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ゆろ
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「病気の子のお話」僕の話
朝、目を覚ます前から、部屋の隅で誰かが話していた。
「今日は外に出ないほうがいい」
低い声だった。
「失敗するから」 「迷惑をかけるから」 「みんな、君を見ている」
声は、いつから始まったのか分からない。眠っているときには聞こえない。けれど、目を開けると、薄暗い天井の向こうから、すぐに降りてくる。
僕は布団の中で、しばらくじっとしていた。
窓の外では、近所の小学生が笑っている。自転車のベルが鳴る。誰かがゴミ袋を引きずっている音がする。
世界は、いつも僕より先に朝になっていた。
「今日、病院だから」
ドアの向こうから母の声がした。
「分かってる」
返事をすると、声は消えた。
僕はゆっくり起き上がり、薬を飲んだ。小さな白い錠剤を水で流し込む。これで全部が消えるわけではない。でも、声の音量が少し下がる日もある。
病院へ行く日は、いつも疲れる。
電車に乗る。人がいる。人が多すぎる。誰も僕を見ていないと分かっているのに、視線が皮膚に刺さる。笑い声が聞こえると、自分のことを笑っているように思う。
それでも、母は何も急かさなかった。
駅の階段で僕が立ち止まると、少し先で待っている。振り返って、「大丈夫?」とは聞かない。ただ、僕が歩き出すまで、同じ場所にいる。
そのことが、ありがたかった。
「今日はどうでしたか」
診察室で先生が尋ねた。
僕は少し考えてから言った。
「声が、朝からありました。でも、薬を飲んだら少し遠くなりました」
「それは大事な変化ですね」
先生はカルテに書きながら、僕の話を途中で遮らなかった。
病気になる前の僕は、写真を撮るのが好きだった。夕方の電線とか、誰もいない公園のベンチとか。きれいなものを見つけると、胸の奥が少し明るくなった。
空がすきだった。その瞬間を収めるのが好きだった。
病気になってからか、写真を撮らなくなった。
カメラを持つと、「何を撮っているの」「なんの意味があるの」と問われている気がした。シャッターを押す指まで、誰かに見られているようだった。
けれど、その日の帰り道、駅の窓から夕焼けが見えた。
雲の端が、薄い金色に光っていた。
僕は立ち止まった。
声が言った。
「どうせ、うまく撮れない」
僕はポケットの中のスマートフォンを握った。
「どうでもいいや」
そう言うと、自分の声がした。
それは、久しぶりに僕自身の声に聞こえた。
写真を一枚撮った。
少しぼやけていた。電線が斜めに写り、空の色も本物とは違った。
でも、その写真には、僕が見た夕焼けが残っていた。
家に帰ると、母が夕飯の支度をしていた。
「今日はどうだった?」
「写真、撮った」
「見せて」という母。
「きれいね」
その言葉に、胸が詰まった。
コメント
1件
ゆろさん、第1話読みました。 静かで、でも確かに心に響くお話でしたね。「どうでもいいや」と自分自身の声で言えた瞬間、胸が熱くなりました。薬で声が遠くなる“日もある”という繊細な表現が、この世界のリアリティをぐっと深めてくれていて。 お母さんの「大丈夫?」とは聞かずにただ待つ距離感も、写真を撮り直したラストの「きれいね」という言葉も、全部が優しくて、じんわり泣きそうになりました。 続きがとても気になります。また読ませてくださいね🌷