い影の帯の中で、エリーは立ち止まった。
「——袖、まくるわよ」
声の調子が変わっていた。
先ほどまでの軽さはなく、仕事に向かう治癒師のそれだ。
ミラは俯いたまま、小さく肩を震わせる。
「…………」
抵抗はしなかった。ただ、ゆっくりとローブの袖を押し上げる。
ランタンの淡い光が届く範囲に現れたその腕は——
手首から肘、さらに肩の手前に至るまで、じわじわと灰色に染まり、石のように冷たく硬くなっていた。
まだ皮膚の色が残る境界線が、くっきりと浮かび上がる。
そこだけが、かろうじて“人間”であることを主張している。
「……やっぱりね」
エリーは長く息を吐いた。
悲しみと苛立ちをないまぜにした色が、その瞳に宿る。
「嫌な予感はしていたわ。奇跡の行使だけじゃない……ただの“加護”でも、広がるのね」
指先がそっと、灰色の部分に触れかけて、途中で止まる。
冷たさを知っている手つきだった。
沈黙が落ちた。
岩陰は、野営地から少し外れているだけなのに、別世界みたいに静かだった。遠くのほうで、誰かの笑い声と鍋を洗う音が、うっすらと響いている。
「…………治すわ」
ミラが、俯いたまま、ぽつりとこぼした。
小さな声だった。でも、はっきりと届く声だった。
「あなた……?」
エリーの目が、驚きと怒りで大きく見開かれる。
ミラはゆっくり顔を上げた。潤んだ瞳が、まっすぐエリーを射抜く。
「治すって、決めてるから」
その言葉には、子どもじみた無謀さと、どこまでも真っ直ぐな決意が同居していた。
「ここからは私が治すわ」
エリーがたまらず一歩踏み出し、ミラの両肩を掴む。指先に力がこもり、細い肩がぐらりと揺れた。
「確かに、あなたには遠く及ばないけど、一通りは加護を使える。だから——」
そこまで言ったところで、ミラが首を振る。
視線は逸らさない。まっすぐエリーだけを見ていた。
「それじゃ、ダメだよ」
子どもの声なのに、言い方だけは大人びている。
「みんないつも体を張って戦ってる。私のために体を張ってるんだよ? 私の石化を治す薬を探すために、いっぱい、いっぱい頑張ってる。今日だって……エドガー、あんなふうに自分から矢の前に出たじゃない……」
ミラの喉が震え、一度言葉が詰まる。
それでも、必死に絞り出すように続けた。
「そんな私が、体を張らないで……どうするの」
「あなたはまだ子どもよ!」
エリーの声が、鋭く跳ねた。
「そういうのは大人が——あの中年どもと私がやればいいの! あなたまで身を削る必要なんてない!」
「エリーじゃダメ!」
ミラも負けじと声を張り上げる。二人の声が、岩肌に反響してはね返った。
「治す時、きっと痛いでしょ? 時間もかかるでしょ? 私なら、一瞬で完治させられる!」
エリーの表情が、ぐっと歪んだ。
「……っ。確かにそうよ」
くやしさを噛み殺すように、歯を食いしばる。
「あなたの加護が規格外なのは、認める。認めるけど——精神が未熟よ。才能に振り回されてるだけじゃない」
「それが、どうしたのよ!」
ミラは、石化しかけた腕を力いっぱい横に振った。灰色に染まりつつある皮膚が、ランタンの光を鈍く弾く。
「私は治す。全部治す。ダリウスも、オットーも、エドガーも……誰も死なせたくないの!」
言葉のひとつひとつが、無茶で、危うくて、それでもまっすぐで。
エリーは一瞬、言葉を失った。
それから、ふっと息を吐き、踵を返す。
「……これ以上は平行線ね」
背中越しに、冷静な声だけが落ちてくる。
「次使ったら、あいつらに言うわ」
ミラの指先が、ぎゅっと握りしめられる。震えが、腕から肩へと伝わっていく。
「っ……」
エリーは振り返らない。テントの灯のほうへ、迷いのない足取りで去っていく。
小さな背中が影に溶けて見えなくなったところで——。
ミラは、その場にへたり込んだ。
石の冷たさが、ローブ越しに伝わる。膝の上で握りしめた手の甲に、大粒の涙がぼとぼと落ちた。
「だって……」
しゃくり上げながら、子どもの声がこぼれる。
「怪我、みんな、するから……」
視界が涙でぼやける。エドガーの血、ダリウスの傷、オットーの悲鳴——頭の中で全部が渦巻いた。
「私が治すから……」
震える声は、どこまでも真っ直ぐで、どこまでも幼かった。
「それがダメなの……?」
答えてくれる大人は、今はいない。
渓谷の風だけが、ミラの頬の涙を、そっと冷やしていった。