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「……っ、ふ、あ……っ」
甘く、重苦しいほどの熱に浮かされる夜が、今夜もようやく終わりを告げた。
乱れたシルクのシーツの上で
イグニスは私の首筋に吸い付くように何度も、何度も執拗に唇を寄せている。
事後だというのに、彼の瞳にはいまだに治まりきらない熱情が、暗い焔のように揺らめいていた。
結婚してから一年、一日たりとも欠かしたことのない夜の睦み合い。
私は、心地よい気だるさに包まれた体を彼に預けながら
ずっと胸の奥に溜まっていた疑問を、ふとした拍子に口にしてみることにした。
「……ねえイグニス」
「なんだ?」
私の髪を一房掬い上げ、愛おしそうに指に絡める彼を見つめる。
「その…毎晩、毎晩抱いていて……飽きない、の?」
我ながら可愛げのない質問だとは思った。
けれど、一年という月日は、本来なら情熱が穏やかな愛へと形を変える時期のはず。
それなのに、初夜から変わらぬ
いや、日に日に増し続けているイグニスの熱量は、控えめに言っても重い。
私の問いを聞いた瞬間、イグニスはピタリと動きを止めた。
そして、真冬の湖面よりも真剣な、恐ろしいほどの正色で私を見つめ、一切の迷いなく即答した。
「君に飽きる? アデレード、逆に聞くが、呼吸に飽きる人間がいると思うかい?」
「……えっ?どういう、こと?回答になってないと思うんだけど…」
あまりに突拍子もない比喩に、私は呆気に取られて聞き返した。
しかし、彼は私の腰をさらに強く引き寄せ
逃がさないと言わんばかりに瞳を覗き込んできた。
「いいか?君を愛し、君に触れることは、俺にとって生存に不可欠な本能だ。飽きるなどという概念は、俺の辞書には存在しない」
「むしろ、毎晩抱くたびに新しい君の愛らしさを見つけて、さらに飢えていくばかりなんだが」
「…っ、もういい!聞かなければよかったわ……!」
私は顔を真っ赤に染め、シーツを頭から被って丸まった。
呼吸と同じ。
つまり、彼にとって私を愛することは、死ぬまで続く生理現象のようなものだということ。
(このままじゃ……私の身も心も、彼の愛という名の熱に溶かされて、形を失ってしまうわ)
彼の愛情表現は、あまりにも直球で、あまりにも重い。
この「愛の濁流」に呑み込まれ続ける日々に限界を感じた私は
翌朝、ある重大な決意を胸に目覚めた。
「おはよう、アデレード。今朝の君も……」
いつものように、目覚めた瞬間の甘い甘い口づけを降らせようと
至近距離まで顔を近づけてくるイグニス。
私はその彫刻のように整った綺麗な顔を、掌でぐいっと力一杯押し返した。
「……イグニス、お話があるの」
「…話?」
押し返された手さえも愛おしそうに頬ずりしようとする彼を、私は厳しい表情で制した。
「今日から一週間、私への不必要な接触、および夜の営みを一切禁止します!」
「…………は?」
イグニス様は、まるで世界の終わりを宣告された救世主のように、その場に凍りついた。
「アデレードに接触禁止…接触、禁止……きん、し?」
私の言った日本語が理解できていないのか、数秒の沈黙。
その間に、彼の顔からスッと血の気が引いていくのが手に取るようにわかる。
「な、なぜ…?もしかして……俺がやりすぎてしまったか?嫌がっているのに無理強いをしたのなら、謝る。ごめん、アデレード……嫌いにならないでくれ……」
あまりのショックに、戦場で敵を震え上がらせる王太子としての覇気はどこへやら。
見えないはずの耳としっぽが力なく垂れ下がった大型犬のように
彼は見るも無惨にションボリと肩を落としてしまった。
「そ、そうじゃなくて! 嫌いになったわけではなくて。ただ……体が持たないし、なにより、私の心も持たないの!」
「心……?」
「…毎日そんなに愛を囁かれたら、いつか心臓が止まってしまうわ」
恥ずかしさをかなぐり捨てて叫んだ私の言葉に、彼は雷に打たれたような顔をした。
「そ、それは……っ」
彼は絶望に打ちひしがれながらも、私が本気で困り果てていることを、ようやく悟ったようだった。
「……わかった。アデレードを苦しめるのは、俺の本意ではない。一週間…想像するだけで地獄のようだが耐えてみせよう。君の安らぎのためなら、俺はこの身を律すると約束する」
そう言って、彼は習慣のように私の頬を撫でようとして……寸前で、その指を空中で止めた。
捨てられた子犬のような、悲しげで
それでいてひたむきな、すがるような瞳。
(そんな顔で見られたら、私の決心が揺らぎそうになるじゃないの……。でも、ダメよ。これは、平穏な生活を取り戻すための試練なんだから!)
───こうして、私たちの奇妙で
あまりにも過酷な「一週間の接近禁止生活」が幕を開けたのだった。