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公園から、どれくらい歩いたんだろう……。
10分?いや、20分?
普段、10分や20分の距離なんて普通に歩けちゃうのに、今はその時間が凄く長く感じられる。
住宅街の一角にあるアパートの前で止まった。
お世辞にも綺麗とは言えないアパート。
「ここの2階の1番奥が僕の部屋」
彼は笑顔で、そう教えてくれた。
私は何も言わなかった。
いや、どう返事をしていいのかわからなかったと言った方が正しいのかもしれない。
もし、私が彼の彼女だったら「そうなんだぁ!」と、これから起こるであろう事を想像して、目を輝かせながら言ったかもしれない。
でも、私は囚われの身。
だから、目も輝くことなく、ただ黙っているしかなかった。
2階へ続く外階段と彼と並んで上がっていく。
死刑台に向かう13階段、私は死刑囚。
もう元の平凡な世界には戻れない。
その時、マナーモードにしていたスマホがコートのポケットの中で、またブルブル震えた。
さっきから何回もスマホがブルブル震えている。
塾からか、塾から親に来てないと連絡がいって、それを聞いた親からなのか……。
それとも、友達か……。
ピッタリ密着している彼にもスマホの着信は伝わっているはず。
2階の1番奥の部屋の前に着いた。
彼が玄関の鍵を開け、私の後ろに回る。
もちろんナイフは腰の辺りに突きつけられたまま。
「入って?」
私は彼の命令に従い、玄関を開けて中に入る。
それに続き、彼も入る。
そして……。
“ガチャン”
玄関の鍵をかける音が響いた。
部屋の中は、あまり広くない。
6畳ほどのダイニングキッチンに同じ広さほどの洋間。
1人暮らし?と疑いたくなるくらい部屋全体が整理整頓されている。
てか、あまり物がないからそう見えるだけなのかも。
シングルベッドと本棚、テーブルにその上にはノートパソコンが置いてある。
ただ、それだけでテレビも他の家具も何もない。
「適当に座って?」
彼にそう言われて、部屋とダイニングキッチンを繋ぐ引き戸の前に立っていた私は、その位置にそのまま腰を落とした。
「お腹、空いてる?何か食べる?」
彼は私の前にしゃがみ、目線を合わせると笑顔でそう聞いてきた。
私は何も言わず、首を左右に振った。
この状況でお腹なんか減るわけない。
食べる気にもなれない。
「いらないの?食べなきゃ元気出ないよ?」
それでも私は首を左右に振り続ける。
もう元気なんてない。
元気なんて出なくてもいいよ。
このまま何も食べずに餓死したって……。
その時、再びスマホがブルブルと震え始めた。
“ブー、ブー”と部屋に響くマナーモードのバイブ。
私はコートのポケットをギュッと握った。
彼の目がコートのポケットを見る。
「さっきから煩いスマホだね。貸して?」
彼が手を差し出す。
「えっ?」
私もコートのポケットに目をやり、握っていた手に力を入れる。
「早く貸して?」
穏やかで優しい言い方。
でもそれが逆に恐い。
もう、スマホを使うこともないんだ。
だったら……。
私はスマホをポケットから出して、彼に渡した。
スマホを操作する彼。
白くて綺麗な手。
それに指も長くて爪も綺麗。
そんなことを思いながら、スマホを操作する彼の手を見ていた。
「お母さんから電話が沢山かかってきてるね。それから塾からも」
「えっ?」
彼の手に見とれていた私は、彼にそう言われて我に返った。
「5分置きに電話してるみたい」
彼はスマホを操作しながらそう言ってクスクス笑う。
塾に行くと家を出た娘が、塾に行ってないし、塾に来るはずの塾生が無断欠席してるんだもん。
そりゃ、心配になって電話かけてくるでしょ?
彼がスマホを操作している間もマナーモードのバイブ音が鳴り響く。
「煩いね。まったく……。てか、もうスマホは必要ないよね?」
「えっ?」
どういう意味?
別にスマホ依存ってわけじゃない。
だけど、スマホは必需品で、ないと困る。
「必要、ないよね?」
再び彼にそう聞かれた。
「ねっ?」
語尾だけ言ってきて、なぜかそれが怖くて体がビクンと跳ねた。
「好きにしてくれて、いいよ……」
私は膝を自分の方へグッと寄せ、膝をギュッと抱え、そこに顔を埋めて呟くようにそう言った。
彼の好きにしてくれていい。
だって、私は捕らえられた自由がない身だから……。
「じゃあ、好きにするね」
彼がそう言ったあと……。
床にスマホを思いっきり叩きつけた。
耳に響いた音――。
膝を抱えたまま顔だけ上げる。
あっ……スマホが……。
彼の手には画面がバキバキに割れたスマホがあって……。
「画面が割れちゃった」
彼はそう言って、画面が割れたスマホを見てクスクス笑った。
割れたんじゃなくて、割ったんでしょ?
「これ、燃えるゴミで出せるかなぁ?」
彼はそう言いながら、機能しなくなったスマホをゴミ箱に捨てた。
私はそれを黙ってみていた。
ごみ箱に捨てられたスマホ。
助けを求める手段がなくなった。