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萌夏がいなくなって十日が過ぎた。
電話での連絡はつくようになり、毎日朝晩に話すことはできている。
声の様子からはとっても元気そうだし、つらい思いをしている様子はない。
しかし、
「今はまだ帰れないの」
と何度会いたいと言っても決して会おうとはしてくれない。
正直もどかしいと思う。
この時代に会うこともままならない事情なんてそうないはずだ。
萌夏も俺もお互いを好きでいて、会いたい思いは同じはずなのに、萌夏にはそれを思いとどまらせる何かがある。
この数日俺はその理由を調べていた。
まだ全容とまではいかないが、少しずつ分かってきたこともある。
それは、萌夏のお母さんのこと。
小川皐月さん。旧姓は桜ノ宮皐月。
どうやら旧華族桜の宮家のお姫様らしい。
どういう経緯かはわからないが、勘当され家を出て萌夏のお父さんと結婚。数年後萌夏を生むと同時に亡くなった。
「宮家に関する報道の自粛は暗黙の了解になってるからなあ、いくら調べても詳しいことはわからないぞ」
最近は営業課長の仕事よりも俺のサポートに着くことが多くなった雪丸が入ってきた。
「ああ、わかっている」
それでも、今はそこから攻めるしか方法がないんだ。
「なあ遥、桜の宮家が小川を返さないって言ったらお前はどうする気だよ?」
いつもは部下としての態度を崩さない雪丸が、ため口で詰め寄る。
***
「そんな理不尽な話があるか」
二十年以上前に捨てた娘とその子供を今更取り戻そうなんて誰が見てもおかしいだろう。
少なくとも俺は絶対に納得しない。
「じゃあ、小川自身がそれを望んだら?」
「はあぁ?そんな馬鹿なこと」
ある訳ないじゃないか。
「何でそう言える?」
雪丸の意地悪い顔。
「それは、」
俺も萌夏も一緒にいたいと望んだ。だからこそ平石の家で同居をしている。
将来のことだって、数年後には結婚しようと話している。
萌夏が俺から離れたいと思うはずはないんだ。
「じゃあ聞くが」
「何だよ」
持っていた書類を応接テーブルの上に置き、腕を組んだ雪丸がじっと俺を見据えた。
こうやって凄みを聞かせるときの雪丸は、やはり迫力がある。
十代の頃喧嘩で負けたことがないと豪語していたことを思い出すな。
「お前は平石を継ぐんだよな?」
「ああ」
平石本家の長男だからな。
「お前と一緒になれば、小川は平石の奥様になるわけだ」
「そう、なるな」
萌夏はそのことを嫌だと言ったこともないし、家でも楽しそうに過ごしている。
問題があるようには見えない。
「もし逆の立場なら、お前はどうする?」
「逆?」
言われている意味が分からず、聞き返した。
「だから、」
困ったなあと、雪丸は近くの椅子に腰を下ろした。
***
「小川が大金持ちの一人娘で家を継がないといけない立場にいたとしたら、お前はすべてを捨てて小川について行けるか?」
「そんなの、」
無理に決まっているじゃないか。
「できないよな」
「ああ」
俺にだって守らなくてはいけない家や会社がある。
育ててもらった恩を返すためにも放り出すことはできない。
「でも、それは矛盾した話だな」
「何が」
「だってそうだろう。お前が平石を継ぐために小川がついて行くのは当然で、もしも小川に継ぐべき家があってもお前はついて行かない。それっておかしいじゃないか」
「それは・・・」
確かに矛盾しているし、傲慢な考え方だと思う。
でも、納得して俺について・・・え、待て。
「もしかして、桜の宮家の後継問題に萌夏がかかわっているってことか?」
まさか、そんな馬鹿な。
二十年以上絶縁状態だった萌夏を、今更どうしようって言うんだ。
「詳しいことはわからない。ただ、今の当主は娘婿で妻だった桜ノ宮葉月さんも数年前に亡くなっていて、2人には子供もいなかった」
「それって」
「今、桜の宮家の直系は小川だけだ」
「そんな・・・」
俺だってなんとなく気づいていた。
宮家の事情はなかなか情報として入ってこないが、直系の後継者がいないことは調べればわかった。
萌夏が皐月さんの娘であれば当然桜の宮家の血を引く人間てことになる。
「お前は、どうする?」
雪丸の挑んでくるような視線が痛い。
さあどうするかな。
俺は萌夏をあきらめることができるのか?いや無理だ。
萌夏は俺にとって唯一無二だ。
***
「あいつなら宮家の門を壊してでも突入しそうだがな」
え?
「あいつって、」
「高野だよ。あれだけ外聞もはばからず自分の思うままに行動できるってある意味才能だと思うぞ」
空のことか。
確かに、最近の空は周囲の目なんてお構いなしで礼の周りをうろついている。
もちろん仕事は問題なくこなしているから誰も表立って文句を言うことができないんだが、あの行動力は感心する。
「あれくらい自分の気持ちに正直に生きれたら幸せだろうな」
褒めているのか嫌味なのか雪丸の表情からはわからないが、俺とは真逆のタイプの人間なのは確かだろうな。
猪突猛進でマイペースな空だが、ああ見えて計算高くて人の心をつかむのも上手い。
その点はさすが陸仁おじさんの子だと思う。
今回のことだって、周囲の反応も、逆風も、すべて承知の上での行動だろう。
実際、最近は礼の反応が少し違ってきたし。
「あれだけ猛烈に好きだとアピールされれば、礼だって気持ちが動くだろうな」
フッと鼻で笑った雪丸。
古くからの友人である礼の恋愛には複雑な思いがあるのかもしれない。
「とにかく、早いうちに小川とちゃんと話すことだ」
「ああ」
このままでは萌夏がいなくなるかもしれない、俺だってそんな不安を抱いている。
***
雪丸と残業をして、帰ってきたのは十時を回っていた。
いつもながら働きすぎだと自分でも自覚している。
創業者一族の息子というだけで異例の肩書を付けられ、実績を残すのに必死。
その上萌夏のこともあって、正直ボロボロだ。
「ウッ、ウゥッ」
門をくぐって玄関に向かいながら聞こえてきたのは子供の嗚咽。
え、ええ?
思わず辺りを見回した。
「ウッ、ウゥッ」
やはり、庭の方から聞こえてくる。
「誰か、いるのか?」
恐る恐る声をかけた。
「ウワァーン」
俺の声に反応したように聞こえてきた泣き声。
次の瞬間、目の前の茂みが大きく揺れた。
「うわぁー」
今度は俺の方が驚きの声を上げる。
人間本当に驚くと動けなくなるものらしくて、逃げたいと思う気持ちとは裏腹にその場で固まった。
ここは俺の家の敷地内で、防犯対策だってしっかりしているから外部からの侵入は考えられない。
でも、確かに何かいる。
暗闇の中ではっきりは見えないが、ガサゴソと音をたて何かが近づいてくる。
来る、来るぞ。
身構えながら目を凝らした瞬間、
「はるかにいちゃーん」
え?
大地?
「お前、どうして」
「ウワァーン」
俺にしがみつき泣きじゃくる大地。
「落ち着け大地。とにかく家に入ろう」
どのくらい外にいたのかわからないが、大地の腕も足も冷たくなっていた。
いくら初秋とはいえ、これでは風邪をひいてしまう。
俺は大地の肩を抱いて玄関へと向かった。
大地はずっと下を向き、俺の手をギュッと握っていた。
***
「ただいま」
玄関を開け、いつものように声をかける。
「おかえりなさいませ」
お手伝いさんが出てきてくれて、すぐに母さんも現れた。
「あっ」
大地を見た瞬間、母さんの表情が変わった。
「何、どうしたの?」
「うん。それが・・・」
どうやら大地を連れて帰ったことがまずかったらしい。
「大地、」
なぜか現れた空が、大地をじっと見つめている。
この家で空を見るのはいつぶりだろう。
小さい頃はよく一緒に遊んだが、中学以降我が家にやってくることもなかったから。
「・・・ごめんなさい」
小さな小さな大地の声。
「何が、ごめんなさいなんだ?」
空はいつになく真剣な顔をしている。
俺から手を放し、大地が空の方を向いた。
「喧嘩をして、友達を叩いたり蹴ったりして、ごめんなさい」
「それだけか?」
「お母さんのこと嫌いって言って、一人でおばちゃまのお家に来てごめんなさい」
「そうだな。お母さんはすっごく悲しんで、ずっと探していたんだぞ」
「うん」
「お母さんにちゃんと謝れるな?」
「うん」
「よし、じゃあ行ってこい」
「はいっ」
やっと笑顔になった大地は駆け足でリビングに向かう。
すると、リビングの前まで行ったところで動きが止まった。
「どうした?」
このまま礼のもとに駆けよると思った大地の行動に、空が怪訝そう。
「あの、おじちゃん」
「何だ?」
「僕のこと・・・嫌いになった?」
まっすぐに空を見上げる大地が、泣きそうな顔になった。
「バカだなあ、嫌いな奴に怒ったりしない」
「本当に?」
「ああ。でも、今度お母さんを泣かせたら許さないからな」
「はい」
***
「遥すまないな、騒々しくて」
大地が消えた後、照れくさそうに頭を下げる空。
「いや、いいんだが」
いつの間に、空は父親のような顔をするようになったんだろうか。
大地も空に懐いていて、どこから見ても親子じゃないか。
普段から大地は俺のことを遥兄ちゃんと呼び、遊んでくれとじゃれてくる。
もちろんかわいいし、時間があれば遊んでやることもある。
それは父さんも母さんも一緒だ。
孫同然の大地がかわいくてすぐにおもちゃを買って礼に叱られることはあっても、強く叱りつけることはない。
でも、今の空は違った。
「びっくりしたでしょ?」
空がリビングへ消えた後、母さんがニコニコしながら声をかけてきた。
俺は簡単に今日の経緯を聞いた。
学校で友達ともめたこと。
礼とケンカをした大地が一人でここまで来たこと。
大地にしては珍しくわがままが出てしまって、空に叱られたこと。
「あの空君がねえ」
感心したように何度も口にする母さん。
人にも物にも執着心の薄かった空が、大地を叱る様子は母さんにも衝撃だったらしい。
「それだけ空にとって礼と大地は特別だってことだよ」
「そうね」
あの二人案外お似合いかもしれない。
***
「お母さん、ごめんなさい」
リビングに入ると、大地が礼に謝っていた。
「心配したのよ」
「うん」
「もう勝手にいなくならないでね」
「うん」
優しい顔になった礼が、大地を抱き寄せる。
「お母さん、大好き」
ギュッと大地も礼に腕を回した。
まだ結婚もしていない俺が言うのもおかしいが、子供はかわいい。
親になってしまえばかわいいだけでは済まないこともあるけれど、愛おしいと思えるからこそ叱れるしどんなこともできるんだろうと思える。
たとえ嫌われても、自分の思いとは違っても、相手のことを思って行動する。愛するってこういうことかもしれない。漠然とそんなことを思った。
俺は、萌夏に何をしてやれるんだろう。
突然消えられて、寂しくて、会えないことへの不満ばかり言っているが、萌夏にだって事情があるんだ。
この時、雪丸が言いたかったことがやっと分かった気がした。