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犬養と私が男の人の行動に驚く。
「ぶわぁっ!?」
「!」
水を掛けられた犬養は私を掴んだ手を乱暴に離して、その場でバタバタと顔を拭う。
私は掴まれた腕をすぐに引っ込めて、体に引き寄せた。
はっと店内の客達の強い視線を感じて、周りを見ると当然のように驚いた様子で、遠巻きにこちらを固唾を呑んで見ているのがわかった。
そんな私達の視線を一身に集めているのは、私のすぐ横に佇む人物だった。
片手に空のコップを持ちながら。ライトグレーの洗練されたスーツを着こなす、長身の黒髪の男性。
こんな状況なのに、思わず見惚れてしまう程の端正な顔立ちだが、どこか見覚えがあって。
ややキツネ顔に切長の瞳はまるで、青蓮寺さんみたいで──って。まさかっ!
「せ、せい」
私が口をパクパクさせてしまうと、美貌の男性は私を見てにっこりと笑ってから。視線をすっと、ポカンとしている犬養に視線を向けた。
「犬養国司さんですね。初めまして。今、手が滑って水を掛けてしまい。誠に申し訳ありませんでした。私、安良城ららさんに弁護を依頼されました。『林』と申します」
スラスラと流暢に標準語を喋る青蓮寺さんに、次は私がポカンとしてしまった。
「なっ、べ。弁護士だと? その弁護士が水を掛けてもいいと思ってるのか!?」
ポタポタと髪から雫を撒き散らして、喚く犬養。
「だから謝りました。じゃあ、犬養さんは既婚者で何も知らない安良城さんを嵌めて、わざと不貞関係になったのは? 公共の場で事実とは違うことで、安良城さんを罵り、貶めたことは? 今からカスミと言う女性と、三万でホテルに行こうとしていたことは? ──これらこそ。犬養さんは謝るべき、省みるべきことではないでしょうか」
淀みなく述べて、トドメと言わんばかりに青蓮寺さんは胸ポケットからぱっとスマホを取り出して、何やら画面を犬養に向かって見せた。
私も気になって画面を覗きこむと。
そこには犬養の見覚えあるメッセージアプリのアカウントがおじさん構文で、カスミと言う女性にホテルに誘う赤裸々なやり取りがされていて、鳥肌が立ってしまった。
画面を見た犬養はばっと青蓮寺さんの手からスマホを奪おうとしたが、すいっと軽く避けられてしまい。顔を赤黒くさせていた。
「なっ、か、カスミってまさか、お前……!?」
青蓮寺さんはまた、にっこりと笑うだけ。
そのまま「どうやら、その様子じゃ安良城さんに謝罪は無理なようですね」と言ったあと。
胸ポケットにスマホを戻して、代わりにマネークリップで止められた厚みのある束を取り出し。そこから一枚。一万円を取り出た。
「明日には犬養国司さんのお宅に、訴状が届く手配になっているので、まずはそれをご確認をお願いします。それと、これはクリーニング代です」
と、犬養の横にあったカバンの中に一万をグリっとねじ込んだ。
そのまま、硬直している女性店員にも「これは水をこぼしたお詫びです」と、空いたカップと一緒に一万円を握らせた。
そして皆様失礼しましたと。
軽やかにその場で一礼して、私の腕を掴んで颯爽とその場を後にしたのだった。
腕を掴まれて、カフェを少し出たところでパッと腕を解放された。
そして小さな声で「ららちゃん。このまま無言で僕に着いて来て」と、いつもの青蓮寺さんの関西弁を聞いた。
その声になんだか安心しながら、首を縦にふり。早歩きであっという間にカフェから遠ざかり。
辿り着いたのは、ビルとビルの合間にあるコインパーキング。
そこに青蓮寺さん愛車のいつもの赤いスポーツカーはなく。
白のスマートなデザインの車があった。
青蓮寺さんは素早くスマートキーで運転手のドアを開けると、視線で助手席をちらりと見たので私はそちらへと、素早く移動して助手席に乗り込んだ。
シートベルトを装着するのと同時に車はホテル街から脱出するように、細い道を抜けて大通りに辿り着いて、赤信号になったところで。
「あー。やっぱりネクタイって面倒やな」
と、青蓮寺さんは片手でハンドルを握りながら、妙に色気を感じる仕草でネクタイを緩めたのだった。
一瞬、そのまま見惚れてしまいそうになるのを頭をブンブンと振って声を発した。
「って、青蓮寺さんっ。これは一体どう言うことですか。教えて下さいっ。それに髪っ! ピアスも一つもないっ。標準語! びっくりさせないで下さいっ!」
「あはは。ららちゃん一日ぶり。元気そうで何よりやな。髪はウィッグ。ピアスは弁護士と名乗るのにジャラジャラ付けていたら怪しすぎるやん。だから取っただけやんか。標準語は祝詞も扱うから普通に喋れる」
「笑ってないで下さい。私は、こう、なんか色々とヤキモキしたんですからっ」
「悪かったって。ちゃんと今から説明するやん」
クスクスと笑い、こちらを見て笑う青蓮寺さん。
しかしいつもの青い髪に着物姿じゃなくて。黒髪とスーツ姿はなんだか、違う人と喋っているみたいで変な感じがする。
妙にドキドキしてしまうのを自覚して、なんだか悔しくなってしまった。
目の前の信号が青になり。車が緩やかに動き出して青蓮寺さんも前を向きつつ、緩やかに喋り出した。
「んー、まずは犬養に見事なカチコミやったな。お疲れ様。実はあのカフェに最初から僕、スタンバイしていたから。一連のららちゃんの行動は見てた」
「!」
青蓮寺さんに全く気付かなかった。
どこに居たんだろうとか、色々聞きたくたくなったけど、グッと堪えて青蓮寺さんの次の言葉を待った。
「今回のカチコミの件や、僕の朝帰りの理由やねんけど。犬養夫婦の家をしっかりと特定する為の仕込みって感じやな」
「特定するための仕込み、ですか」
「そ。言うたやろ。犬養の現住所にはダミーが多くて困ったって。狗神使いの家はバレたらやばい。そこが祀っている場所って、いわば急所やからなぁ。隠したいに決まっている」
ふぅっと、青蓮寺さんは大きく息を吐いて、疲れ外に出すように喋った。
「犬養国司はそもそも、出張で借りマンションに住んでいるようやけども、ずっとそこにいるわけじゃなさそうで。週末とかにはちょくちょく出かけているみたいやし。妻の粧子の方は派遣の会社先の近くのホテルに泊まったりして、そっちもチョロチョロと移動をしていることもあって。地味に|本拠地《家》を探すの面倒くさくて。ならばいっそ狗神を祀っている家を特定するのに、本人達にGPSを仕込んでやれば、ええかなって思ってん。それで必ず二人が、同時に他の家より留まっているところがあるはずやから」
「GPSって。本人に仕込んだってことですか?」
「そ。犬養粧子はホスト遊びしてるって言うたやん。だから犬養粧子の行きつけのホストクラブに体験入店して、ホストしてきた。その時にGPSをバッグの中に忍ばせて来た。いやぁ。ホストは疲れるな。呪術師してる方が楽でええわ」
軽く笑いながら、ハンドルを捌く青蓮寺さん。
道路の上にある標識を見る限り、自宅へと向かっているのだと思った。
「だから朝帰りしていたんですね。私、何も知らなくて。その、お疲れ様です。それに遅くなりましたが、先ほどは助けて頂いてありがとうございます」
「僕も人に褒められるような人種じゃないけど、犬養のアレは普通に胸糞悪いやろ。だから気にせんでええ。それより当初の目的。犬養にGPSを仕込めたから。今日の動きをみてから。次は僕が──明後日にカチコミして来るわ」
青蓮寺さんはサラッと、また驚くことを言うのだった。
「あ、明後日に犬養の家に行くってことですか? えっと、それにGPSを仕込んだっていつの間にっ?」
いきなりの情報量に驚きを隠せず。
ばっとシートベルトを振り切るように、体を捩って青蓮寺さんの方に体を向ける。
「今日のららちゃんのカチコミは悪いけど、僕がGPSを仕込む為と、あることのカモフラージュが目的。犬養とららちゃんを合わせて『訴える』なんて言葉が飛びだしたら、犬養のヤツは絶対に大人しくしている訳がないやん。それに、犬養はららちゃんは『呪い』で自分の都合の良いように、何処かに行ったと思っていたのに。それが目の前に現れたら、ららちゃんに釘付けになるに決まっている」
確かに。
犬養はずっと私に注視をしていた。でもどこのタイミングで青蓮寺さんが犬養に近寄って、GPSを仕込んだのだろうと考えを巡らせる。
「えっと、それで青蓮寺さんがGPSを仕込むタイミングって……あ。まさか。一万円をカバンに入れたとき?」
「そう。一万円は|囮《デコイ》。一万円を捩じ込むのと一緒にボールペン型のGPSをカバンの底に入れてやった」
ふふっと笑う青蓮寺さん。
カバンの中に見知らぬボールペンがあっても、それを捨てようとは思わないだろう。
どこかで紛れてしまったのだろうと思って、適当に私物化にするか、そのままにするはず。
「だから、犬養に無理なく近づく為に水を掛けたんですか?」
「それもあるけど、ここは『ららちゃんのため』と言っておこうかな」
チラッとこちらを見て微笑む青蓮寺さん。
また、妙にドギマギしてしまうので、捩った体を元の席へとシートに背を預け直した。
早く、見慣れたいつも通りの青い髪と着物に着替えて欲しいなぁと思いながら、前に視線を戻して尋ねる。
「そ、そうですか。じゃあ。GPSを犬養に持たせたから。先に犬養粧子に仕込んだGPSと同じ場所に反応があるかどうか、確認したら良いってことですよね」
「その通り。僕が弁護士を名乗って、訴状が明日届くと嘘を言ったのは犬養が本宅に戻るようにするため。あんな目にあったら嫌でも、本宅に訴状が届くか待ち構えるやろ」
「そうですね。ほとんどの人は気になって家に、待機しちゃうと思います」
「それで、一日経って何も無かったらハッタリだと犬養も流石に思うやろ。そして──ららちゃんを警戒する。ひょっとしたら、コンタクトを取ろうとするかもな。けど犬養夫婦は自らの手でららちゃんの職場、ららちゃんの実家とか。居場所を奪った。しかもららちゃんは自ら、家も何もかも社会との接点を切り離した。居場所が掴みにくい」
いつの間にか車が大通りから外れて、街中を走っていた。
このあたりの街並みは見覚えあるもので、家は近いと思いながら、運転するそろっと青蓮寺さんを見つめる。
「狗神は本家やったら、呪いを相手に飛ばすことが出来るけど。犬養のは今までの様子から見て迎撃型と言うか、相手のリアクションがあって発動する|呪い《モノ》と見て間違いない。だからこそ、ららちゃんを警戒する。その警戒している間に僕がカチコミをして来るってこと。びっくりするやろ?」
「それはびっくりすると言うか。突然に家に青蓮寺さんみたいなのが現れたら、誰でもびっくりしますから。でも、家に突撃するとしても。二対一。危ないんじゃ……」
夜や深夜にカチコミをしたとしても、背後から攻撃されたら危ないと思ったが、青蓮寺さんに微塵も杞憂なんかない様子で。
「あぁ。粧子の方に明後日、市内の高級ホテルのスイート。一泊三十万のところにシャンパン付きで待ってるって約束したから、多分そっちに行くやろ」
「!」
「人は何も無かったら、いつも通りの行動をして心の平穏を取り戻す。緊張なんてずっとしてられへんからな。ずっと、ららちゃんからの訴状を大人しく待ってるタマじゃない。直接言われた犬養は警戒しているかも知れんけど、粧子の方はそうじゃないから、ストレスをパッと発散したくなるんちゃうんかな」
それに──気を引く言葉の保険も掛けてあると。意味深に青蓮寺さんは言った。
まぁ、それにと。言葉をさらに重ね。
二人同時に相手でもやることは変わらんと、何でもない様子で言い放ったその態度には、貫禄さえ感じてしまった。
単純に青蓮寺さんのように、イケメンから高級ホテルで待っていると言われてしまえば、粧子のように遊び慣れている人物なら行くと思ってしまった。
青蓮寺さんが粧子をホテルへと口説く──その様子を想像してしまいそうになってしまので、外の風景を見てなんとか紛らわして。まだ疑問に思っていたことを聞く。
「そうだ。犬養が言っていたカスミちゃんって、青蓮寺さんのことで間違いないんですか?」
「そう。こればっかりは犬養より僕の運の方が強かったとしか言えんのやけども。どーせ犬養は懲りずに女遊びすると思っていたから、そこから犬養に近づこうかなーって、なんとなく。マッチングアプリ見てたら犬養の後ろ姿の写真で『ドッグ』って言うハンドルネーム見つけたから、まさかなと思ってコンタクト取ったらビンゴやった、って感じ。ホストで『セイレン』ですって。標準語でやってるより、犬養の相手やってる方がしんどかったわ」
青蓮寺さんははぁと、深いため息を吐いて「もう直ぐ家に着くな」と、言葉をこぼした。
「そうだったんですね……犬養、どこまでも最低なヤツ過ぎる。それにしても、本当に青蓮寺さんって器用ですね。ホスト呪術師兼詐欺師とか余裕で出来てしまいそう。それはさておき」
「さておくのに、はっきりと言うところが素直と思いつつ。なんや?」
運転をしている青蓮寺さんにちゃらっと、腕に括りつけたピアスのブレスレットを見せた。
「最後に。私服とピアスのこれ。何か意味があったんですか?」
「私服は普段見てる、ららちゃんを見つけやすいように。ピアス、それはお守り。一応、犬養の|幸運《呪い》に巻き込まれないようにってやつ。僕が普段身に付けているものは全部祈祷済みやから、その辺のお守りよりよっぽどご利益ある。そのままあげるわ。いらんかったら捨てたらえぇよ」
「それを聞いた上で、捨てようなんて思いませんからっ。じゃあ、お言葉に甘えて有り難く貰っておきます」
腕を自分の胸元に引き寄せて、ピアスをじっと見る。これはやっぱり細い革紐とビーズをちょっとあしらってやれば、アジアンテイストな可愛いブレスレットになるんじゃないかなと思った。
これで裏で青蓮寺さんがやっていたことは全部わかった。そして、びっくりするぐらい手際の良さに驚くばかり。
きっとこの行動力は私だけの理由じゃなくて、呪術師として。もしくは青蓮寺さんの沽券に関わるとか。きっとそう言う事情もあるんだろうと思った。
そう言ったこともあと二日で終わる。
その後、自分自身の身の振り方を改めて考えないと思っていると。
「ららちゃん。家にまだお味噌残ってる?」
「えぇ。ありますよ。冷蔵庫に入れてます」
「じゃ、それ食べて一度寝る。ららちゃんのお味噌、最近ハマってるから」
……この人はホスト呪術師兼詐欺師&稀代の女たらしじゃないかなぁと、風景を見るふりをしながら、
フロントガラスに映る青蓮寺さんを見て。
「お口に合って何よりです」と小さな返事をしたのだった。