どれだけ時間がたっても寂しさがなくなることはない。
会えないからこそ、切なさも愛しさも大きくなっていく気がする。
思い出すのは遥との楽しい思い出で、自分がどれだけ遥のことを好きだったのかと今更ながら実感した。
「萌夏さま、ここから先はおひとりがよろしいですよね?」
久しぶりの外出に同行してきたSPさんが声をかけてくれる。
「そうですね。ホテルから出るつもりはありませんし、どこにも消えませんから一人にしてください」
まさか自分がSPを連れて外出する身分になるなんて思ってもいなかった。
さすがにお屋敷の中では警備が着くことはないけれど、こうして外出するときには必ずSPが付く。
初めは違和感があって困ったけれど、一ヶ月近くなる今では慣れてきた。
「今日お会いになるのは、お友達と伺っていますが・・・」
私の担当SPとしてついてくれている山本さんが言いにくそうに言葉を濁した。
「ええ、そうです」
山本さんは40歳くらいの男性。
鍛えられた体と強面の表情のせいで落ち着いて見えるから、実際はもう少し若いのかもしれないけれど、どちらにしても年上のおじさまって感じ。そんな人にわざわざ彼氏ですって言いにくかったから、友達ですとごまかしてしまった。
「男性ですか?」
「・・・ええ」
今から、約一か月ぶりに遥に会う。
黙っていても遥が現れればわかることと、私は否定しなかった。
「わかりました。では、近くに控えておりますので」
「はい、お願いします」
山本さんが距離をとってくれたのを確認し、ホテルのフロントへ。
名乗ったわけでもないのにエレベーターへと案内された。
***
それから15分ほど。
私は高層階の窓から都会の景色を眺めていた。
たった二年前、初めて遥のマンションに行った時に見た景色に感動したっけ。
それまで貧乏アパートで暮らしていたから、こんな世界があるんだなあとちょっとしたカルチャーショックを受けた。
お金持ちすぎる遥との暮らしは幸せだったけれど、いつもどこかに引け目のようなものがあった。
平石財閥を担っていく遥に私は何の力にもなれなくて、守られているだけの自分が辛いと感じることもある。
私は遥にふさわしくないんじゃないか。それは、心のどこかにいつも感じていた不安。
トントン。
ノックとともにドアを開けた見るからにホテルマン風の男性。
「失礼いたします。当ホテルの支配人でございます」
そう言って頭を下げた男性に、私は笑顔を向ける。
「本日はお世話になります」
軽く会釈をすると、男性の頭がさらに深く下げられた。
今日はおじいさまがこのホテルに予約の連絡をしてくださった。
当然桜の宮家と名乗っているはずだし、SPを連れて来店すれば周囲にだってただならぬ雰囲気は伝わっているはず。
ここは桜の宮家の人間として振る舞うしかない。
桜の宮家に来てから外出が初めてってことはないけれど、おじいさまともおじさまとも一緒でない一人での外出は初めてで私は緊張していた。
***
約束の時間まであと少し。
久しぶりに遥と会えるのがいれしい気持ちと、こんな形でしか会えなくなってしまったことに遥がどう反応する不安な気持ちで、私はドキドキしていた。
外面がよくて人前で怒ったりしない遥も私の前ではわりとストレートに感情表現するし、最近は仕事の忙しさもあって機嫌が悪かったから、もしかして怒られるのかなって思ったりもする。
実際これが逆の立場なら、私だって文句の一つも言いたいはず。
トントン。
ノックの音が聞こえ、
「はい」
私は返事をした。
「お連れ様がお見えです」
先ほどの支配人がドアを開け、続いて、
はるか・・・
その人を見た瞬間、私は駆け出した。
ドンッ。
音にすればそんな感じ。
体と体がぶつかるように、私は遥に抱きついた。
「おい、萌夏。落ち着け」
まだ数歩後ろには支配人がいるのが見えて遥が止めてくれるけれど、私の歯止めは効かなくなっていた。
約ひと月ぶりに会う愛しい人。
自分の意志とは関係なくいきなり会えなくなって、寂しくて恋しかった。
この温もりをどれだけ求めていたことか・・・
「とにかく部屋に入ろう」
支配人には遥が上手に目配せしてくれたらしく、いつの間にか廊下から消えていた。
私は遥から離れたくなくて、手を回したままでいた。
動く気配のない私を、遥がそっと抱き上げる。
「えっ」
さすがに恥ずかしい。
「このまま廊下で抱き合っているつもりか?」
「それは・・・」
遥に抱えられ、私は客室のソファーへと運ばれた。
***
「久しぶりだな」
私をソファーに座らせ、床に膝をついた遥。
同じ目線になって至近距離から見つめられ、私の顔が赤くなる。
「ごめんね」
突然いなくなって、心配させたはず。
それについては申し訳ない気持ちしかない。
「萌夏が元気そうでよかった」
「うん」
「母さんも父さんもすごく心配している」
「うん。ごめん」
もう一度遥に抱きついて、私は泣き出してしまった。
世界中の誰よりも遥のことが好き。
遥に言うと怒られそうだけれど、自分の命を落としてでも遥を守りたい。
でも・・・
「何がお前を桜の宮家に留まらせているんだ?」
遥の肩に顔をうずめていた私に、頭の上から降ってきた声。
そうだよね。
遥のことだもの、大体の事情は知っていて当然。
平石の力を使って調べればわかることだもの。
「お母さんのご実家なんだろう?」
「うん」
私も否定することはやめた。
「後継問題に、巻き込まれているのか?」
「違うよ。そうじゃない」
後継問題が原因だったとしたら、私はもう少し激しく抵抗できると思う。
いくら母さんが家を捨てたせいだって言われても、私には私の生活があると言える。
でも、そうじゃないから。
「帰ってこれないのか?」
幾分弱い声で、遥がささやく。
「ごめん」
おばあさまはずいぶん元気になられたように見える。
私が顔を出せば必ず起きてこられるし、食事も以前より進むようになった。
でも、記憶の混乱は進んでいらっしゃるように見える。
私のことを『皐月』と呼ぶ回数が増えている気がする。
「俺はいつまでも待っているぞ」
「うん、ありがとう」
私もいつか遥のもとに帰りたいと思う。
***
都内の超有名ホテルのコースメニューをルームサービスでいただく。
以前だったら一生の思い出ねって感動したはずの食事が、今は味気ない。
どちらかというとお母様の作ってくださるカレーや餃子が懐かしい。
「昼から豪華だな」
さすがに遥も苦笑い。
「おじいさまが気を使って予約をしてくださったから」
お昼なんだから簡単なランチで十分なのに、桜ノ宮の名前で予約をすればそうもいかないのかもしれない。
本当に、住む世界が違うと実感する。
「なあ、萌夏?」
ん?
向かいあって食事をしていた遥に名前を呼ばれ、顔を上げた。
立ち上がった遥が、ゆっくりと近づいてくる。
「どうしたの?」
「うぅん」
何か言いたそうに、でも言いにくそうに、私のすぐ前まで来て止まった遥。
寂しそうで悲しそうな、2人の時にしか見せない顔。こんな顔をすると、同い年だなって実感する。
外ではいつも平石の御曹司としての顔を崩すことのない遥が素の表情を見せるのは本当に珍しい。
「抱きたい」
「え?」
普段そんなことを言う遥じゃないから、言われたことを理解するのに数秒かかった。
ギュギュッ。
戸惑っている私を遥が抱き寄せる。
ドクンドクンと鼓動の聞こえる距離で、伝わってくる温もり。
この暖かさを感じることはもうないのかもと思い始めていた。
もう遥とともに生きることはできないのかもしれないと、不安だった。
「ずっと、遥とこうしていたい」
「うん、じゃあ」
戻って来いと遥は言いたいのだろう。
私だってそうしたい。でも、
「今は、無理だから」
ごめんねと、私は遥にキスをした。
***
不謹慎だとわかっていながら、私たちは久しぶりに体を重ねた。
さすがにスウィートルームだけあって、広いスペースにテーブルや応接セットがあり寝室も大きなキングサイズのベット。
おじいさまからもゆっくりしなさいと言われていたし、久しぶりの再会だったし、などと自分に言い訳をした。
「さすがに着替えはないな」
「うん、そうね」
そこまでは望めない。
「ごめんね」
「何が?」
「こんな風にコソコソとしか会えない関係」
その責任は私にあるから。
「気にすることはない。今まではずっと萌夏が俺に合わせてきてくれたんだから」
「でも」
相手が私でなかったら、遥はもっと自由に恋愛できるのに。
「なあ萌夏」
ベットから起き上がり身支度をしながら遥が私を振り返った。
「何?」
「今すぐに萌夏が俺のところに帰ってこれないのはよくわかった。けれど、俺もすぐに平石を捨ててお前のもとに駆け付けることはできない」
「そんなの、当たり前じゃないのっ」
突然とんでもない言葉を聞いて声が大きくなった。
遥を平石から奪おうなんて考えてもいない。
お父様やお母様がどんな思いで遥を育てていらしたか、私にもわかっている。
「それでも、どんなことをしてもお前を手放す気はない。だから、お互いにあまり先のことを考えるのはやめよう。この先どうなるかなんてなってみないとわからないんだから」
「うん、そうね」
先のことなんて誰にも分らない。
ブーブーブー。
さっきから私の携帯が震えている。
発信元がおじいさまなのはわかっていて、私は気づかないふりをした。
***
「萌夏、いい加減出なくていいのか?」
着替えの終わった遥が、私のもとへ携帯を差し出す。
「うん、たぶん大丈夫」
よほどの急用ならSPの山本さんへ電話が入るはずだから。
一度脱いだ下着をもう一度身に付けるのは気持ちのいいものじゃない。
それだけで自分が汚れたような、悪いことをしたような気にもなる。
こんな状態でおじいさまと話をしたくはない。
「次はいつ会えるのか、わからないんだよな?」
「うん、ごめん」
もう一度遥に抱きしめられ、私もそっと手を回した。
遥はああ言ったけれど、私と遥は近いうちに終わりを迎えるのかもしれない。
もちろん遥が言うように、いい方向に話が進む可能性もある。
でも、その前に遥に縁談が持ち上がったり、好きな人ができたりすればそれで終わり。
そうなるくらいなら今から少しずつ気持ちの整理をした方がいいのかもしれない。
ピシッ。
「痛っ」
デコピンされたおでこを押さえた。
「また良からぬことを考えているだろう」
「そんなこと・・・ないよ」
「どうだか」
疑わしいぞって顔の遥。
その時、
トントン。
ノックされたドア。
「はい」
もう一度自分の身支度を確認してから私はドアの鍵を開けた。
***
「お屋敷から緊急の連絡です」
あくまでも事務的に告げる山本さん。
「何かありましたか?」
「大奥様が、月子様が倒れられて病院へ運ばれたと連絡がありました」
「えっ」
反射的に大きくドアを開けた。
嘘、だよね。
おばあさまは数時間前までとっても元気だったじゃない。
そんな急に倒れるなんて・・・
「萌夏さま、大丈夫ですか?」
膝から崩れそうになった私を山本さんが支えてくれる。
「萌夏っ」
駆け寄った遥が私を抱きかかえた。
「とにかく、中に入ろう」
ここではあまりにも人目があると遥は部屋の中へと私を連れて入った。
「失礼します」
山本さんも入ってきた。
近くの椅子に座らせてもらい、水を差し出され、私は一つ深呼吸をする。
フー。
「ありがとう、もう大丈夫だから」
「ああ」
遥は私の隣の椅子に座り、そっと手を握った。
「それで、おばあさまの容態は?」
部屋の入り口に立つ山本さんに、尋ねた。
「今病院へ搬送中ですが、意識がありません。かなり重篤な状態と思われます」
「そんな・・・」
おばあさまの大変な時に、私は何をしていたんだろう。
不謹慎にもほどがある。
「病院へ向かわれますか?」
「ええ」
もちろん。
「では、お車を手配いたします」
***
呆然自失の私を遥に任せたまま、山本さんはどこかに電話をし出した。
小さな声で忙しそうに話しながら、視線は部屋の中を見回している。
散らかったごみと、乱れたソファー。
何よりもしわになった服と部屋に充満する私たちの臭いが何があったのかを物語っている。
勘の鋭い山本さんのことだから、きっと気づいたはず。
だからと言って、SPである以上プライベートなことには口を出さない。
もちろん、自分の行動を後悔するつもりはない。
遥と過ごす時間は幸せだった。それでも、自分の恥部を覗かれたような恥ずかしさは消えない。
「搬送先はどちらですか?」
遥が山本さんを振り返った。
「帝都病院です」
帝都病院って言えば、都内でも有名な病院。
確か、おばあさまの主治医がいらっしゃるって聞いた。
「そこでしたら院長とも懇意ですし、よかったら僕が萌夏を送って行ってもいいですか?」
「いや、しかし・・・」
「大丈夫です、邪魔はしません。ただこんな状態の萌夏を一人にするのが不安なだけですから」
「ですが・・・」
SPとしては急な予定変更は避けたいらしい。
「私からもお願いします」
できることならもう少し遥と一緒にいたい。
それに、こんな時にこそ遥がそばにいてほしいと思ってしまった。
「わかりました」
結局山本さんが折れてくれて、私は遥の車でおばあさまが搬送された病院へ向かうことになった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!