「無論でございます。店主は下がらせますので御安心くださいませ」
店主は何か言いたそうに口を開閉させたが、夫人の一睨みで不承不承口を噤んだ。
店名からして、夫の力が強い夫婦関係なのかと察したのだが、そうでもないらしい。
普段は内助の功で夫を支えつつ、夫が不慣れな場面ではこうして表に立つ、気概のある夫人なのだろうか。
ネマも同じ結論に達したのか、大きく頷く。
店主はまたしても何かを言いたそうにしたが、夫人に再度促されて渋々店の奥へと引っ込んでいった。
「店主の不敬をお詫び申し上げます。滅多に訪れることのない高貴な方のお出ましに、舞い上がってしまったようで、誠に申し訳ございません」
リゼットが静かに微笑を浮かべるほどのカーテシーを披露した夫人は、彼女がよく知る没落貴族といった過去でも持っているのかもしれない。
「謝罪を受け取ります。店を出るときの挨拶も不要と、理解いただけると嬉しいわ」
「御方様の奥方様へのご寵愛は広く知れております。男女の機微にも疎い店主には、二度と奥方様の御前には出させませんので、どうか御安心くださいませ」
「では安心して、商品を選ばせていただきますね。カタログはあるのかしら?」
「はい。こちらにございます」
夫人が何冊かのカタログを出してくれる。
どれもなかなかに分厚い。
店舗はさして大きくないが、商品は充実しているようだ。
ぺららっと捲れば値段の割に品の良い商品が並んでいた。
「こちらではガーデンテーブルとその椅子を探しているの。何かオススメはあるかしら?」
「色、もしくは素材のお好みはございますか?」
「うーん。ネマ。私が好みそうな素材というと何があるかしら?」
「主様のお好みですと木目の美しい木材でしょうか? あまり出回ってはおりませんが、陶器のモザイクテーブルなどもお好みかと思われます」
ノワールの指導だろうか。
奴隷たちは既に、私の好みを熟知している。
夫も満足しているので、私も嬉しい。
「一般的に人気のタイプというと?」
「青銅や銅で鋳造し、その色を生かしたタイプ、もしくは純白に色づけしたタイプなどが人気となっております。当店の客層ですと……手入れが簡単だという理由で、最低限の防水加工が施された青銅物が一番人気となっております」
「青銅は安価ですから」
夫人とネマの説明にひとしきり悩む。
手入れの楽さだと、陶器のモザイクテーブルに軍配が上がる。
しかしモザイクの模様が繊細であればあるほど、一緒に置く予定の花が負けてしまう気がするのだ。
木目を堪能できるテーブルにもそそられるが、ここで楽しむべきは花であって木目ではないという、奇妙な拘りもあった。
となると、鋳造されて防水加工がほどこしてある物が無難だろう。
「青銅で最高級の防水処理がされていて、繊細な細工がほどこされた物はあるかしら?」
「最高級の防水処理となりますと、大変恐縮ではございますが、別途手配となるので、お時間をいただくことになってしまいますが、よろしゅうございますでしょうか?」
「ええ。気長に待つわ」
「ありがとうございます。それでは奥方様御希望のお品物はこちらになります」
夫人がカタログを広げてくれる。
そこには単品だけでなく、セット販売のお得な商品も並んでいた。
現在お金に全く不自由のない恵まれた環境ではあるが、お買い得と聞くと心が躍ってしまうのは業なのかもしれない。
「あら? これ、チューリップモチーフなの?」
「はい。こちらと……そう、この辺りを御覧いただくと……」
「ああ、説明してもらえると確かにチューリップに見えるわね」
花をモチーフにした商品は多かったのだが、チューリップモチーフの物は、指摘されないとわからないほどさりげなく使われていたのだ。
「これがいいわ」
「品がありますが愛らしさもありますね。主様にぴったりだと思います」
ネマも賛成してくれた。
「奥方様のお目の高さには驚かされるばかりでございます。こちらは天才の名をほしいままにしたドワーフが、武器を作る集中力から解放されたいときに作っている、通称気まぐれシリーズの一つでございます」
「これが! 主様っ! 掘り出し物ですっ! パトリック・ツヴァンツィガー氏の造られる武器は全く興味ありませんが、気まぐれシリーズは入手困難な点も含めて、見かけたら借金をしてでも購入したい逸品です!」
借金はしたくないし、するつもりもないし、その必要もないが、ネマの情熱はよくわかった。
指腹で頭を撫でれば、自分の暴走に気がついたらしく、申し訳ありません、主様! と涙を浮かべてしまった。
肩に乗っている彩絲からネルに伝わって、長時間のお説教を喰らってしまうので、私はただネマを宥めるだけだ。
「うちのメイドがこんなに薦めてくれるのですから、すばらしい品なのでしょうね。今回はこちらをいただきます……しかし、こんなに安価でいいのかしら?」
この店の商品だと考えるなら最高級品に分類されているのだろう。
設定されている金額もそれなりのものだ。
しかしネマの説明からして、もっと高値でもおかしくないというか、高値でない方がおかしいと思うのだが。
「はい。ツヴァンツィガー氏自身が気まぐれシリーズについては、安価販売を希望されております。氏の希望に添わない店には、二度と商品は卸されません。当店では有り難いことに幾度か卸していただいております」
つまりは欲に負けることなく、ツヴァンツィガー氏の希望に添った安価販売を続けているのだろう。
「そうなると、噂が出回りそうですが……」
「御購入いただいた皆様には、恐縮ではございますが口止めをお願いしておりますので、困った噂が広まったりはしないようになっております」
なるほど。
その点もきちんと管理されているらしい。
高名なツヴァンツィガーは、販売店の安否まで考えてくれるできた人物のようだ。
ドワーフにも一度会ってみたいし、縁があればいいけれど、相手が男性となると夫の駄目出しが入りそうだ
ツヴァンツィガー氏なら会ってもいいですよ。
彼は同族であるドワーフの奥方を溺愛しておられますし、生粋の職人ですから。
珍しく夫から許可が下りた。
ツヴァンツィガー氏の目には、貴女は娘としか映らないでしょうから。
私ですら息子扱いでしたしね。
夫を息子扱いできるツヴァンツィガーさん、凄い。
何より夫が、息子扱いを許容しているところに驚かされる。
そういえば王都には、料理道具を作るのが得意で大好きなドワーフもいた。
極シリーズを作っているドワーフだ。
こちらも夫のお眼鏡にかないそうなので、併せて店を訪ねてみたいものだ。
「……あの、何かご不快な点がございましたでしょうか?」
「ああ、ごめんなさい。主人がツヴァンツィガー氏になら会ってもいいと言ってくれたので」
「御方様とお話をされていたのですね? それは失礼いたしました」
「こちらこそ、突然黙り込んでしまってごめんなさいね。品物にはとても満足しているし、口止めの件も了承しました。お店にも職人にも御迷惑をおかけしたくはありませんから」
「そうおっしゃっていただけて、有り難いです」
「誓約書……誓書? も必要であれば書きますよ?」
「……誓書は私が代理人として書かせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
ここでいきなりリゼットが割って入ってきた。
女性の表情が一瞬、悲しげなものになる。
しかしそれは本当に一瞬のこと。
女性は静かに微笑んでリゼットの言葉に頷く。
ネマも彩絲も口を出さなかったので、私も口を噤んでおいた。
リゼットに何やら思う所があるのだろう。
説明はきっと馬車の中であるはずだ。
誓書はそれぞれが持つようだ。
念の為に鑑定すれば、錆防止に尽きる! 発行の誓書と出た。
王家でもらった物と同じく偽装工作がされていないようだった。
そういえば、偽装されているとどう表記されるのだろう。
例えば、錆防止に尽きる 発行と鑑定された場合、本来なら、錆防止に尽きる! 発行の誓書が正しいと修正鑑定されますよ。
ん?
どこが違うの?
! がないでしょう?
故意かそうでないか、絶妙な間違いは大体故意ですよ。
今後の判断基準にしてくださいね。
いきなりの夫講座だった。
誓書を偽装するような愚か者に出会ったら、柘榴沙華を呼ぶといいでしょう。
忙しい彼女ですが、貴女を気に入ったようですから、急な依頼でも快く受けてくれると思いますよ。
なるほどーと頷くと、またしても女性やリゼットたちに観察されているのに気がついた。
「……すみません。主人から助言があったものですから……誓書に問題はありませんので、商品の手配をよろしくお願いいたします」
「お屋敷に配達でよろしゅうございますか?」
「はい。大丈夫です。よろしくお願いします」
ネマがぺこりと頭を下げて了承する。
これでこの店での買い物は終了だ。
美味しかったフラワーティーの感想と感謝を述べて、店をあとにする。
背後から声が追いかけてきたが、無視をした。
それが女性のためでもあろうから。
リゼットのエスコートで馬車に乗り、今度は清楚な一輪へと向かう。
「……先ほどは失礼いたしました。担当女性には信が置けるのですが、店主に不穏な気配を感じて、アリッサ様との直接取引は御遠慮いただきました」
「追いかけてこようとしたみたいだから……少々困った人なのでしょうね?」
「彼女が店主を立てすぎたようですね。つけあがらせるなと助言したのですが……首をすげ替える時機がきたのかもしれません」
「貴女がそう言うなら、それがいいのかもしれませんね。どのみち、彼が我が屋敷へ押しかけてこないことを祈るとしましょう」
そうなったら、店主は勿論。
店も彼女も終わりだ。
私は女性が聡明であることを静かに祈った。
華道系、茶道系は通信講座で学んだ。
フォローはハイスペック資格マニアの夫がしてくれたので、どちらも人に教えられる資格を取得している。
しかし寄せ植えには手を伸ばしていない。
ガーデニングにも興味はあったのだが、外での作業が多いと夫が難色を示していたのだ。
最近ではインドアガーデニングなどの通信講座も出始めていたので、それなら許可がおりるかなぁと思案していたりする。
ちょうどいい機会だ。
バルコニーに置く程度の寄せ植えなら、初心者向けだろう。
「そういえばこちらでガーデニングを趣味にしている方っているのかしら?」
「貧民から貴族まで楽しんでおります。女性が若干多めですが、本格的なものは男性が多いようでございます」
「貧民と貴族におけるガーデニングの違いは、金額の差ではないのかのぅ、実際のところは」
「庭師を百人使って、私が一から造り上げた庭園ですのよ? とおっしゃった婦人もいらっしゃいました」
熟練庭師が造った素敵な薔薇園とか憧れるけどね。
一緒に見たい夫がいないから、そこまでするつもりはないかな。
こちらでやるのならば、貧民女性が求めるものと同程度が無難かも。
「初心者だから、バルコニーをしつこくない感じで仕上げるのが目標ですね」
「なるほどのぅ……むぅ? またトラブルか?」
店の前で見た目熊っぽい男性が、清楚な女性を必死に引き留めている。
「もう、離してよ! しつこい!」
女性が思いきり男性を振り払う。
ぱん! と手の甲を叩く音が高く響いた。
「エルヴィーラ!」
「ヴィンフリート様っ!」
そして馬車と店の間に男性が走り込んでくる。
なかなかのイケメンは無駄に装飾過多な衣装を纏っていた。
「迎えに来たよ! 何もかも捨てて、僕の元へおいで!」
「ああ! ヴィンフリート様! 私、身一つで貴男様の元へまいります!」
ん?
不倫した挙げ句の強奪現場かな。
駆け落ち三秒前とか、とんだ茶番だ。
「……彩絲。事情を伺って」
「うむ」
蜘蛛から人型へと変じた彩絲が優雅な所作で馬車から降りていく。
「我が御主人様の足を妨げる愚か者は誰じゃ? 名乗るがよい!」
彩絲の言葉に反応したのは熊男。
「高貴な御方に御無礼いたしましたこと、深くお詫び申し上げます。清楚な一輪が店主、ギードと申します」
地べたに這いつくばるようにして謝罪をしながら名乗った。
「き、貴様は何者だ? 貴様こそ、名乗れっ!」
「誰に向かっての暴言でございましょう。家まで巻き込む愚か者と、誹られたいわけではございませんな?」
ヴィンフリートと呼ばれた男性の暴言を聞いて、馬車からリゼットが降りていく。
「なれば、早急に名乗られませぃ!」
通行人が飛び上がってしまう声にも、ヴィンフリートは不遜な態度を崩さない。
「お、王の乳母如きが何を申すのか?」
「こちらの馬車には、時空制御師最愛の御方様が乗られておるのじゃがなぁ? 最愛の御方様は、バロー殿に同乗を許されたというに。そもそも王の乳母『如き』との暴言がどれほど己の立場をなくすのか、わからないのかぇ」
「う、うるさいっ! 最愛の御方が、こんな貧相な店に来るわけがなかろう!」
彩絲が目配せをするので、すかさず馬車の前に移動したリゼットの手を借りて馬車を降りる。
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