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第198話:生体重機(ヒグマ)の二足歩行と、特大の鮭卒業証書
十勝の限界集落に建つ小さな高校の体育館は、厳粛で、そしてどこか温かい涙の空気に包まれていた。
外には昨日VIPたちが世界の市場を破壊して送り込んできた一兆円規模の胡蝶蘭のジャングルが広がり、数百人の黒服SPが完全警備を敷いているという、完全にサミット会場のような異常事態である。
しかし、体育館の中だけは、間違いなく『地元の小さな卒業式』の時間が流れていた。
壇上では校長先生が涙声で祝辞を読み上げ、パイプ椅子に座る卒業生たちの肩も微かに震えている。
我が陣地の優秀なアシスタントである小春ちゃんもまた、制服の胸にコサージュをつけ、目を真っ赤にしてその言葉に聞き入っていた。
保護者席の最後列では、俺――アキヤが、漆黒のスーツ(インナーはOD色のシャツ)という完璧なフォーマル偽装態勢で、その様子を静かに監視している。
感動的なクライマックス。
誰もがハンカチで目頭を押さえた、その瞬間だった。
ギィィィィ……。
ズゥゥゥンッ。
体育館の後方、厳重に閉ざされていたはずの重い観音開きの扉が、何者かによってゆっくりと押し開かれた。
外を警備しているはずの世界最高峰の民間軍事会社(SPたち)は、一切の制止行動をとっていない。なぜなら、その『侵入者』が、我が陣地の最重要VIP(家族)であることを事前に通達されていたからだ。
「……えっ?」
最後列の保護者たちが息を呑み、壇上の校長先生の言葉がピタリと止まった。
開かれた扉の向こう、逆光の春の陽射しを背に受けて立っていたのは、体長三メートル、体重数百キロに及ぶ我が家の最終防衛ライン。
巨大ヒグマであった。
だが、今日の彼は普段の四足歩行ではない。
まるで人間の熟練の戦士か、あるいは誇り高き父親のように、強靭な後ろ足だけでスッと立ち上がり、完璧な『二足歩行』の姿勢を維持していたのだ。
ドスッ。ドスッ。
体育館の床をミシミシと軋ませながら、巨大ヒグマが二足歩行で中央の通路をゆっくりと歩き始める。
その圧倒的な質量と威圧感に、全校生徒と保護者たちは悲鳴を上げることも忘れ、ただ呆然とその神々しいまでの歩みを見つめていた。
ヒグマの太い両腕には、何かが大切そうに抱えられている。
それは、全長一メートルはあろうかという、銀色に光り輝く最高級の『特大キングサーモン』であった。
しかも、その魚体には、どこで調達したのか、真っ赤な美しいリボンが十字に掛けられている。
ヒグマは、卒業生たちの列の最前列に座る小春ちゃんの目の前まで来ると、ピタリと足を止めた。
そして、「フンスッ」と誇らしげなドヤ顔で鼻息を鳴らし、その特大の鮭(リボン付き)を、まるで卒業証書を授与するかのように、両手で恭しく小春ちゃんへと差し出した。
『……グゥ(卒業、おめでとう)』
「クマさん……っ!!」
小春ちゃんの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
いつも一緒に畑仕事を手伝い、雪かきをし、共に食卓を囲んできた最強で最高の家族からの、不器用で優しすぎる卒業祝い。
小春ちゃんが両手でその重たい鮭を受け取った瞬間、ジンバルに固定されたスマホの画面の向こう側、五千万人のリスナーが接続する生配信のチャット欄が、人類史上最大の感動の涙で完全に水没した。
『うわあああああああ!!! クマさぁぁぁん!!!』
『二足歩行で歩いてきたの、完全に娘の晴れ姿を見に来たお父さんじゃねえか!!』
『鮭にリボン巻いてあるの反則だろ!! 涙腺がぶっ壊れた!!!』
『世界一尊い卒業証書授与式だ!! 泣くわこんなの!!!』
世界中の視聴者が全米が泣くレベルの感動に打ち震え、チャット欄がナイアガラの滝のような速度で流れる中、世界の経済を牛耳るVIPたちも大号泣しながら財布の紐を引きちぎった。
ピコーン! ピコーン! ピコーン!
『(ドバイの石油王からの¥50,000MeTubeギフト)無限連発』
『”A true miracle of family!! I am crying so much my private oasis is overflowing! I will buy the entire salmon fishing industry of Hokkaido and name it after Koharu! Take my 2 trillion yen!“(家族の真の奇跡だ!! 泣きすぎて私のプライベート・オアシスが氾濫している! 北海道の鮭漁業全体を買収して小春の名をつけよう! 私の二兆円を持っていけ!)』
『(スイスの銀行家からの¥50,000MeTubeギフト)無限連発』
『”The economic value of this inter-species bond is infinite! I will establish a permanent Swiss Bank trust fund for that bear! I bid 3 trillion yen for this historic moment!“(この異種族間の絆の経済的価値は無限大だ! あのクマのためにスイス銀行に永久信託基金を設立しよう! この歴史的瞬間に三兆円を提示する!)』
『(ハリウッド女優シャーロットからの$5,000MeTubeギフト)無限連発』
『”I can’t see the screen through my tears!! The bear deserves an Academy Award! I am sending 5 trillion yen to build a golden statue of him in Hollywood!!!“(涙で画面が見えないわ!! あのクマはアカデミー賞に値するわ! ハリウッドに彼の純金の像を建てるために五兆円を送金するわ!!!)』
総額数十兆円規模の電子マネー(赤スパ)が、全人類の号泣と共に画面を完全に埋め尽くした。
国家予算レベルの祝儀が乱れ飛び、壇上の校長先生までもが「素晴らしい……異種族の愛の形だべさ……!」とマイクを通して咽び泣いている。
誰もが、この世界一バグっていて、世界一美しい家族の絆に魂を震わせているそのド真ん中で。
俺――アキヤは一人、保護者席の最後列に設置したパイプ椅子の上で、ストイックに薄型の特製タッパーを開けていた。
中に入っているのは、完璧な水加減でストイックに炊き上げられた『氷結玄米の俵おにぎり』と、自家製の『大豆ミートで作ったフェイク鮭とば』である。
俺は、数兆円の赤スパのまばゆい光と、体育館を包み込む感動の涙雨に照らされながら、一切の感情を排した元・社畜の無表情で、大豆ミートを玄米おにぎりの中に押し込み、淡々と咀嚼し始めた。
バリッ、ゴリッ、モグモグ……。
(……ふむ。極低温で乾燥させたフェイク鮭とばの凝縮された植物性タンパク質と、玄米の圧倒的な食物繊維。式典という名の長時間の精神的拘束において、感動という名の副交感神経のバグを防ぎ、己のホメオスタシスを維持する究極の兵站食だな)
己の肉体という名のロジスティクスを完璧に維持しながら、俺は水筒の冷やしほうじ茶で喉を潤すと、五千万人を突破して世界の水産市場を完全に破壊し尽くしているカメラにキリッとした真顔を向けた。
いつもの『限界言い訳タイム』の発動である。
「世界中の皆さま、そしてVIPの皆さま。ただの野生動物による食料運搬行動に巨額の資本を投下して号泣しているところ大変申し訳ありませんが、全員冷静になってください」
『出たァァァァァ!!!』
『5000万人が号泣して数十兆円が飛び交っているのに、絶対にブレない男!!!』
『主の限界言い訳タイム・二足歩行と鮭の卒業証書完全スルー編ww』
『さあ、この世界一エモい家族の絆をどうやって需品科の業務にするつもりだww』
俺は淀みない口調で、極めてフラットに言い放った。
「これは感動的な卒業祝いでも、家族の絆の証明でもありません。ヒグマが二足歩行を行っているのは、数十キロに及ぶ重量物(特大の鮭)を運搬する際、重心を垂直軸に一致させることでエネルギー消費を最小限に抑える『生体力学的なペイロード輸送モード』に移行しただけです。そして彼が鮭を小春ちゃんに渡したのは、式典という長時間の拘束によって損耗したアシスタントのカロリーを急速に補填するための、DHAとEPAを豊富に含んだ『高タンパク質・補給物資の自動投下(エアドロップ)』に過ぎません。ええ、すべては巨大な愛などではなく、冷徹な『生体ドローンによる前線への補給任務』と『重心制御を応用したロジスティクス行動』ですね。私がフェイク鮭とばを噛み締めているのも、式典の感傷に流されて自律神経を乱すことなく、確固たる指揮系統を維持するための、需品科としての徹底した『メンタル防壁構築訓練』です」
「んなわけあるかあああ!!!」
ガゴォォォォォンッ!!!!
俺の背後で、体育館の床板を叩き割ったような凄まじい破砕音が響き渡った。
最前列から一瞬で距離を詰めた小春ちゃんが、先ほど校長先生から授与されたばかりの『特注・卒業証書収納用の黒い筒(高密度カーボン樹脂製・対装甲鈍器仕様、重量約二キロ)』を両手で大上段に構え、俺の頭頂部に向かってパーフェクトなフルスイングを見舞ったのだ。
二キロの硬質なカーボン樹脂が肉体に直撃した、鐘を突いたような恐ろしい大爆音が、涙に包まれた体育館へと虚しく響き渡る。
「ただの生体力学的なペイロード輸送モードで、クマさんがこんなに誇らしげなドヤ顔で、鮭に真っ赤なリボンまで巻いて持ってくるわけないでしょうが!! どう見たって、私が卒業するのを自分事みたいに喜んでくれてる、世界一温かくて優しいお父さん代わりの姿でしょうが!! 私の人生で一番感動してるこの瞬間を、冷たい生体ドローンとか補給物資の自動投下とかいう軍事用語で粉砕するんじゃないわよ!!」
『小春ちゃんのキレキレ高密度卒業証書筒スマッシュ炸裂www(音が完全に特殊警棒ww)』
『ペイロード輸送モード(ただの誇らしげな二足歩行)』
『高タンパク質・補給物資の自動投下(愛情たっぷりの特大鮭のプレゼント)』
『適応力バグおじさん、ついに全人類号泣の卒業祝いを生体ドローンの補給任務に分類しやがったww』
『言い訳が理不尽すぎて、号泣してたのに腹筋が完全に崩壊したわww今日も最高!!』
俺の理不尽極まりないロジスティクス的な限界言い訳と、小春ちゃんの容赦ない対装甲卒業証書ツッコミに、五千万人の視聴者たちは感動の涙から一転、大爆笑の渦へと叩き落とされた。
スマホの画面越しに、古民家で留守番をしている純白の神獣シロ様が、呆れたようにオッドアイの瞳を細めて「ミャウ(相変わらず黒い筒で叩かれても直らない特大サイズの鈍感下僕ね)」と喉を鳴らしているのが見えた。
目の前の巨大ヒグマも「グゥ〜♪」と、小春ちゃんのツッコミを見届けて満足そうに笑っている。
どんなに莫大な金が動こうとも、小春ちゃんにとっては、このカオスで賑やかで、誰よりも自分を愛してくれる家族の存在こそが、最高の卒業証書なのだ。
「……まぁ、理由はどうあれ。我が陣地の最重要アシスタントが無事にカリキュラムを修了し、式典後の高密度カロリー補給も完璧な形で達成されたのなら、作戦としては完全勝利だ」
俺はカーボンの筒の凄まじい衝撃で痺れた頭をさすりながら苦笑し、春の風が吹き込む体育館の中で、タッパーの玄米おにぎりと大豆ミートをゆっくりと噛み締めた。
激務に潰されて逃げ込んできた、この限界集落。
最初は一人で静かに暮らすための隠れ家(シェルター)だったはずが、今では世界一美しいオッドアイの神獣と、数十兆円の祝儀を投げてくる大富豪たち、そして二足歩行のクマと、卒業証書の筒を振りかぶる専属アシスタントに囲まれた、世界一バグっていて温かい『絶対の聖域』になってしまった。
神獣とモフモフ達の魅せる圧倒的な奇跡と、元需品科のブレない大豆ミート咀嚼、および補給任務の限界屁理屈。
春の陽射しが降り注ぐ限界集落の卒業式は、鈍器のような筒の快音と大爆笑に包まれながら、さらに強固になった絆と共に、明日からの新しい日常という名の未来へ向かって、どこまでも力強く走り出していくのだった。
コメント
1件
いやもう、卒業式で二足歩行のヒグマが特大鮭リボン巻いて登場って反則すぎるでしょ…! 感動で涙腺崩壊しかけたのに、アキヤの「生体力学的ペイロード輸送モード」で一気に笑いに持ってかれたわw 小春ちゃんのカーボン筒ツッコミも最高だったし、シロ様の呆れ顔が目に浮かぶ。世界一バグってて温かい家族の形、これからも楽しみにしてるよ🔥
ゆうき あきや
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#心理描写重視