テラーノベル
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小学生五年生の夏休み。
あの日のことは、今でも妙に鮮明に覚えている
「このドラマ、絶対見よ!」
五つ上の姉にそう言われ、四つ上の兄とやっていたゲーム機を半ば強引に取り上げられた。
「えぇー……」
文句を言っても無駄だった。
「有名な俳優さんが出るんだから!」
そんな理由で、興味なんて一ミリもない恋愛ドラマを見せられることになった。
俺は当時ハマっていたお菓子を袋から取り出し、ぽりぽりと音を立てながら、退屈そうにテレビを眺めていた。
ドラマが始まって数分。
一人の俳優が画面に映った瞬間だった。
「きゃあぁぁぁ!!」
隣で姉が突然悲鳴を上げる。
「うるさっ……」
思わず耳を押さえる。
(こんな風には、絶対なりたくない……)
子どもながらに本気でそう思った。
再びテレビへ視線を戻す。
恋愛ドラマ。 何が面白いのか、さっぱり分からない。 大人って、こんなのを見て楽しめるんだ。 そんなことをぼんやり考えながら、お菓子を口へ運ぶ。
その時だった。
画面が少し白くぼやけ、主人公の回想シーンへ切り替わる。
なんのへんてつもない公園
そこに、一人の男の子が立っていた。
主人公のクラスメイトらしい。
「………」
俺の時間が止まった。
さらりと風になびくベージュ色の髪。 吸い込まれそうな赤い瞳。 光をそのまま形にしたような、透き通る白い肌。
画面越しなのに、目が離せなかった。
息をすることさえ忘れてしまう。
瞬きすら惜しい。
ただ、その子だけを見つめていた。
すると、その子はふわりと笑った。
春の日差しみたいに柔らかく。
夏の風みたいに優しく。
世界中を包み込むような笑顔で。
「みんな、大好きだよっ!⸝⸝」
「……っ!!⸝⸝」
胸が、どくんと跳ねた。
驚いた。
こんなに綺麗な笑顔をする人が、この世にいるなんて。 その日まで、知らなかった。
テレビの中の、たった数秒の笑顔。
なのに、それは小学生だった俺の心に、消えることのない光として焼き付いた。
それからの俺は、彼に取り憑かれたようになった。 今思えば、それは執着だったのかもしれない。 いや、もっと分かりやすく言えば、ファン。
……オタクになった。
親に何度もお願いして、あのドラマが配信されているアプリをスマホに入れてもらった。
そして俺は、毎日のように、あの回想シーンだけを繰り返し見るようになった。
何度も、 何十回も、 何百回も。
あの笑顔を見たくて。
あの声を聞きたくて。
「みんな、大好きだよっ⸝⸝」
その一言だけで、一日頑張れる気がした。
彼の名前は、暇 南月
当時、まだ九歳。
俺より一つ年下だった。
たった数分の出演。
それだけだったのに、あのシーンはSNSや動画サイトで切り抜かれ、瞬く間に拡散された。
「あの子役、誰?」
「可愛すぎる。」
「演技うますぎない?」
気づけば、暇南月という名前は日本中に広まっていた。
誰もが知る、人気子役。 でも、人気になった理由は、演技だけじゃない。
人を惹きつける才能があった。
顔も、 声も、 仕草も、 表情も、 笑い方も、 泣き方も。
全部が自然で、全部が美しかった。
可愛いなんて言葉じゃ足りない。
綺麗なんて言葉でも足りない。
子どもとは思えないほど、人を魅了する存在だった。
だから俺は、彼の出るドラマも、映画も、CMも、バラエティも、全部追いかけた。
雑誌の切り抜きも集めた。
インタビュー記事も何度も読んだ。
気づけば、俺の初恋は、画面の向こうにいた。
だけど
ある日を境に、 彼は突然姿を消した。
俺が十二歳、中学一年生。
彼は十一歳、小学六年生。
新しい出演情報は、何一つ出ない。 事務所からも説明はない。 SNSも更新されない。
誰も理由を知らなかった。
「引退したらしい。」
「病気なんじゃない?」
「親と揉めたんでしょ。」
ネットには、根拠のない噂だけが増えていく。
動画サイトでは、勝手な考察動画まで作られた。
「暇南月が消えた本当の理由。」
「実は性格が悪かった?」
「スタッフに嫌われていた説。」
何も知らない人たちが、好き勝手に彼を語る。
いつしか、それを信じる人まで現れた。
叩かれた、 否定された、 悪者にされた。
でも。
俺だけは、信じていた。
あんな笑顔で、
「みんなっ、大好きだよ」
と言えた人が、 そんな人間なはずがないって。
だから、どれだけ時間が経っても、 俺は彼を嫌いになれなかった。
俺の初恋を、たった一つの笑顔で奪っていった少年は 何も告げないまま、 誰にも見つからない場所へ、 静かに消えてしまった。
「叢雲 入間さん、入られます」
スタッフの声に呼ばれ、俺は控室を出る。
撮影スタジオは、今日も慌ただしい。
照明が並び、カメラが動き、スタッフたちが忙しそうに走り回っていた。
渡された衣装に着替え、鏡の前へ立つ。 そこに映る自分は、数年前とは少し違って見えた。
俳優として、何本もの作品に出演してきた。
それなりに名前も知られるようになった。
……だけど。
俺の目指す場所は、まだ遠い。
「やぁ、叢雲くん!」
聞き慣れた声に振り返る。
この作品の監督だった。
「また僕のドラマに出演してくれてありがとう!」
「いえ。初主演の時からお世話になっていますし……こちらこそ、ありがとうございます」
営業スマイルを浮かべながら頭を下げる。
すると監督は満足そうに笑った。
「いやいや!君の演技は世界一なんだから!もっと自信を持ちなさい!」
「あはは……ありがとうございます」
笑って返す。
……もちろん、口だけだ。
(んなわけねぇだろ、このハゲ。)
心の中だけで吐き捨てる。
(世界一は、なつなんだよ。)
数年前、 俺は俳優になった。 きっかけは、この監督の作品だった。
初主演。
本来なら夢の舞台だったはずなのに。
実際は、人気アニメの実写映画。
原作では物語の鍵を握る重要人物だった俺の役は、映画ではほとんどモブ同然の扱いだった。
設定も改変、 ストーリーも改変、 原作の面影なんて、ほとんど残っていなかった。
主人公には人気だけで選ばれた若手アイドル。
演技は、正直ひどかった。
案の定、公開初日から大炎上。
「原作への冒涜。」
「誰得実写。」
「脚本が終わってる。」
ネットは批判で埋め尽くされた。 それでも、この監督は謝らなかった。 反省もしなかった。 全部、役者や原作者のせいにして終わり。
本当に最低な男だった。
だけど、 俺が一番腹が立つ理由は、そこじゃない。
「君の演技は世界一。」
その言葉を聞くたびに、心の中で叫ぶ。
(違う… 世界一は、なつだ。 この現場に、なつがいるだろ? 本人の前で何言ってんだ、このハゲ。)
数年前、 芸能界から突然姿を消した暇南月。
世間は引退したと思っていた。
だが、それは違った。 復帰会見で本人が語った理由は、意外なものだった。
『学業を優先したかったんです。』
ただ、それだけ。
小学校から中学校を卒業するまで。
彼は自分の意思で芸能活動を休止していた。
誰かと揉めたわけでもない。 病気でもない。 失踪でもない。
子どもとして、普通に学校へ通い、普通に勉強したかった。 そのためだけに、一度スポットライトを降りた。
そして高校入学と同時に、何事もなかったかのように芸能界へ戻ってきた。
復帰作が発表された日。
SNSは一瞬で沸き立った。
『なつが帰ってきた。』
『待ってた。』
『やっぱりこの人しか勝たん。』
その日、俺は誰にも見られない楽屋で、一人静かに泣いた。
嬉しかった。 もう二度と会えないと思っていた、俺の初恋が。 ようやく、帰ってきたから。
現場の奥。
照明の届きにくい静かな一角で、一人の青年が椅子に腰掛けていた。
「…………」
脚本に視線を落とし、静かにページをめくる。
その横顔は、昔と変わらない。
いや、昔よりも、ずっと綺麗になっていた。
ベージュ色の髪がさらりと揺れ、長い睫毛が伏せられるたびに影を落とす。
真剣な表情で台本を読み込む姿は、それだけで一枚の絵のようだった。
暇 南月。
俺の推し。
俺の初恋。
そして、ずっと憧れ続けてきた人。
(あ”〜〜〜〜……。)
心の中で頭を抱える。
(脚本確認してるだけで可愛いって何? 意味分かんねぇ……天使か? …いや、天使だな。うん。)
何年も画面越しに見続けた存在が、今は同じスタジオにいる。 同じ空気を吸っている。 同じ作品に出演する。 そんな現実が、未だに信じられなかった。
(まさか、本当に一緒に撮影する日が来るなんて…)
胸の鼓動がうるさい。
でも、このまま黙っているわけにもいかない。
共演者として、まずは挨拶くらいしなければ。
俺は大きく息を吸って、一歩踏み出した。
「あ、あの……!」
声を掛けると、南月はゆっくり顔を上げる。
赤い瞳が、まっすぐこちらを映した。
「ん?」
一瞬だけ考えるように首を傾げる。
「あぁ……叢雲入間さん、でしたっけ。」
ふわりと口元を緩める。
「よろしくお願いします。」
柔らかな笑顔。 あの日、テレビの向こうで見た笑顔と同じだった。
「っ…… ⸝⸝」
(可愛い、超可愛い… ⸝⸝)
画面越しでも十分破壊力があったのに。
実物は、その何倍。
死んでもいいかもしれない。
(やばい、近い…顔ちっさ、肌綺麗なんだけど?え、いい匂いする…嗅ぎたい。まじむり、心臓もたない)
必死に平静を装いながらも、頭の中ではそんな言葉ばかりがぐるぐると駆け回っていた。
「いるまさんの雰囲気、素敵〜⸝⸝」
ぱっと花が咲いたような笑顔を向けられる。
「ちゃんと、そのキャラって感じするよっ⸝⸝」
「っ、ぁ……は、はい……⸝⸝」
まともに目を合わせられない。 耳まで熱くなっているのが、自分でも分かった。
そんな俺を見て、南月はくすっと笑う。
「あれ、もしかして緊張してる?」
「えっ……」
「そうだよね〜。」
そう言って、少しだけ距離を縮める。
周りにはスタッフがいる。
それでも、誰にも聞こえないくらいの小さな声で囁いた。
「また炎上なんかしたら、怖いもんね?」
「っ……!」
思わず目を見開く。
さっきまでの柔らかな笑顔とは違う。
いたずらっぽく口角を上げたその表情は、どこか小悪魔みたいだった。
「あの人の作品、だいたい炎上してるし。」
肩をすくめながら、小さく笑う。
「先輩から聞いたんだけどさ。もしかしたら、あの監督……辞めちゃうかも、だって。」
「…………」
テレビで見ていた頃とは違う。
みんなに愛される天使みたいな笑顔だけじゃない。 こんな風に、毒を冗談っぽく包んで笑う一面もあるんだ。
(……なんだ、このモヤモヤ。)
胸の奥がざわつく。
(まさかこれが…解釈不一致!?)
画面の向こうで勝手に作り上げていた暇 南月と、目の前にいる暇 南月
その違いに、一頭が追いつかない。
「……ねぇ。」
南月が周りをちらりと見渡す。
「ここじゃ話しにくいでしょ?」
「え?」
「まだ撮影まで時間あるし。」
そう言って、俺の袖を軽くつまむ。
「トイレで話そ。」
「えっ、……」
返事をするより早く。
ぐいっ。
思った以上の力で腕を引かれる。
「あ、ちょっ……!」
俺はそのまま数歩よろけた。
南月は振り返ることなく、スタッフへ向かって手を振る。
「俺ら、ちょっとトイレ行ってきまーす!」
「はーい。」
誰かが軽く返事をする。
あまりにも自然すぎて、誰も止めなかった。
(子、ご心の準備!)
トイレの奥。
人気のない洗面台の前まで来ると、なつは周囲を一度だけ確認した。
誰もいない。
それを確かめた瞬間だった。
「……はぁぁ、ね、君……舐めてる?」
「え」
さっきまでの柔らかな笑顔は、どこにもなかった。 小悪魔みたいな表情ですらない。
そこにいたのは、役者としての暇南月だった。
「確かに、あの監督の作品はだいたいクオリティ低いの」
静かな声なのに、不思議と圧がある。
「でも、あの監督が担当した作品だからって、手を抜いていいわけないの 分かる?」
突然の言葉に、頭が真っ白になる。
「この作品は、原作者のもの」
南月は俺を真っ直ぐ見つめた。
「あの監督のものじゃない」
その赤い瞳には、一切の迷いがなかった。
「監督が担当するからって、手を抜かないで」
「は、はい!」
反射的に背筋が伸びる。
「まず、その衣装!!!」
びしっと、 俺の胸元を指差した。
「いるまが演じるキャラクターは、もっと着崩せ!」
「なにネクタイびっしり締めてんの!」
「えっ、これでも結構緩めた方……」
「全然違う!」
ずいっと距離を詰められる。
「っ、…!⸝⸝」
南月は迷いなく俺のネクタイへ手を伸ばした。
ぐいっ
「うぉっ!」
勢いよく引っ張られ、思わず前につんのめる。
「たっく……」
呆れたように息をつく南月。
そのまま器用な手つきでネクタイをさらに緩め、シャツの第一ボタンを外す。 襟を少し崩し、ジャケットの位置まで整えていく。
「ほら」
少し離れて全身を見る。
「やっとそれっぽくなった」
「…………」
(近い近い近い近い!!!⸝⸝)
頭の中はその一言で埋め尽くされていた。
「たっく…原作読んでんの?」
「い、一応……」
「一応じゃダメ」
南月は即答した。
「キャラクターは服の着方にも性格が出んの。 このキャラは几帳面だけど、学校ではわざと少しだけ着崩してるタイプ…
その少しが大事なわけ。 ちゃんと理由があるんだから、そこまで演じてあげて」
その口ぶりは厳しい。
けれど、不思議と責められている感じはしなかった。
作品を
キャラクターを
誰よりも大切にしているからこその言葉。
(あぁ……)
俺は目の前の青年を見つめる。
(やっぱり 好きだ、)
子どもの頃に憧れた天使みたいな笑顔だけじゃない。 作品に本気で向き合い、妥協を許さないその姿まで含めて…俺は彼が大好き。
「最近ブレイクしてるからって、調子乗んないでよね?」
南月は腕を組み、じろりと俺を見る。
「俺の方が活動歴長いし、先輩なんだからね!」
ぴしっと人差し指を向ける。
「歳ではあんたの方が年上だけど、ここでは実力がすべてだから!」
「う、うす!」
条件反射で返事をしてしまう。
「よし、行くぞ」
くるりと踵を返し、スタスタと歩き始めるなつ。 その後ろ姿を見ながら、俺は思わず口元を緩めた。
(…張り切ってるの、可愛いなぁ)
さっきまであんなに厳しかったのに。 歩く姿はどこか軽くて、やる気に満ちている。 そのギャップがたまらない。
廊下を歩きながら、南月が不意に口を開く。
「あんた、俺の役がどんなのか分かってる?」
「えっ…し、主人公の同級生で、メインキャラクター…?」
「だけ?」
ぴたり、と足を止める。
振り返った南月の赤い瞳が、真っ直ぐ俺を射抜いた。
「……自分のキャラに集中しすぎて、あんまり分かんないです」
正直に答えるしかなかった。
「はぁ……ほんと…」
呆れたようにため息をつく。 そして次の瞬間。
なつは軽く息を吸い込み
「う”うんっ、!」
小さく喉を鳴らした。
その直後。
「りゅーくんっ! 聞いてよ! みっちゃんとマムちゃむが、校庭で喧嘩してるの! なんとかしてよ〜!」
さっきまでとは別人だった。
声の高さ、 話し方、 表情。
困ったように眉を下げ、袖をぎゅっと握る仕草まで。 全部が、脚本の中の人物そのもの。
「っ……!⸝⸝」
思わず息を呑む。
一瞬で空気が変わった。
「ね」
南月はすぐに素へ戻る。
「俺のキャラクター」
肩をすくめながら笑う。
「ザ・可愛い」
「まぁ、俺とは正反対なキャラな」
「え……? 正反対……?」
思わず聞き返す。
どう見ても、さっきの演技は自然だった。 可愛い役が、これ以上ないくらい似合っていた。
なのに。
「あ?」
南月は眉をひそめる。
「何その反応」
「いや…その……」
俺は言葉に詰まる。
「まぁ、いいや……ほら、行くぞ」
南月はそれ以上追及することなく、ひらりと手を振った。
「あ、はい……」
俺は慌ててその後を追う。
さっきまで二人きりだった空間から一歩出ると、現場の慌ただしい空気が一気に押し寄せてきた。 スタッフが照明の位置を調整し、美術スタッフが小道具を並べ直している。
助監督が大きな声で指示を飛ばしていた。
「そろそろ準備お願いしまーす!」
その声に、それぞれの役者が持ち場へ向かう。
俺も自分の立ち位置を確認しようとした、その時。
「7ページからね〜!」
監督が台本を片手に声を張り上げた。
「はーい」
南月は先ほどまでの厳しい表情など一切見せず、軽く手を挙げて返事をする。
その一声だけで、現場の空気に自然と溶け込んでいた。
(……すごい)
俺は思わず見入ってしまう。
さっきまで俺のネクタイを引っ張って説教していた人と、同一人物とは思えない。
スイッチが入った瞬間、彼は役としてそこに立っている。
「いるまくんも位置ついて〜!」
「はい!」
スタッフの声で我に返り、慌ててマークの上へ立つ。
はすでに台本を閉じ、静かに目を伏せていた。
その横顔には、もうさっきまでの面影はない。
カメラの準備が整う音が響く。
「本番いきまーす!」
スタジオが静まり返る。
「本番まで、3、2、1」
今日の撮影が終わり、俺は控室のソファへ倒れ込んだ。
「はぁ……疲れた……」
思わず天井を見上げる。
主人公。
それだけあって、今日だけでも台本はほとんど俺のセリフだった。
何度も撮り直しをして、感情を切り替えて。
頭も体も、すっかり限界だった。
「……」
それでも。
頭に浮かぶのは、たった一人。
(なつの演技……可愛かったなぁ……)
本番に入った瞬間の切り替え。
台本からそのまま飛び出してきたような存在感。 同じシーンで芝居をしていたはずなのに、何度も見惚れそうになってしまった
コンコンコン
「開いてますよー…」
ガチャ。
静かにドアが開いた。
「……」
「!!」
俺は勢いよく立ち上がる。
「な、……なつ……」
南月は無言のまま部屋へ入り、俺の前まで歩いてくる。 その手には、くしゃっと使い込まれた台本。
「……演技の点数、100点満点中」
一拍置いて、俺を真っ直ぐ見た。
「65点!」
「厳しいッ!」
「確かに、あんたは上手い…でも!お前は役になりきれてない!」
バンッ!!
持っていた台本を机へ叩きつける。
「演じてないんだよ!」
控室に鈍い音が響いた。 俺は思わず背筋を伸ばす。
「演じてますよ感、出しすぎ!」
「っ……」
「ここで泣きます、 ここで笑います、 ここで怒ります、 そんなの全部見えてる」
なつ自分の胸を指差した。
「役者が感情を作るんじゃない。 キャラクターが生きた結果、感情が出るんだよ」
その言葉には、一切の迷いがなかった。
「……あのなぁ」
少しだけ息をついてから、真剣な表情で続ける。
「この原作、1億6400万部売れてんの。
俺らは、それを背負ってるの」
赤い瞳が真っ直ぐ俺を見据える。
「それ分かる!?」
「……はい」
その一言しか返せなかった。
「読者は何十年もこのキャラを愛してきた。 その人たちが映画館に来る 『このキャラだ』って思わせられなかったら、俺らの負け」
南月は台本を持ち上げる。
「だから俺は、妥協しない。 監督が誰だろうと、 予算がどうだろうと、 作品が炎上しようと、 俺だけは、このキャラクターを裏切りたくない」
部屋が静まり返る。
その姿を見て、俺はようやく理解した。
子役の頃から、ずっと第一線に立ち続けられる理由を。 天才だからじゃない。
努力を、人一倍しているからだ。
「っ……あの」
俺は覚悟を決めて息を吸う。
「俺……なつが子役の時からファンだった」
「……は?」
さっきまで演技論を語っていた南月の表情が固まる。
「演技が可愛くて、優しくて、あったかくて… ドキドキして⸝⸝
……あんたが、俺の初恋なんだッ!」
「え、な、何言って… ⸝⸝」
南月の声が裏返る。 耳まで真っ赤になり、いつもの余裕はどこにもなかった。
「だから!」
俺はぎゅっと拳を握る。 震える手を隠すように
「この作品の撮影期間で、俺が100点満点取ったら…」
南月を真っ直ぐ見つめる。
「俺と付き合って!」
「……は」
「……はぁぁぁぁッ!?⸝⸝」
控室中に響くほどの大声だった。
「な、何それ!? いきなり何なの!?⸝⸝」
さっきまで俺を説教していた人物とは思えないほど狼狽えている。
「いやいやいや、おかしいでしょ!」
「俺、今演技の話してたよね!?」
「はい!」
「なんでそこから告白になるの!?」
「勢いです!」
「勢いで告白すんなぁ!!⸝⸝」
南月は頭を抱え、その場をぐるぐる歩き回る。
「え、待って待って…お前 の初恋が俺? 子役の頃から? え、何年……?」
指を折って数え始める。
「うそでしょ…」
顔は真っ赤なまま、ちらりと俺を見る。
「付き合う条件が演技?」
「うん」
「100点取ったら?」
「うん」
「……」
南月は額に手を当て、大きくため息をついた。
「……バカ⸝⸝」
ぽつりと呟く。
「そんな簡単に100点なんてあげないから」
それでも、少しだけ口元が緩んだ。
「俺の100点、甘く見ないで」
赤い瞳がまっすぐ俺を見る。
「もし本気で100点を取りたいなら」
南月は台本を持ち上げ、俺の胸へ軽く押し当てた。
「最後まで役と向き合って、 俺を納得させてみなよ」
そう言うと、照れ隠しをするようにぷいっと顔を逸らした。
俺はポケットへ手を突っ込んだ。
「……?」
ごそごそと何かを探す音に、南月が不思議そうな顔をする。
そして、 俺は小さな丸いボタンを取り出した。
カチッ
親指で押す。
ピンポンピンポーン♪
静かな控室に、場違いなくらい明るい効果音が鳴り響いた。
「……」
「……」
「今の可愛さ、100億満点」
「……えっ、なにしてんの?」
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