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#シリアス
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看板を下ろした事務所は、どこか間の抜けた顔をしとった。
やが、ひまりは「おうちがスッキリしたね!」と上機嫌
あの子の笑顔一つで、組のメンツやら看板の重みやらがどうでもようなるんやから、ワシも焼きが回ったもんやな。
事務所の応接間
かつては血生臭い会合や、一千万単位の金が動いとったそのテーブルの上には
今、ピンク色のプラスチック製のティーカップが並んどる。
「……おじさん、お茶どうぞ。これは、魔法の力で元気になるお薬が入ってるの」
ひまりが、ままごとセットの急須を不器用に使って、空っぽのカップに「お茶」を注いできおった。
俺は、懐の短刀が邪魔にならんよう姿勢を正し、指一本分しかない取っ手に苦戦しながらカップを持ち上げる。
「……ほう。魔法の薬か。そら、毒見せんでも安心やな」
「毒見ってなぁに?」
「…なんでもあらへん。……いただきます」
俺は空気を啜り、大袈裟に息を吐いた。
それを見て、ひまりは「えへへ」と満足げに笑う。
横で見ていた和幸が、こらえきれずに吹き出しおった。
「兄貴、似合いすぎっすよ。その顔で『魔法の薬』って、シュールすぎて腹痛いっすわ」
「和幸……お前も混ぜたるわ。ほれ、ひまり、こいつには特大の『苦い薬』入れたれ」
「えっ、ひまりお嬢、勘弁してくださいよ!」
「はい、和幸さんには『お仕事頑張れる薬』だよ!」
事務所に笑い声が響く。
こんな光景、一ヶ月前のワシが見たら「正気か」と疑ったやろうな。
やが、その和やかな空気を、表に停まった一台の車の音が切り裂いた。
和幸が瞬時に目つきを変え、窓の外を確認する。
「……兄貴。蛇頭会の若い衆ですわ。例の件、まだ納得いってへんようで」
俺はひまりの頭を一度撫で、ゆっくりと立ち上がった。
眼鏡のブリッジを押し上げると、温かかった「おじさん」の皮が、冷徹な「極道」の肌に裏返っていく。
「ひまり、ちょっと和幸とお部屋で遊んどき」
「…おじさん、怖い顔してるけど……」
「…外に忘れ物しただけや、すぐ戻る。……お茶、冷めんうちにな」
俺は事務所のドアを開け、外へ出た。
そこには、昨日の「掃除」でボロボロになったはずの蛇頭会の連中が、数人、殺気を孕んで立っとった。
「黒龍院さんよぉ……看板下ろしたって聞いたから、逃げる準備でもしとるんかと思ったぜ」
俺は無言で歩み寄り、男の胸ぐらを掴み上げた。
そのまま壁に叩きつけ、耳元で低く、地獄の底から這い出るような声で囁く。
「…いいか。ここは、ワシの娘の『家』や」
「なっ……!?」
「家の中に、ドブネズミの匂い持ち込むな言うたやろ。……次はない。…次は、ワシが直々に、お前らのシマを『更地』にしたる」
俺の目を見た男は、腰を抜かしたように崩れ落ちた。
あいつらが逃げるように去っていくのを見届け、俺は一つ、大きく息を吐いてから自分の手を眺めた。
まだ、血はついてへん。……よかった。
事務所に戻ると、ひまりが不安そうな顔で待っとった。
俺はジャケットを脱ぎ、再び不器用な手でティーカップを手に取る。
「……待たせたな。…おかわり、もらえるか」
「うん!おじさん、おかわりいっぱいあるよ!」
外にはまだ、裏社会のドロドロした影がへばりついとる。
やが、このドアの内側だけは、ワシが命に代えても守り抜く。
魔法の薬か。
(……ほんまに、効くかもしれんな)
俺は空っぽのカップを飲み干し、ひまりの小さな「おもてなし」に、心の底から救われとった。