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第十七話 気でいろ
寒さは、もう痛みではなかった。
痛みを通り越して、ただ遠い。
身体がどこからどこまであるのか分からない。
指も、足も、胸も、境界が曖昧だ。
死んだのだろうか。
そう思うほど、静かだった。
だが。
雪を踏む音が、止まる。
布を引きずる感覚も、止まる。
そして、声。
「……死んでしまったのね」
ああ。
生きている。
自分は、まだ生きている。
声が聞こえる。
アディポセラ様の声だ。
呼ぶ気は起きない。
喉は動かないが、動いたとしても、たぶん呼ばなかった。
雪が軋む音。
すぐ隣に、重みが沈む。
冷たい地面とは違う感触が、胸元に触れる。
温かい。
わずかに。
彼女の頬だと理解するまで、時間がかかった。
腕が自分の上に乗る。
震えているのが分かる。
生きていると伝えるべきだろうか。
いや。
このまま死んだことにされるなら、それでもいい。
少なくとも、引きずられることは終わる。
「私たち……もうずっと……」
互いのこと、好きじゃなくていいでしょう。
声が近い。
彼女はそう言ったのだろうか。
聞こえなかったが、私に伝わっているなら、そう言ったのだろう。
胸の奥で、何も動かない。
もともと、好きではない。
彼女がそう思っていたのなら、それでいい。
「……私は、ここじゃない所でも幸せになれるのよ」
幸せ。
その言葉は、空気のように薄い。
「あなたも、ね」
自分は死んでいることになっている。
それなら、自由だ。
彼女の正しさにも、願望にも、付き合わなくて済む。
それは悪くない。
「…忘れてよ」
その言葉が落ちる。
忘れる。
忘れてやりたい。
忘れて、新たな人生を歩みたい。
ただ。
胸の上にある温度が、わずかに重い。
それだけが、煩わしい。
目を開けるな。
そう思う。
目を閉じたままでいれば、彼女は安心する。
自分も、解放される。
だが、まぶたの裏に光が滲む。
星の光だ。
反射のように、わずかに目が開く。
冷たい夜空が、にじんで見えた。
彼女の横顔は、視界の端で揺れるだけ。
特別な感情は浮かばない。
ただ、まだ息は続いている。
すぐに、まぶたは落ちる。
もう一度開ける理由はない。
動けない身体は、そのままでいい。
彼女は気づかない。
気づかないまま、隣で目を閉じている。
雪は降らない。
静かな夜だけが、二人を覆っている。
生きている。
だが、それを知らせる必要はない。
アディポセラ様は、私を殺した気でいるのだから。