「まぁ、そんな感じで、さっきも言ったけど。男と女なんてお前が思い描いてるみたいに綺麗事じゃないってことだよ。うちの会社にだって不倫してる奴もいれば、なんなら俺も既婚者に誘われて寝たこともある、別に楽しけりゃいいだろって思ってた時もあるから」
「…………は?」
さっぱりわからない世界の話をされて、涙が引っ込んでしまった。それがいいのか悪いのかさえわからない。
「だったらお前らなんて、まだ可愛いもんじゃねーかって思うだろ。何されたか詳細は知らんが……あいつの部屋からコート着ずに飛び出してる時点で想像つくわ」
「え、いや、思うだろって言われても何が何だか……」
真衣香は眉間に力を込めて、考え込む。
「坪井の相手がお前じゃなかったら、そのまんま、可愛いもんだなって思って眺めてるくらいの、俺にしてみればよくある揉め事だよ、多分な」
「え? よ、よくある……」
もはやハテナを飛ばすことしかできなくなった。
ギブアップの意を、精一杯表情に込めたつもりの真衣香を見る八木は、どう形容しようか。
この暗がりで、目を細める、その意味は。
想像をすることもできないけれど。
「だから、お前だって、別に自分で決めるんならいいんじゃねーの」
「な、何をですか」
次に八木は何を言い出すのだろう……。と、真衣香は緊張から唇を固く閉じた。そして八木の瞳をじっと見つめる。
「好きだって認めたんなら。傷つきに行っても、いいんじゃないのか? 後悔するくらいなら」
八木はその瞳を見つめ返すよう、真衣香から目を逸らすことなく、小さくもハッキリとした口調で告げる。
「ただ、行くって決めて行動するなら、何があっても自己責任だ。この前みたいに、何も知らずに傷つけられたって。そんな顔はしてられないからな、それだけ覚えとけ」
「自己責任……」
小さな声でその言葉を繰り返した。
身動きが取れなくなるような息苦しさや、大袈裟だと笑われるのかもしれないが死にたくなるくらいの苦しさ、痛み。全てあの夜に真衣香を襲った感情で。
当然臆病になっていた。それら全てが再び真衣香を襲っても、誰のせいにもせず受け止めて、彼のもとに行けるのか。
(自信なんてない、怖い、わざわざ傷つきに行くだなんて)
定まらない心。
両手で顔を覆った。しかし、それでも瞼の裏までは隠せない。嘘をつけない。そこに浮かんでくる顔が確かにあるんだ。
「ちなみに、お前が着替えに行ってる間な、下に内線入れた。坪井は帰ってたぞ」
うつむき、黙ってしまった真衣香の心の内などきっとダダ漏れなんだろう。
八木は、何としても真衣香を動かしたいのか。言葉はやまない。
「まあ、営業部はどう考えても今の時期忙しいし。予定でもなけりゃこんな日に早々帰らねぇわな」
「……予定?」
真衣香は顔を覆っていた手を離して、八木を凝視していた。
ほんの数秒だけれど、キツく唇を噛んだ真衣香に気がついたのか。八木の指が優しく髪に触れた。
落ち着いて聞け、とでも言いたげなとても優しい手つきだ。
「女かどうかは、知らねーよ。けど、お前を好きだって言ってたあいつの言葉が本心だったと仮定して」
ひとつひとつ区切って、言い聞かせるようにゆっくりと八木の言葉が続く。
「好きな女が別の男のもんで、まわり見りゃ浮かれたクリスマスか。あいつの今のメンタルじゃどう出るかわからんわな」
ドクン、と。一際大きく跳ねた心音。
襲ってきたものは不安と恐怖だ。