大学の友人たちと賑やかに飲んでいたすちの手元に、突然スマホの振動が走った。
画面を見ると、防犯ブザーの通知。GPSで位置を確認すると――
「……みこと……?」
胸が一瞬で締めつけられる。
周囲の喧騒も、友人たちの笑い声も、頭の中でかき消えた。
「ごめん、急用!」
慌てて席を立ち、食事代を置いて出る。
傘も取らず、雨の中を全力で走り出した。
足元は滑りやすく、雨が顔や髪を打つ。けれど、すちの視界はGPSで示された地点だけを追っていた。
幸い、近くの路地で――倒れているみことを見つける。
「みことっ!」
心臓が飛び出そうなほど早鐘を打つ。すちはすぐに駆け寄り、濡れた手でみことの肩に触れる。
みことの体は冷たく、全身に血の気がない。手に触れるだけでその冷たさが痛いほど伝わってくる。
「みこと、しっかり!みこと!!」
みことはかすれた声で、微かに答える。
「…すち…にぃ……?」
力なく握られたすちの服が、すちの胸を刺すように痛む。
「大丈夫、すぐ助けを呼ぶから!」
すちは落ち着いた声で言いながらも、手は震えていた。
そのまま素早く救急車に連絡を取り、みことの体を抱き上げる。
意識が朦朧としているみことを抱え、雨に打たれながらも慎重に体を支えながら屋根のある場所へ避難する。
「もう大丈夫、俺がいる……離さない……すぐ病院行こうな」
みことは微かに目を開け、弱々しくすちを見つめる。
その瞳に安堵の色がわずかに混じり、手の力も少しだけ戻る。
すちはその瞬間、より一層強く抱きしめ、救急車が到着するまで雨の中をじっと耐えていた。
サイレンの音が遠くから近づく。
すちはみことをしっかり抱え、救急隊員に引き渡すと、傍で体を撫でながら何度も名前を呼ぶ。
雨でぐしゃぐしゃになった髪と服を気にせず、ただひたすらに、みことの命が守られることだけを祈った。
救急車のサイレンが止むと同時に、みことは病院へと運び込まれた。
診断は軽い肺炎。高熱と脱水もあり、点滴治療と数日間の入院を勧められた。
医師の説明を聞くすちは、安堵と同時に胸の奥が締めつけられる思いだった。
あのまま気づくのが遅れていたら、もっと悪化していたかもしれない。
処置室のベッドの上で、みことは点滴を受けながら静かに眠っていた。
酸素のチューブが頬にかかり、少し荒い呼吸が繰り返される。
すちは傍の椅子に腰を下ろし、震える手でみことの冷たい手を包み込む。
どれくらいの時間が経ったのか。
微かなうめき声と共に、みことのまつげがわずかに動いた。
「……みこと?」
すちの呼びかけに、みことはうっすらと目を開ける。
熱に潤んだ瞳が、ぼんやりとすちを見つめた。
「……ゆ、め……? すちにぃ、がいる……」
掠れた声でそう呟き、涙が頬を伝う。
夢なら、少しくらい甘えてもいいかな――
「夢じゃないよ。ここ、病院。ちゃんと助かったから」
すちは優しく言いながら、みことの髪を撫でた。
しかし、みことは信じられないように首を振り、握った手に力を込める。
「…ッ……どこにも…いっちゃ…やだッ…おれの、こと…おいてかないで……すちにぃ……やだ……ッ…」
涙が溢れ、震える声に、すちはただその手を強く握り返した。
「置いていかない。絶対に。ずっと一緒にいるから」
その言葉を聞いたみことは、安堵したように小さく頷き、再び眠りに落ちた。
すちは医師と相談し、点滴が終わり次第一時的に自宅で看病することを決めた。悪化するようなら早めに受診すると約束した。
すぐに両親とらんへ連絡を入れ、事情を説明する。
電話越しのらんは「頼んだよ」と短く答えた。
点滴が終わる頃、呼吸は落ち着くも、みことはまだ熱でふらついていた。
すちはみことを抱きかかえ、タクシーに乗せて自分の家へと帰る。
到着後、みことをベッドに寝かせると、温かい毛布を何枚も重ねた。
汗で冷えた服を着替えさせ、ぬるいお茶を少しずつ飲ませる。
咳が出るたびに背中をさすり、優しく声をかけた。
「大丈夫、焦らなくていい。少しずつでいいから」
みことは弱々しく頷き、すちの手を掴んだまま、また眠りについた。
すちはその手を離さず、静かに息を吐く。
――今度こそ、守り抜く。どんな形でもいいから。
夜更けの部屋には、雨の残り香と、2人の穏やかな呼吸音だけが響いていた。
みことは寝ぼけたように瞬きを繰り返し、まだ夢の続きのようにぼんやりしていた。
部屋の空気は暖かく、加湿器の微かな音と、雨上がりのような湿った匂いが漂っている。自分が倒れてからの記憶は断片的で、救急車のサイレンの音と、すちの必死な声が頭の奥に残っていた。
少しだけ体を起こすと、足には清潔なガーゼが丁寧に巻かれており、消毒液の匂いがかすかにする。ベッドの傍には体温計や薬の袋、飲みかけの水が置かれていて、どれも自分のために用意されたものだとすぐにわかった。
そして、視線を動かすと――布団を背もたれにして、座ったまま眠っているすちの姿が目に入った。
彼の髪は少し乱れ、頬には疲れの色が浮かんでいる。きっとずっとそばにいてくれたのだろう。
みことは喉がひりつくのを我慢して、小さな声で呼んだ。
「……すち兄……?」
その声に反応して、すちはゆっくりと目を開けた。ぼんやりとした表情から一瞬で覚醒し、みことの顔を見て安心したように微笑む。
「みこと……起きた? よかった……」
安堵の息が漏れる。
すちはベッドの縁に身を寄せ、そっとみことの額に手を当てた。
「熱、下がってきたな。息苦しくない? どこか痛いところは?」
みことは少し驚いたように瞬きし、すちの手の温もりを感じながら小さく首を振る。
「……うん、大丈夫。……ここ、すち兄の家?」
「そうだよ。昨日、病院から連れて帰ったんだよ」
すちはそう言って、柔らかく微笑んだ。その笑顔があまりにも穏やかで、みことの胸の奥がじんと熱くなる。
「……ありがと……」
「…おはよう、みこと」
すちは小さく笑いながら、みことの髪を指先で優しく撫でた。
その手つきはあの日からずっと変わらず、あたたかくて、安心する。
外の空は晴れて、差し込む朝の光が、二人の間をやわらかく包んでいた。
みことはしばらくの間、ただすちの優しい声を聞いていた。
温かい空気、やわらかい毛布、手のひらのぬくもり――すべてが安心を誘うのに、胸の奥は締めつけられるように痛かった。
(……俺、また迷惑かけた。すち兄に、心配ばっかりかけて……)
そう思った瞬間、心のどこかで張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
もう離れなきゃ、と思っていた。
すちの優しさに甘えすぎたら、もっと好きになってしまう。
けれど――今の自分にはもう、離れるなんてできそうになかった。
気づけば、視界が滲んでいた。
頬を伝って、ぽとりと涙が落ちる。
「みこと? どうしたの?」
すちが驚いたように覗き込む。
その心配そうな表情を見た瞬間、みことの堰は完全に切れた。
「……ごめん、なさい……」
嗚咽まじりの声でそう言いながら、みことはすちの胸にしがみついた。
「迷惑かけて……ごめんなさい……!」
震える手で服を掴み、泣きじゃくる。
その声は途切れ途切れで、言葉にならないほど苦しかった。
それでも、すちは一言も責めなかった。
「……無事で良かった。それだけで、ほんとに良かった」
その声は低く、優しく、少し震えていた。
すちはみことの背に腕を回し、強く、まるで失うまいとするように抱きしめる。
その胸の鼓動が、みことの頬に伝わる。
「もう、我慢しなくて良いんだよ」
みことはその言葉に、さらに声を上げて泣いた。
すちの胸の中で、子どものように。
どれだけ泣いても、すちは何も言わず、ただその肩を包み込むように撫でていた。
みことのすすり泣きが少しずつ静まっていく。
呼吸を整えながら涙をぬぐうその横顔を、すちは静かに見つめていた。
頬に残る涙の筋を、すちはそっと指先でなぞる。
「……泣き顔まで、可愛いな」
そう言いながら、すちはみことの顎に手を添え、ゆっくりと視線を合わせる。
その距離が近づくたびに、みことの心臓が跳ねた。
次の瞬間――すちはみことの唇に、優しく自分の唇を重ねた。
驚いて目を見開いたみことだったが、
その温かくてやわらかい感触に、抵抗する力が抜けていく。
心の奥に響くような、静かなキス。
長くも短くもない、ただ確かに気持ちのこもった時間だった。
唇が離れると、すちは穏やかな笑みを浮かべたまま、 少し掠れた声で言った。
「……好きだよ、みこと。」
みことの目が、再び揺れる。
そのまま続けるように、すちは真剣な瞳で言葉を紡いだ。
「俺にとって、みことは特別なんだ。
誰よりも大切で……一緒にいられるだけで、嬉しい。 できるなら……一生、隣にいたい。」
その言葉は、真っすぐで、どこまでも優しかった。
みことの胸の奥に温かいものが広がっていく。
涙がまた頬を伝い、こぼれ落ちる。
「……おれも…いっしょにいたい…ッ」
声にならないほどの想いが胸に込み上げ、
みことはそのまますちの胸に顔を埋めて泣いた。
すちは黙って、その小さな背中を包み込むように抱きしめる。
背を撫でる手は、まるで「もう大丈夫」と伝えるように優しい。
窓の外では雨上がりの朝日が差し込み、
淡く光る部屋の中で――
二人の鼓動だけが、静かに響いていた。
コメント
6件
コメント失礼します! みことくん助かってよかったですぅ(´;ω;`) なんか途中から目から滝が、、 やっぱみことくんにはすちくんが必要なんですよね!! 続きがとても気になります!! 待ってます!!
良かったです本当に…😭 また一緒の時間を過ごせるなんて幸せですね…👑ちゃんおめでとう🥰
いやもう、神作をありがとうございますm(_ _)m