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(キスしようとして拒まれたの、初体験だよ……)
羽理には場所の問題じゃないと否定されたけれど、それだってきっとゼロではないはずだ。
髪の毛に触れることは許してくれたのに、その先はNGとか、岳斗的には想定の範囲外。羽理が何を考えているのか、はっきり言ってサッパリ分からない。
そればかりか、羽理は仕事のことで何か伝えることがあって、岳斗が自分を食事に誘ったとかバカなことを思っているらしい。
(二人きりで食事に行かない?って聞かれて……普通そっちに受け取る? ――ヤバいな、発想が斜め上過ぎて、全然読めないトコ。逆に燃えるんだけどっ)
仕事の話ならば、社内の小会議室でも押さえれば済む話だ。
わざわざ食事に誘ってまで指導しようとは思わないし、そんなことをしたら勘違いするのが女性と言うものではないか。
(僕はキミに勘違いして欲しくてわざわざ外へ誘ったのに。少しは色気のある方向へ考えてよ)
***
「荒木さん、僕は別にキミの仕事態度について不満に思っていることなんてひとつもないよ? ……そればかりか、むしろ凄くよく頑張ってくれる、非の打ちどころがない部下だなとさえ思ってる。――そんなキミが、どうしてそんな勘違いをしたのか、逆に聞かせてもらいたいな?」
いきなり岳斗からそんな問いを投げ掛けられた羽理は、言葉に詰まって。
ギュウッとお弁当箱を包み込んだままの手に力を込める。
そうして気合いを入れるみたいに大葉が丹精込めて作ってくれた艶やかなニンジングラッセを口に放り込むと、その味をじっくり味わった。
昼休み中に昼食を食べ終われないのは困ると思っていた羽理は、自分の机までの移動時間も込みで考え、話しながらもちょっとずつ箸を進めていて。
甘いグラッセをデザートにするつもりはなかったのだけれど、これでお弁当箱の中身は空っぽだ。凄く残念な気がする。
「実は私、最近体調が良くなくて……」
口の中のモノをごくんと飲み込んでお弁当箱のふたを閉めながら観念したようにそう告げたら、岳斗が「えっ!? 大丈夫なの!?」と身を乗り出してきた。
「あっ。って言っても普段はそんなに問題ないんです……。ただ……」
羽理は距離を詰めてきた岳斗から離れるようにお尻をずりずりっと移動させると、そこで一旦言葉を切って、しばし逡巡する。
「ただ……?」
「その、あ、ある人物と一緒にいると……心臓がバクバクしてキュゥッと締め付けられるみたいに痛くなるんです。不思議なことに相手の方も同じ症状みたいで……。しかもっ! どうやら私たちを蝕むその病気は、病院でも温泉でも治せないらしいのですっ!」
大葉は確か、〝お医者様でも草津の湯でも〟とか何とか言っていた。
「それで、唯一の治療法はショック療法だってその人が言って……。私、病気克服のためになるべくその相手と過ごすようにしてるんですけど……良くなるばかりかどんどん症状が酷くなってる気がして……。ほとほと弱ってます」
大葉とのやり取りを思い出しながら、あえて対象が男性であることを隠しつつ沈痛な面持ちで言ったら、岳斗が大きく吐息を落としたのが分かった。
(ごめんなさい、課長。私、推しな貴方にそんな暗い顔させたくなかったから……病気のこと、話したくなかったんです)
そう思って鎮痛な面持ちのまま岳斗を見つめていたら、「――ねぇ、荒木さん。それ、法忍さんには……」と投げ掛けられて。
「まだ話してないんですけど……仁子からは相手が誰かまで言い当てられて……その上、不整脈のことも見抜かれました。もしかしたら……仁子には不治の病の正体が分かっているのかも知れません」
羽理の言葉に岳斗は何事かを考えているみたいに沈黙してしまう。
「あの……もしかして倍相課長にも、私のこの厄介な不整脈の原因や正式な病名なんかが思い当たったりしていますか?」
不安に耐えきれず、眉根を寄せて聞いたら、岳斗がポツンとつぶやいた。
「ひとつ確認なんだけど……荒木さんが一緒にいてしんどくなる相手は……もしかして裸男さん、だったりする?」
「えっ!? どうしてそれを……っ!?」
きっと鎌を掛けられただけなのに、思わず肯定するみたいなことを口走ってしまってから、慌てて口を覆ったけれど後の祭り。
「やっぱりそっか……」
言われて羽理はギュウッと箸を握りしめた。
「……だとしたら、僕は荒木さんにはそんな不誠実な男には近付かないようにして欲しいと助言したいな?」
「え?」
裸男が屋久蓑大葉だと言うことは、仁子でさえ気が付いていない。
なのに、そんな正体不明なはずの裸男のことを〝不誠実〟だと言い切る岳斗に、羽理は驚いてしまう。
「あのっ、もしかして課長……」
――裸男の正体がお分かりになられたんですか……?
そう問い掛けようとしたと同時、「だって相手には彼女さんがいるんでしょう? それなのに荒木さんとも不必要に仲良くしようとしてるだなんて……僕には性質の悪い男としか思えない。そんな奴に大事な部下は任せられないよ」と岳斗が続けて。
羽理は思わず大葉に対する課長からの誤解を解きたい一心で、「あ、あのっ。勘違いさせてしまっているようなんですけどっ。実は裸男さんの彼女さんはワンちゃんなんです! 人間の彼女さんじゃありません!」と力説してしまっていた。
***
羽理から裸男の彼女は犬だと告白された岳斗は、今度こそ本当に言葉に詰まって。
(え? 待って? どういうこと? 今の話が本当だとしたら……荒木さんは独り暮らしの男の家へ何度もお泊りに行ってたってこと?)
着替えまで置いてあるとか……まるで恋人同士ではないか。
そうとしか思えないのに、羽理の口振りからは、まだ深い仲にはなっていないようにも感じられて……それが何とも腑に落ちない岳斗だ。
こんな魅力的な女性を家に連れ込んでおいて何もしないとか……。実は裸男は男性的な機能が不全なんじゃないかと思ってしまった。
だが、羽理のことを手放したくないと言っている感じからして……相手も羽理のことを憎からず思っているのは確かだな?とも思って。
そう言えば、羽理が食べていた手の込んだ弁当だって、裸男とやらの恋人が作ったものではないとなると、もしや裸男自身のお手製?と気が付いた岳斗だ。
あんな手間暇かけた弁当を作って持たせてやるとか……どう考えても羽理のことを溺愛しているとしか思えないではないか。
(ニンジンとかも荒木さんの好きな猫型にしてあったし……相当な入れ込みようだよね!?)
以前、意中の男性の胃袋を掴むと懇意になれると信じているらしい女性から、やたら手作り料理を渡されまくったことがある岳斗だったけれど、想いが強すぎる相手からの手作り品なんて、何が入っているか分からなくて気持ち悪くて……。
食べる気にもなれなかったのを思い出す。
だが、羽理はどう見ても嬉しそうにそれを食べていたし、何なら岳斗にその素晴らしさについて説いてくれもした。
(ちょっと待ってよ荒木さん。キミはもう、恋心はおろか胃袋まで、裸男にガッツリ掴まれちゃってるってことなんじゃない……?)
そう気付いたと同時――。
(屋久蓑部長や五代懇乃介なんかより、裸男の方がよっぽど要注意人物だった!)
今更だが、裸男には勝ち目がないのではないかとすら思ってしまった岳斗だ。
(彼女持ちだと軽視してたけど……そうじゃなかったんだ)
――荒木羽理の背後に裸男の影が散らつき始めてからずっと。やたら感じていた胸騒ぎは伊達じゃなかったらしい。
見知らぬ敵を相手に戦うのは分が悪いな?と思った岳斗だったけれど、それでも荒木羽理のことを簡単には諦めきれないことも自覚してしまったから……。
初めて感じるどうしようもないくらいの悔しさと焦燥感を、長々とした吐息に乗せて吐き出した。