自販機の影に身を潜め、缶コーヒーを啜りながら、ターゲットのいる店を監視するオレ。
さて、ここまでの行動を見れば、オレの仕事が何なのか、だいぶ絞られてきたであろう。
A:刑事。B:探偵。C:某国の工作員。D:漫画編し――
「待たせたな、サーベラス」
「お疲れ様です、雅子さ――いえ、デビル」
肩越しに聞こえて来た、聞き覚えのある女性の声。オレはその声に、振り向くことなく返事を返した。
彼女の名は吉田雅子さん、コードネームは|悪魔《デビル》。職場の先輩にして、オレの所属する部署のチーフでもある。
オレと同じ方向へ視線を向けながら、顔を寄せ小声で話す雅子さん。
タイトなスーツを|一分《いちぶ》の隙もなく着こなし、綺麗な髪をアップにまとめた妙齢の女性。
鼻孔をくすぐる香水の香り――
その大人の色香に心拍数が跳ね上がるのを懸命に堪えて、オレは平静を装った。
「やはり予想通り、ポイントCKHに現れたか……ターゲットは、まだ店の中だな?」
「はい」
「よしっ、ターゲットはおそらく店の一番奥の席だ。私が正面から接触する。サーベラスは左回りに迂回して逃げ道を塞げ」
「了解」
作戦の最終確認したオレ達。
飲みかけの缶コーヒーを一気に飲み干し、自販機に備え付けのゴミ箱投げ入れてから雅子さんに続いてゆっくりと歩き出す。
そして扉の前で一つ深呼吸をし、オレ達はレンガ造りのレトロな店内へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ~。二名様でよろしいですか?」
そんなオレ達を出迎えたのは、モノトーンのシックな衣装を纏ったウェートレスさんの営業スマイル。
しかし雅子さんは、その営業スマイルを真顔のままスルーしてツカツカと店の奥へと歩きだした。
「連れが先に来てるので、お構いなく」
そう告げてオレも、当初の計画通りに左回りで店の奥を目指し歩き出す。
小さめのファミレスのみたいな造りで、店内は仕事帰りのOLさん達で賑わっている。
そんな彼女達の前には、|一様《いちよう》に大量のケーキが鎮座していた。
オレを除けば女性率100%を誇る店内。
ケーキと香水の入り混じった甘い香りが漂う女性の楽園に若干の居心地の悪さを感じつつも、オレはポーカーフェイスで店の奥へと歩みを進めた。
ビンゴ――
雅子さんの予想通り。一番奥の席に陣取っていたターゲットを発見。
帽子を深めにかぶりながら、テーブルに|所狭《ところせま》しと並ぶケーキを至福の表情で頬張っているターゲット……
正直、甘い物が苦手という訳ではないけど、流石にそのケーキの量には、見ているだけで胸焼けがしてきそうだ。
まあ、ここまでくればお気付きだと思うが、ココはケーキバイキングが評判のスイーツ専門店。
そう、ポイントCKHとは『C:ケーキ K:食い H:放題の店』の略である。
オレが少し離れた位置で立ち止まると同時に、雅子さんがターゲットへ正面から声をかけた。
「こんばんわ、|富樫《とみがし》先生。相席よろしいですか?」
雅子さんに『富樫先生』と呼ばれたターゲットは、一気に顔を青ざめさせ、食べかけのケーキを持ったまま逃亡を図ろうと席を立つ。
が、しかし……
「わたしも、ご相伴してよろしいですか? 富樫先生」
オレは口角をつり上げ、不敵に笑みを浮かべながら、その通路を塞ぐ様に前へと進み出る。
完全に逃げ場を失ったターゲットは、がっくりと項垂れながら、再び椅子へと腰を落とした。
「先生――進捗をお伺いしてもよろしいですか?」
「ほ、ほとんど終わってますよ……あ、あとは、最後の微調整……くらいかしら?」
ターゲットの正面に座り、鋭い視線を向けて問う雅子さん。対して、冷や汗を流しながらそっと視線を外すターゲット……
「本当は?」
「い、一応……下描きは終わってます……」
「ペン入れは?」
「二ページほど……」
下描きにペン入れ――この二つのワードに、ピンときた方もいるのではないだろうか?
そう、彼女はペンネーム、|富樫博代《とみがしひろよ》先生という少女漫画家であり、オレの勤務する星くず社のスターダスト出版、通称SD出版が発行している月刊少女雑誌『マリン』の看板作家の一人である。
連載作である『|HEART《ハート》×|HUNTER《ハンター》』は、今年で連載七年目。更にコミックスは、累計で七百万部を売り上げている超人気作家なのだ。
ただ困った事に、何かあるとすぐ原稿を放って逃げ出してしまうという、編集者泣かせの作家さんでもある。
「先生? 印刷所では今、輪転機を止めて先生の原稿を待っているのはご存知ですよね?」
「うっ……………………はい」
言葉を詰まらせ視線を逸しながらも、コクンと頷く富樫先生。雅子さんはそれを確認すると、ニッコリ黒い笑みを浮かべて立ち上がった。
「結構、それが分かっているなら問題ありません――北村っ、缶詰の準備はっ!?」
雅子さんの口にした『缶詰』という言葉に身を震わせ怯える富樫先生。
この場合の缶詰とは、作家の原稿が間に合いそうにない場合や作家が締め切りから逃げ回る場合に、ホテルなどへ軟禁(限りなく監禁に近い)して原稿に集中させるという、この業界の隠語である。
恐怖に身を縮め、ガクガクと震える先生を横目に見ながら、オレは一歩前に出た。
「はいっ! いつものABAホテルの最上階に、先生の仕事道具一式と、冷えピタ、ドリンク剤を1ダースづつ用意してありますっ!」
「パーフェクトだ、サーベラス」
「ありがとうございますっ!」
直立で敬礼をするオレに、ニヒルな笑みを向ける雅子さん。そして、その笑みを悪魔の笑みに変えながら、ゆっくりと富樫先生へ顔を向けて行く。
「では参りましょう、富樫先生。リミットは印刷所が開く明日の朝九時。それまでに仕上げて、印刷所に持って行けば間に合います」
「厶、ムリよ……ペン入れがあと三十ページも残っているのよ……」
「問題ありません。背景は私が、ベタとトーンは北村がやりますし、最悪の場合は|群衆《モブ》のペン入れもコチラでやりますから、先生はメインのペン入れに集中して下さい。『寝ない、食べない、休まない』の3ないの誓いを守れば、充分に間に合います」
キッパリ言い切る雅子さん。
そしてその言葉に今夜は徹夜が確定し、今にも泣き出しそうな富樫先生。ちなみにその言葉はオレ達の徹夜も確定させており、オレもやはり泣きたい気分になった。
「いやぁぁぁああぁぁ~~~~っ! せめてタルトとミルフィーユは、食べていかせてぇぇぇぇ~っ!!」
「大丈夫です。ちゃんとテイクアウトしておきますから、原稿が上がったら好きなだけ食べて下さい」
大先生の発する魂の叫びを、容赦なくシャットアウトする雅子さん。
そんな悪魔の如き雅子さんに腕を掴まれ引き摺られて行く富樫先生を、売られて行く仔牛を見る様な目で見送りながら、オレはレジへと向った。
「すみません、あのテーブルのケーキ、テイクアウトお願いします」
「え、あ、あぁ……え、え~と、別料金になりますが、よろしいですか?」
「構いません。それから、領収書を『SD出版』でお願いします。あっ、前株で」
状況に付いて来れずに、アタフタしているウェートレスさんに料金を支払い、領収書を受け取る頃、他のスタッフにより箱詰めされたケーキがレジまで届けられた。
オレはそれを受け取ると、客席からポカーンとした目を向けているOLのお姉さん達に向き直る。
「お騒がしました。今の事は気にせずに、引き続き歓談をお楽しみ下さい」
深々と一礼をして、店をあとにするオレ。
さて、今夜は徹夜だ。気合い入れていきますかっ!