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私の表情をうかがいながら拓真は言った。
「時間がまだ大丈夫なら、もう一杯だけ付き合ってくれない?今のこの嬉しさの余韻をもう少しだけ味わいたいんだ」
それは私も同じだった。まだもう少し、彼とこうしていたいと思う。
「えぇ」
頷く私を嬉しそうに見て、拓真はスタッフを呼び、ドリンクを注文した。
しばらくして注文したドリンクが運ばれてきた。私たちは微笑みを交わしながら、二杯目のグラスを傾け合った。
ここに来た時とは比べ物にならないほど幸せな気分で時間を過ごし、のろのろと重い腰を上げて私たちはバーを後にした。
エレベーターに乗り込み、ドアが閉まった途端、拓真が口を開く。乗客は私たちしかいない。
「確認だけど、俺は碧ちゃんを待ってていいんだよね?太田さんと別れたら、俺の所に戻ってきてくれるんだよね?」
「拓真君が待っていてくれるのなら、そうしたいと思ってるわ。でも、もしもやっぱり待てないだとか、素敵な人に出会ったなんていうことがあれば、私のことは忘れてくれていいから……」
苦笑を浮かべ拓真は私の顔をのぞき込む。
「そんなつもりは毛頭ないよ。ところで、碧ちゃん、俺にまだ言っていない言葉があるよね」
「え?言葉?」
「そうだよ。話の所々にそういう言葉はあったけど、君の口からちゃんと聞きたい」
拓真は指先で私の頬にそっと触れる。
彼の目を見返して
気づく。今の気持ちとして最も大切な言葉を、確かにまた彼に伝えていなかった。改めて言おうとする恥ずかしい。頬を熱くしながら私は言う。
「好きです、今も……」
言い終えたタイミングで、エレベーターが到着した。
ゆっくりと開くドアを見ながら、彼が脱力したようにつぶやく。
「今はまだ、碧ちゃんが俺の彼女じゃないことが本当に悔しいよ」
「え?」
拓真は私の肩を抱くようにしながらエレベーターから出た。
耳元に彼の囁きが聞こえる。
「彼女だったらキスしてたよ」
「えっ……」
どきりとして見上げた拓真は、私と目が合うと照れたように笑った。
「アパートの前までタクシーで送るよ」
その申し出に素直に頷き、私は彼と一緒にホテルの前からタクシーに乗り込んだ。
車が走り出して間もなく、彼は言う。
「今日はありがとう。まだしばらくは俺たちの関係を知られないように、同僚らしく振舞わないと、だね」
「色々と面倒なことを言ってごめんなさい」
「どうして謝るの?碧ちゃんがそうしてほしいなら、いくらでも協力するよ。俺たちの関係を周りには知られたくないっていうのは、太田さんのことがあるからなんだろ?でも、例えばだけど、会社で気軽に話せない分、電話やメッセージはしてもいい?」
「それは、ダメ」
私の心はすでに太田にはないが、彼は私を恋人だと思っている。太田に知られたら、私が拓真と浮気をしていると思い、どんな暴挙に出るか分からない。それが恐い。
私の表情からそれを読み取ったのだろう。拓真は残念そうな顔をする。
「そうだよね。まだ俺は彼氏じゃないわけだから、良くないよな」
「ごめんなさい。早く終わらせるから……」
「大丈夫だよ。あぁ、もう着いたのか。……おやすみ。ゆっくり休んで」
「ありがとう。おやすみなさい。……また、明日、会社でね」
名残惜しいと思っているのは、きっと私だけじゃない。街灯の灯りにぼんやりと見えた拓真も切なげな表情をしていた。
私たちは、互いにその気持ちを吹っ切るようにして、笑顔で手を振り合った。
彼の乗るタクシーを見送りながら、私は改めて決意する。とにかく早く、太田に別れ話を切り出そう。太田と別れた後は、拓真と穏やかで幸せな時間を過ごすのだ。