テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
法官に連行されていくカシウスとマリアの無様な背中を、私は冷めきった目で見送った。
その後
ジェイド様の迅速かつ完璧な手回しにより、事態は一気に収束へと向かう。
私の持参金で維持されていた屋敷の所有権は、正当な手続きを経て正式に私へと戻った。
カシウスは貴族としての地位も名誉も、そして全財産を失って放り出され
マリアもまた実家から絶縁を言い渡された。
彼女には多額の賠償金という重い鎖が課せられ
二人は二度と這い上がれない屈辱とともに、社交界から永遠に追放されたのだ。
こうして、私はようやく、自分があるべき場所……あの屋敷へと戻ってきた。
「……静かね」
取り戻した広々とした屋敷の食堂
窓から差し込む陽光に照らされ、磨き上げられた床や整えられたカーテンが、かつての日々と変わらぬ輝きを放っている。
家を追い出されたあの日、ここが私の世界のすべてで、取り戻したくてたまらなかった場所。
けれど、実際に一人で戻ってみて気づいたのは
独りで飲む紅茶は、ジェイド様の屋敷で彼と語らいながら飲んでいたものよりずっと味が薄く、味気ないということだった。
(私は……あの生活に、ジェイド様に、あんなに救われていたのね)
復讐という大きな目的を失った後の屋敷は、驚くほど広すぎて、ひどく孤独だった。
新しくメイドを雇い、生活を整えても、胸にぽっかりと開いた穴は埋まらない。
彼に会いたい。その想いは日増しに強くなる。
でも、用事もないのに侯爵家を訪ねるなんて、厚かましいと思われないだろうか……。
そんな悶々とした日々を過ごしていたある日の午後。
メイドが「ジェイド・アシュフォード様がお見えです」と、弾んだ声で告げに来た。
私は心臓が跳ね上がるのを感じ、椅子から弾かれたように立ち上がると、玄関へと駆け出した。
「ロゼッタさん、突然押しかけて申し訳ありません」
そこには、あの日と変わらない、穏やかで気品に満ちた笑顔を浮かべるジェイド様の姿があった。
その姿を見ただけで、視界がぱっと明るくなったような気がした。
「いいえ! お元気そうでなによりです。…今日は、どういったご要件で……?」
「実は……来週末に『花祭り』という伝統的なイベントがあるのですが。もしロゼッタさんさえよければ、私と一緒に参加していただけませんか?」
花祭り。
この国に古くから伝わる春の催しだ。
聞いたことはあるけれど、具体的に何をするのかまでは詳しく知らない。
でも、彼からの誘いを断る理由なんて、私の中には一つも存在しなかった。
「なんだか楽しそうなイベントですね。ぜひ、ご一緒させてください」
「よかった。では、当日の朝にお迎えに上がりますね」
嬉しさのあまり、舞い上がっていた私は、肝心の「花祭りがどのような行事なのか」を詳しく聞き忘れてしまった。
まあ、街のお祭りなのだから、きっと屋台が出たりパレードがあったりする、賑やかで楽しいものなのだろう……。
そう軽く考えていた私は、その祭りが持つ「真の意味」を、まだ知る由もなかった。
◆◇◆◇
そして迎えた、花祭り当日───…
街は朝から溢れんばかりの色鮮やかな花々と、風に踊るリボンで飾り立てられ
まるで魔法にかけられたような美しさに包まれていた。
エスコートしてくれるジェイド様は、いつも以上に凛々しく、仕立ての良い上着を完璧に着こなしている。
すれ違う女性たちが思わず足を止め、振り返るほどだった。
「……ロゼッタさん、こちらへ。少し静かな場所へ行きましょう」
賑やかな広場を抜け、私たちは噴水のある小さな静かな庭園へと辿り着いた。
そこには、花冠を手にした男性たちが、愛おしそうに女性の頭にそれを乗せている姿がちらほらと見受けられた。
その光景は、どこか神聖で、甘やかな空気に満ちている。
「ロゼッタさん。こちら……受け取っていただけますか?」
ジェイド様の手には、鮮やかなピンク色の薔薇が六本、丁寧に、そして力強く編み込まれた見事な花冠があった。
「えっ…と、バラの花冠ですか……?」
「はい。少し、失礼しますね」
彼は優しく微笑むと、私のすぐ前に立ち、恭しい所作で私の頭にその花冠を乗せた。
彼の指先が私の髪に触れるたび、肌が粟立ち、胸の奥が熱くなる。
「……やはり似合いますね、ロゼッタさん。……あ、もしかして、この祭りの意味をご存知ありませんか?」
不思議そうに小首を傾げる私を見て、ジェイド様は少しだけ悪戯っぽく
けれどその奥に情熱を孕んだ瞳で私を真っ直ぐに見つめた。
「この祭りは、男性が意中の女性に花を贈る“求愛”の場なんです」
「え……!? きゅう、あい……?」
心臓が大きく脈打ち、顔が火がつくようにカッと熱くなるのを感じた。
「ええ。そして、何本のバラを使ったか、何色を使ったかで意味が変わるんです」
ジェイド様は私の手を取り、その指先にそっと、慈しむように唇を寄せた。
「黄色なら友情、紫なら尊敬……そして、このピンク色は『愛の誓い』」
「え…っ」
「そして、六本の意味は……『お互いに敬い、愛し、分かち合いましょう』」
「…………っ…ジェイド様……それはつまり…私のことが……その、恋愛的に好きだと解釈してもよろしいんでしょうか……?」
震える声で尋ねると、彼は深く頷いた。
「もちろんです。裏切られ、傷ついた者同士……最初はそうでしたが、私は、あなたと協力し生活する中で、強く気高く、そして誰よりも心優しいあなたという女性に心から惹かれていました」
「ロゼッタさん、あなたになら真実の愛も、運命すらも感じます……なんて。青臭いことをすみません。どうか……ロゼッタさんさえよければ、僕と結婚していただけませんか?」
かつて「真実の愛」という言葉を安っぽく使い、私を裏切った男がいた。
けれど、今私の目の前にいるのは
言葉の一つ一つに真心を込め、行動ですべてを示し、私を守り抜いてくれた本物の騎士のような人。
「……実は私も、ジェイド様に会わなくなってから、ずっとあなたのことを考えていたんです」
「…!それじゃあ…」
「はい…っ!私も、ジェイド様に惹かれているんです。ですから……これからは貴方と共に人生を歩んでいきたいです」
そこまで言うと、彼は心底ホッとしたように
同時に嬉しそうに顔を綻ばせた。
私はあまりの嬉しさから、彼の広い胸に抱きつくようにそっと顔を埋めた。
ピンク色の薔薇の、甘く気高い香りが鼻先をくすぐる。
また、ジェイド様も私のことを抱きしめてくれて
その瞬間、周囲で見守っていた人々からわっと大きな拍手と歓声が沸き起こった。
凄惨な裏切りから始まった私たちの関係は
この日、世界で一番温かく輝かしい「愛」へと形を変えたのだ。
不倫されたことさえ、この幸せに出会うための必要な遠回りだったと思えるほどに。
ジェイド様の胸の中で、トクトクと刻まれる力強い鼓動を感じる。
あの日、絶望の淵で震えていた私を掬い上げてくれたその温もりは、今や私にとってかけがえのない世界の中心となっていた。
降り注ぐ花びらと鳴り止まない拍手の中で、私はふと、遠い過去となったあの日の自分を思い出す。
夫に裏切られ、親友に嘲笑われ、すべてを失ったと思っていたあの瞬間。
けれど、あの地獄のような日々がなければ、私はこうして真実の愛に触れることはなかっただろう。
安っぽい言葉で飾り立てられた偽りの「運命」などはいらない。
泥沼を共に歩み、傷を分かち合い
そして手を取り合って未来を切り拓いたこの人との絆こそが、神様が私に用意してくれた本物の奇跡なのだ。
「ロゼッタさん…僕が、一生涯かけてあなたを幸せにしてみせます」
「ふふっ……私もです。二人で一緒に、どこまでも幸せになりましょう?」
「はい、心から愛しています…ロゼッタさん」
耳元で囁かれた誓いの言葉に、私は涙を堪えながら、何度も、何度も頷いた。