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「お見合いの話、したのか?」
「いえ。あの、もう会ってなかったので」
気づかれる前に個室へ戻りたいのに、足が動かない。
見つかりたくない。
「お前、顔は正直だぞ」
くっと幹太さんが笑った気がした。
「美麗!」
「!?」
「待って下さい、美麗!」
すぐそこには、デイビットさんが立っていた。走ったのか、
額には汗が滲んでいる。いつの間にか上着を脱ぎベスト姿で、爽やかに笑っている。
「デイビット、さん……」
「すみません。会いに来られなくて。ずっと会いたかった」
いつの間にかこんなにも好きになっていたんだろう。
デイビットさんの顔を見た瞬間、泣き出したい、抱き締めたい、触れたい、様々な感情が鬩ぎ合った。
綺麗な男の人だ。賭けだけで簡単に心を奪うような。
でも悪い人だ。あの日だけ。一晩抱いたら満足した、自分は沢山いる日本人の中の一人に過ぎないのだ。
「6月はイベントが忙しくて、でも何とか会いたいと麗子さんに言っても門前払いで。何度お願いしたか。 美麗、会いたかった」
ホッと胸を撫で下ろし、泣き出しそうな優しい笑顔で私を見る。
なんて優しく、甘く、自分の名前を呼ぶのだろう。
涙が溢れそうになるのを必死で歯を食い縛り耐えた。
デイビットさんが甘く笑った瞬間、ざわざわと、心は震えた。
期待と後悔と、そして泣きそうになる恋情。
「し、失礼します!」
駄目だ、駄目だと思った。この人には、迷惑をかけられないと。一人で、一人で生きていかなければ。
この人に、嫌な顔をされたら、一生立ち直れなくなる。
「美麗!」
着物でもないのについついワンピースのすそを掴み上げながら、今まで絶対に駄目だと母親から注意されていた、大股で走る行為を平然としていた。
「この人とお見合いするんです! もう、もう、遅いんです! ごめんなさい!」
幹太さんの腕を掴み、個室へ足早に戻る。
もう期待はしない。一人で決断し、間違えてもいいから歩き出そう。
「失礼」
そう思って逃げた私を、デイビットさんは簡単に走って捕まえ、幹太さんから引きはがすと抱きかかえた。
「逃げるって事は、私の賭けの勝ちかな?」
「賭け?」
よっと、お姫様抱っこをされると、デイビットさんは困惑している私を愛しげに見つめ、涙がたまった睫毛に唇を寄せた。
「貴方と結婚したかった。だから、こんな結果になったこと、許してください」
「へ?」
「貴方を手に入れるには、一世一代の賭け、でした」
「つまり……?」
「一回だけ、避妊しませんでした」
言葉を失って、へなへなとお姫様抱っこの中、倒れ込む。
その言葉は、一か月悩んで悩みぬいた私には信じられない言葉だった。
「大丈夫? 不安だった?」
「し、信じられない! 不誠実です!!!」
どれぐらい自分が不安で、でも愛しくて、どうしても育てたいと願ったこの気持ちに一気に泥が塗られた気持ちだった。
「すいません、二人で話がしたい。いいですか?」
デイビットさんにそう言われた幹太さんが、こくこくと頷くと母たちがいる個室へ戻っていく。
幹太さんが居なくなってから、私は右手を振り上げたけれど、真っ直ぐに綺麗な瞳で私を見るデイビットさんに振り落とせられなくて、代わりに涙が滲んできた。
「貴方が、ずっと好きでした、――美麗」
ずっと、その『ずっと』がいつからなのか信じられなくて涙を流す。
「貴方のお父さんが、生前に言ってました。『娘は、鳥籠の中で生きるの可哀想だ』と。麗子さんも苦渋の決断だったのは承知ですし、彼女の生き方は尊敬しても否定はしません」
父の話に、顔を上げる。
デイビットさんが私を一向に下ろそうとせず、レジのウエイトレスさんやお手洗いに向かうお客さんの視線を浴びて恥ずかしくなる。
「『声を殺して泣いていては、あの子を誰も見つけてくれないのではないだろうか』と」
旧美術館だけあって、混雑した時の待合室も、的の風景を展望できる素敵な場所だった。
私の落ち着きのなさに気づいてくれたのか、そちらへと向かう。
「だから、賭けをしました。『私が声を殺して泣く少女を見つけたら、私と結婚させて下さい』と。一人で泣く貴方に私はずっとずっと会いたくて、早く抱き締めたくて。本当に会えた時、一目で恋に落ちました。笑いますか? 28歳にして、私は初恋のように胸が躍っているのです」
私がデイビットさんを知る前から、私に会いたいと思ってくれている人が居た。
私を見つけ出そうと思ってくれる人が、いた。
「君の亡くなったお父さんも言ってくれましたよ。『君は私の娘を好きになる』と。もし好きになったら、彼女の意志も固いなら、一緒になりなさい、と。私は、貴方が本当に私を好きになるか試したかった。――嫌、あの夜、二人は恋に落ちたと確信した。だから、こうするしかなかった」
「デイビットさんなんて、嫌い!」
「それは、今からの私の活躍を見てから決めてください」
「母に今から会うつもりですか?」
「またお見合いなんて画策される前に、はっきり伝えます」
デイビットさんは上機嫌だ。
最初から賭けには負けるつもりはなかったんだろう。
狙いは私なら賭けは全てデイビットさんの勝ち。どうやってあの母親を黙らせるのか、はたまたまた得意の賭けで支配するのか。私の心中は穏やかではなかった。
本日はお日柄もよく、ただただ嵐の前の静けさなり。
篠原愛紀
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