テラーノベル
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『はい、マスク。変装ってほどでもないけどな』
誠也くんはキャップとマスクを渡してくれた。
近所の商店街を歩くだけって聞いたけど、やっぱり彼は有名人。
こんなふうに2人で並んで歩くなんて、それだけで心臓が騒がしい。
『人混みは避けたいし、静かなとこ行こか。公園の近くに、ちっちゃいカフェあるねん。あんま知られてへんけど、落ち着くとこでな。』
「……そんな場所、推しと来るなんて、思ってもみなかった」
『今は“推し”やなくて、“誠也”として隣におるんやで?』
ふいに名前を呼ばれて、胸がぎゅっとなった。
彼の歩幅はちょっとだけ大きくて、でも私の歩調に合わせてくれてるのがわかる。
それだけで、距離がぐっと近づいた気がした。
カフェは本当に静かで、窓際の席に座ると風が気持ちよかった。
『ここのチーズケーキ、めっちゃうまいんよ。食べてみ。』
「……あ、本当だ。濃厚なのに、くどくない」
『やろ? ここ来たの、久しぶりやわ。』
誠也くんはふと、遠くを見るような目をした。
なんとなく、その表情に惹きつけられる。
『昔、1人でよう来とってん。歌うのがしんどなった時とか。せやけど、今こうして誰かと来れるん、ええもんやな』
「……誰かって、私でよかったの?」
『うん。あんたでよかった』
真っ直ぐな言葉に、返事ができなかった。
思い出せないことはまだたくさんある。
でも、彼の笑顔と声は、ちゃんと今の私の中に残っていく気がした。
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