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事務所に帰ってから、俺はひまりが描いたあの絵を、デスクの引き出しの一番奥に大事に仕舞い込んだ。
和幸の奴は「額に入れて飾りましょうや!」なんて抜かしおったが、そんなもん組の連中に見せてみろ。
ひまりの純粋な憧れが、あいつらの冷やかしの対象になるんは耐えられん。
「……おじさん、おかえりなさい!」
玄関でひまりが待っとった。
手には、昨日買ったあの図鑑が開いたままになっとる。
俺はぶっきらぼうに、紙袋を差し出した。
「おう。……ほれ、コロッケや。冷めんうちに食え」
「わあ、ありがとう!……あ、和幸さんの分もある!」
「兄貴の奢りっすよ、お嬢!」
和幸が騒がしくキッチンへ走っていく。
ひまりは俺のズボンの裾をぎゅっと掴んで、上目遣いで俺を見た。
「……おじさん。今日、先生とお話ししたの?」
「ああ。ちょっとな」
「……あの、私…変な絵描いちゃったから、怒られた?」
ひまりの声が少し不安げに揺れる。
子供なりに、自分の描いたものが「普通」とは違うことを、学校の空気で感じ取っとったんやろう。
俺はひまりの前に膝をつき、彼女の目線に合わせて言った。
「…怒られるわけないやろ。……上手やったぞ。ワシ、あんなにかっこようなかったけどな」
「本当……?おじさん、いつもみんなを守ってるから。私、それが一番かっこいいって思ってるの」
その一言に、喉の奥が熱くなる。
俺がひまりを守っとるつもりやったが、本当に救われとるんは、ワシの方かもしれんな。
だが、このままではいかん。
この子が学校で「ヤクザの娘」として孤立するんは、ワシの責任や。
俺は決意を固め、夕食の後、和幸を呼び出した。
「和幸。……明日から、事務所の入り口の看板、一旦外せ」
「ええっ!?黒龍組の代名詞を外すんすか!?」
「やかましい。……それと、事務所の中にひまりが勉強できるスペースをもっと広げろ。黒服の連中も、ひまりがおる間はサングラス禁止、言葉遣いも矯正や。……『極道の事務所』やなくて、『ひまりの家』にするんや」
「兄貴……本気っすか。それじゃ、示しがつかなくなりますよ」
「示しなら、ワシの拳一つでありゃあええ。……ワシは、周囲に『ひまりは普通の女の子』って思わせたいんや」
◆◇◆◇
翌朝
看板が外された事務所の前で、ひまりが不思議そうに首を傾げとった。
「おじさん、看板……なくなっちゃったね」
「……ああ。ここは、ひまりとワシらがおる場所やからな」
ひまりが、パッと明るい顔で俺の手を握った。
その小さな手の温もりが、俺の冷え切った人生の、何よりの証明やった。
「行ってきます、おじさん!」
駆けていくひまりの背中を見送りながら、俺はふと、空を見上げた。
極道を完全に辞める日は、まだ先かもしれん。
やが、今日からワシは、「組長」である前に、この子の「おじさん」……いや、「父親」として生きていく。
「……和幸。…事務所の掃除、徹底的にやれ」
「ハッ!了解しました、兄貴ィ!!」
俺は眼鏡を指で押し上げ、ひまりが残したトーストのひとかけらを、口に放り込んだ。
甘酸っぱいイチゴジャムの味が、今の俺には、どんな高級酒よりも五臓六腑に染み渡った。
#シリアス
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