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『犬養粧子』
国司さんが女遊びをしているのは承知の上。
最終的にはアタシのところに戻って来るなら、たかだか遊び女ぐらい大目に見るべきだ。
だって、私達は契約結婚。もしくは政略結婚的な、愛のない形で結ばれた。
それでもアタシは嬉しかったのだ。
狗神使いと言うことで物心がついたときには世間から忌み嫌われ、疎まれる日常が普通。
そして──犬が贄として捧げられているのが普通だった。
最初こそ可哀想だとは思っていたが、やめたら呪われると言うことを知ってからは、犬の命なんか。豚や牛と一緒。家畜だと思うことにした。
人間が家畜をどう扱うなんて人間様の勝手。
犬なんかに生まれたのが悪いのだ。
アタシだって好き好んで、狗神を祀る家に生まれた訳じゃない。
腹が立つことだって、たくさんあった。
しかし世間には疎まれていたが、その代わりに裕福な生活だった。いつの間にか、それで良いと環境を受け入れた。そうやって生きていくしか出来なかった。
だから狗神を祀り。周囲に嫌がられる度に贄を捧げた。
その度に家には幸運に恵まれ。豊かになり、金だけが集まった。まさしく家が繁栄するとは、このことだろうと実感した。
その恩恵でお金に困ったことなんか無かったが、友達や恋人に恵まれることは無かった。
若い時はお金を湯水に使うことで孤独感を紛らわせて、勉強に打ち込み。狗神使いとしての作法を習った。
しかし歳を重ねるごとに、狗神を継がなければならないという、焦燥感が襲ってきた。
だからと言って、マッチングアプリや婚活に手を出す勇気もなく。万が一上手く行ったとしても、狗神の存在を明るみにしたら、破談に終わるのは目にみえている。
日々。このまま老いていくのか。狗神の呪いは引き継げず。アタシにこれまでの呪いが全て降り掛かるのだろうかと思っている時に、両親が国司さんを連れて来たのだった。
聞けば遠縁で犬養の親戚筋であると言うこと。
借金で首が回らなくなったと言うこと。
それを犬養家が全部払う変わりに、アタシと結婚すると言うことを、国司さんは了承して。アタシの家に婿入りするというのだった。
側から見たら、なんて愛のない都合だけの結婚。
でも、アタシは狗神のことを隠さなくてもいいこと。愛なんかなくても抱かれてしまえば、暖かいと言うことを知った。
何よりも国司さんは最後には必ず、アタシのところに戻って来るしかないのだ。
犬養の籍に入り。共に狗神を祀る。だからアタシを裏切ることなんか出来ない。
だから子供ができるまでは浮気を許そうと思った。それこそ犬みたいに浮気のこと責め立て、吠えると国司さんじゃなくても、男は逃げてしまうだろう。
何よりも一人になってしまうのが嫌だった。
だから、多少の女遊びには目を瞑る。
国司さんはもう少ししたら、女遊びはやめると言ってくれたいたから、それを信じたい。
それに国司さんはアタシといれば『幸運』が訪れずれると、その身を持って知っている。
アタシに一緒に居る価値はあると、狗神に何引きも贄を与え続けて、幸運の恩恵を国司さんにも与えてきたのだから。
それでもストレスは溜まるので、国司さんが浮気した女達から金を巻き上げると言うことをやってみたり。
わざと派遣会社先で上司にセクハラやモラハラを受けたと告発し、慰謝料を請求し。相手を貶めるのはとても気持ちよかった。
全ては狗神のおかげで、アタシや国司さんの都合の良い方に流れる。お金は貯まっていく。
そうやっていると、いつの間にか憂さ晴らしで覚えたホストクラブ遊びが楽しくなり。
ストレスを発散するのには適していた。
ただホストのシステム上。担当ホストは変えることが出来なく、色々なホストと遊ぼうとすると卓にホストを呼んだり。シャンパンを入れたりと、出費が重なる部分もあったが。
初回だけでお安く遊べる。初回あらしみたいなことは面倒なので、結局は馴染みの顔として、ホストクラブに受け入れられる心地良さに落ち着いた。
国司さんは最近。らら、とか言う女と別れたが。
また新たな女と、遊ぼうとしているのが良く分かっていた。
だから──今日はアタシもホストで遊んで。
気を紛らわせようと、行きつけのホスト店『|Shangri-la《シャングリラ》』に向かうのだった。
Shangri-laは市内の繁華街でも中心にあり。市内をトレーラー車で、ホスト達を宣伝するぐらいには人気のお店だった。
雑居ビルの入り口にShangri-laの煌びやかな青と白のネオン看板。赤い絨毯の先には地下に降りる階段。
階段の両サイドは鏡で光をキラキラと反射して、足を一歩進めるごとに店から漏れてくる音楽と喧騒。それが段々と近づいてくるのが、何とも夜の街らしくて良い。
下に降りると、Shangri-laの上位三名の大きな顔が映る、デジタルサイネージのパネルがアタシを出迎えた。
アタシの担当はここの三位のホストだった。No.1ほどの顔はしていないが、トークがいい。
どんな愚痴を言っても、楽しく返してくれるのが良かった。
今日みたいな日は沢山、愚痴を聞いてもらうに限ると思い。
黒のスモークガラスの自動ドアを潜り。
カウンターにいる内勤に挨拶を一つしてやれば、にっこりといつものボックス席へと通された。店内は土曜日の夜と言うこともあって。賑わいを見せていた。薄暗い店内だけどもお祭りのような活気さがあった。
席に着くと内勤がさっとおしぼりを差し出し。その流れのまま。ボトルキープしていたウィスキーをハイボールで注文すると。
アタシの担当が今本指名受けて、こちらの卓に着くのに少し時間が掛かると言われ。興醒めした。
この時間と混み具合ならば、トークに不慣れな新人ホストを回される。
それでは今日、来た意味がない。小さく舌打ちして、いっそ帰ってやろうかと思ったら。
「あぁ、待って下さい。実は今日大型新人の『セイレン』君が入店したんです! 既に送り指名に本指名も受けて、ロジャーグラートも入れたイケメンが今、丁度空いたんで是非、どうでしょうか」
内勤の必死の声に吟味する。
新人でロジャーグラートをオーダーさせるなんて、よっぽどビジュアルが良いかトークが抜群か。少し考えていると。
「こんばんは初めまして。セイレンです。良かったら俺と話しませんか?」
内勤の横にすっと現れた人物は、すらりと身長が高く。嫌でも目を引いた。
品の良いブラクックのスーツを身につけ。新人では到底買えなさそうな、ゴールドカラーのハイブランドの時計を嫌味なく。体に馴染ませていた。
そして、ややキツネ顔の極上の男が私を見て。
にっこりと甘く微笑み。
「五分。俺に時間を下さい」
「なによ。アタシを楽しませてみせるとか、そんな常套句飽きてんのよ」
「いえ。赤いネイルが綺麗だなって。近くで俺がゆっくりと見たいと思っただけ。今日はそんな気分じゃなかったら、仕方ない。また会いましょう。その時は俺の好きな色。青色のネイルにしてきてくれたらいいから」
実にスマートな言葉選びに、ふっと笑ってしまった。
担当が来るまでしばし、楽しめそうだと思い。
横に座ることを許したのだった。
──セイレンは実に新人ホストらしからぬ。巧みな話術と軽快なトークで、場を盛り下げることはなかった。
それよりも、テーブルマナーが実に良かった。新人ホストはトークに熱中するあまり、テーブルマナーが疎かになり、オーダーしたグラスの水滴を拭かずに机をビチャビチャにしたり。
おしぼりを適当に置いたりする子が多かったが、セイレンは見た目と変わらぬスマートさで。心地よい空間を演出しようとする気概が見えたのが、一番ポイントが高かった。
思わず、カフェ・ド・パリぐらいは入れてやっても良いかもしれないと、思っていると。
陽気な声がして。アタシの担当が人懐っこい笑みを湛えて、アタシとセイレンの間にどかりと入って来たのだ。
担当がジロリとセイレンを睨む。アタシがセイレンに奪われないように牽制をしたように見えて、実に良い気分になった。
セイレンはそれをさらっと笑って。内勤に次の卓に着くようにとスッと離れて行った。
少々惜しくはあったが、担当替えはホストクラブでは御法度。
セイレンが去った後は、担当ホストのトークにいつも通りに楽しくなり。
酔いが程よく回ったところで席を立ち、鞄を持って化粧室に向かった。
そこで、バッタリとセイレンと出会った。少し明るい廊下でも、実に良い男振りだと思った。
一瞬、じっと見つめてしまうと。セイレンはにっと笑ったあと。有無を言わさず「こっちに」と手を掴んできた。
「っ!?」
セイレンは化粧室横にある、非常口階段の重たい扉をガコンと開けて。アタシを非常口階段に連れて行ったのだった。
その鮮やかな連れ去りに驚いたのも束の間。
セイレンにトンと肩を軽く押されて、ひんやりとした無機質なコンクリートの壁に背中を付けてしまった。
「いったい、なんなのよっ」
「これ。俺の番号と明明後日。そのホテルに十七時に来て。ここより美味いシャンパンを、用意して待っているから」
セイレンは今言った内容が書かれたコースターを、アタシに一瞬だけ見せつけ。
アタシの鞄の中に、そのコースターを入れてきてビックリした。
「なにこれ。ひょっとして枕営業? こんなコト、バレたらタダじゃ済まされないわよ」
不躾ではないかと睨む。
「別にバレても、どうせ体験だし。明日からはもう、ここに来るコトがないから。それに本命の客。あなたが見つけられたからいいかなって」
ニコリと笑うセイレン。
意味が分からなくて混乱する。
「俺。長期で俺を援助をする人を探していたんだよね。最近、太客だった人が海外に旦那さんと行ってしまって《《身体》》に飽きが出来た」
「それは……」
コイツは男娼で、体を売っている。
良い客を探す為にホストをしていたのかと思うが、チラリと鞄の中に入ったコースター裏のホテル名を見ると、高級ホテルの名前にはっとする。
援助を希望する人間が、高級ホテルやシャンパンを用意するだろうか。
これは何か裏があるのかと構えてしまうと、セイレンはそれすらも見越したかのように、クスリと柔らかく笑って。
その後、真剣な表情でじっとワタシを見つめてきた。
「実は俺、占いが出来る。人の心が少し読めるんだよね。あなたは……旦那さんに不満がある」
心音が早くなる。旦那のことは伏せてあるのに。
しかし。アタシの年齢から予想を付けて、それぐらい言い当てることは難しいことじゃないだろう。
「ふっ。バカにしないで。そんなの簡単なコールド・リーディングよ。誰にでも当て嵌まるようなことで、占いとか言わないで」
「そうかな? じゃ──犬。あなたには犬の気配がまとわりついている」
「!」
キッパリと言われて、体を震わせてしまった。
「その顔は何か心あたりあるね。お試しはここまで。気になったらそのホテルに来て。俺はね、占いをして。気に入って貰えたら、次回から料金を貰うようにしている。初回ホストと一緒。最初はお気軽にお話だけでも楽しんで貰えるように、もてなす。で、次から気に入って貰えたら《《ベッドの上でも占いをする》》。それだけ」
「なんで、アタシをわざわざ選んだの?」
「カン。あと、ネイルが綺麗だったから。別に最初はトークだけでもいい。お金は要求しないから。ホテルで美味いシャンパン片手に、占いが出来るぐらいに思ったらいい。悩みぐらいはゆっくりと聞くし。こんなところでお金を落としているけど、そこまでホストに熱中してないよね。だから暇潰しには最適だと思う。どう?」
ペロリと赤い舌を出して妖艶に笑うセイレン。
思わず視線を逸らす。
そして問われた内容に答える義務は無かったので、セイレンの問いには答えなかった。
しかし、無言は『その通り』だと言ってるようなものだと思ってしまった。
「さてと、そろそろ戻らないと。じゃあね。待ってる」
最後にひらりと軽く手を振って、セイレンはその場を去って行った。また重い非常扉が開き。ガコンと閉まる音が響いた。
その音でいつの間にか肩に力が入っていたのに気付いて、大きく息を吐き出し。体をほぐした。
犬のことは匂いでわかったり、持ち物に犬の毛が付着して言い当てたかもしれないが。アタシも国司さんも日頃から犬の気配をさせないように、消臭や身嗜みには念入りに整えていた。
それを言い当てるには、何かもっと違うところからアタシを観察したのかも知れない。
それは流石に分からない。しかし──セイレンに興味は持った。
「本当に占い師だったら、アタシの正体が分かったら驚くんじゃないかしら」
ふっと笑う。
流石にセイレンを金で買おうとは思わなかった。アタシには国司さんがいる。
「ホスト遊びは所詮、遊びだもの」
ホストは犬と同様にアタシに消費される存在。
本気になるほどのものではない。
しかしだ。初回のお試しぐらいなら──どんな占いをするかが気にはなった。
ホスト遊びの片手間にアタシが、セイレンで遊んでやってもいいかも知れない。
「本物の呪術師を舐めないで欲しいわね」
ネイルをキュッと擦る。
次も赤色のネイルにしてやろうと思いながら、鞄の中に入ったコースターを見つめるのだった。