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第41話「エルフを国に登録する場合」
月曜日。
午前九時十五分。
営業企画部。
森野リリカの机。
一枚の資料。
『長寿者に関する公的登録制度(仮称)』
登録項目。
氏名。
生年月日。
種族。
現在の住所。
過去の身分記録。
過去に使用した氏名。
森野は。
最後の一行を見ていた。
「過去に使用した氏名……」
相沢直人が聞く。
「まずい?」
「かなり」
月島セシルも資料を見る。
「これは嫌ですね」
藤堂ユウ。
「母も絶対嫌がります」
部長。
「まだ案だから」
森野。
「任意ならいいです」
「でも」
「はい」
「義務化も検討って」
森野の耳。
下がる。
「それは駄目です」
相沢。
「どうして?」
森野は。
少し考える。
「相沢さん」
「うん」
「私」
「うん」
「百四十三年間」
「うん」
「森野リリカだけだったわけではありません」
「分かってる」
「でも」
資料を見る。
「過去の名前を全部」
「うん」
「国に出せと言われても」
首を振る。
「できません」
「犯罪とか?」
「してません!」
ぴく。
「いや、確認」
「犯罪はしてません」
耳。
静止。
田中美咲が。
少し離れた席から。
「本当だ」
森野。
「耳で犯罪歴確認しないでください!」
午前十時。
緊急オンライン会議。
榊原。
森野。
月島。
藤堂アリア。
海外から。
エリアス・リンデン。
八百十二歳。
その他。
二十人ほどのエルフ。
画面。
ずらり。
森野。
「すごいですね」
月島。
「何が?」
「平均年齢」
榊原。
『そこはどうでもいい』
会議開始。
意見。
真っ二つ。
『登録したほうがいい』
『制度上の身分が安定する』
『年金や医療の問題も解決しやすい』
一方。
『絶対反対』
『過去の身分まで出す必要はない』
『エルフの名簿を国が持つことになる』
『将来どう使われるか分からない』
アリアが言う。
『私は反対』
森野。
「理由は?」
『面倒だから』
森野。
「もう少し真面目に」
『百五十二歳分の記録を整理する身にもなって』
森野。
「それは分かる」
エリアス。
八百十二歳。
静かに。
『私の場合』
全員。
見る。
『過去の氏名を全部書いたら』
少し考える。
『三十七人分になります』
森野。
「三十七?」
月島。
「多い」
エリアス。
『仕方ないでしょう』
『八百年ですよ』
森野。
「説得力があります」
榊原。
『問題は数ではない』
『登録によって』
『エルフであることが行政上の正式情報になる』
全員。
静かになる。
エリアス。
『それ自体が悪いわけではない』
『しかし』
『誰が閲覧できるのか』
『何に利用できるのか』
『本人の同意なく研究機関へ渡らないのか』
『民間企業へ漏れないのか』
『百年後も同じルールなのか』
森野。
「百年後」
エリアス。
『我々には現実的な期間です』
その言葉。
重い。
人間にとって。
百年後は。
遠い未来。
エルフにとって。
自分がまだ生きている可能性の高い未来。
森野は。
資料を見る。
午後。
会社。
相沢が。
森野へコーヒーを渡す。
「はい」
「ありがとうございます」
「難しい?」
「はい」
「登録したくない?」
「今の案なら」
「うん」
「したくありません」
耳。
動かない。
相沢。
「でも」
「はい」
「制度がないと困ることもあるんでしょ?」
「あります」
「年齢とか」
「はい」
「戸籍とか」
「はい」
「年金とか」
「はい」
「結婚とか」
森野。
「最後いりません」
「制度の資料にあった」
「……」
耳。
ぴく。
相沢。
「結婚するなら必要でしょ」
森野。
「今は仕事中です」
「制度の話です」
「顔が制度の顔じゃありません」
「制度の顔って何」
森野は。
コーヒーを飲む。
「難しいんです」
「何が?」
「今までは」
「うん」
「存在しないふりをしていればよかった」
「……」
「でも」
自分の耳に触れる。
「私が出てきた」
「うん」
「月島さんも」
「うん」
「レオンも」
「うん」
「世界中のエルフも」
「うん」
「ミナちゃんみたいな子もいる」
森野は。
少し考える。
「だったら」
「うん」
「制度が必要なのは分かります」
「でも管理されたくない」
「はい」
耳。
動かない。
相沢。
「じゃあ」
「何ですか」
「それを会議で言えば?」
森野。
「簡単に言いますね」
「俺、三十一歳だから」
「関係あります?」
「百年先まで考えられない」
森野。
少し笑う。
「それ」
「うん」
「たまに羨ましいです」
翌週。
霞が関。
第二回。
長寿者制度検討会。
森野。
月島。
そして。
今回は。
エリアスも参加。
八百十二歳。
役所側。
少しざわつく。
担当者。
「八百十二歳……」
エリアス。
「はい」
「生年月日は?」
「正確には分かりません」
「分からない?」
「そのころ」
エリアスが言う。
「今の形式の出生届はありませんでした」
担当者。
「……」
エリアス。
「だから困っているのでしょう?」
森野。
少し笑う。
会議。
登録制度。
担当者が説明。
「行政サービスを適切に提供するため」
「長寿者の実態把握が必要です」
森野。
手を挙げる。
「質問いいですか」
「どうぞ」
「実態把握って」
「はい」
「どこまで?」
担当者。
「年齢、身分関係、過去の記録など」
「なぜ過去の名前が必要なんです?」
「同一人物であることの確認です」
「全部?」
「可能な範囲で」
森野。
「では」
「はい」
「その情報は誰が見られます?」
担当者が止まる。
「行政機関の」
「どの行政機関?」
「必要な範囲で」
「必要って誰が決めます?」
「……」
森野。
「研究機関には?」
「現時点では想定していません」
「現時点?」
担当者。
少し困る。
森野。
「百年後は?」
会議室。
静かになる。
「私は」
森野が言う。
「百年後も生きているかもしれません」
「はい」
「だから」
「……」
「今だけ安全ですと言われても」
首を振る。
「安心できません」
エリアスが。
小さくうなずく。
月島も。
「私たちは」
森野は続ける。
「制度に反対しているわけではありません」
「はい」
「人間と同じように」
「はい」
「働いて」
「はい」
「税金を払って」
「はい」
「病院へ行って」
「はい」
「結婚したり」
一瞬。
止まる。
耳。
ぴく。
月島。
横を見る。
森野。
続ける。
「生活したいだけです」
担当者。
「分かります」
「でも」
「はい」
「生活するために」
森野は言う。
「自分の百年以上の人生を全部提出しなさい」
「……」
「それは違うと思います」
耳。
動かない。
会議終了。
担当者側から。
修正案。
登録は。
当面。
本人の任意。
過去の氏名は。
原則非公開。
必要最小限。
研究利用は禁止。
第三者提供には本人同意。
制度案を再検討。
森野。
建物を出る。
「疲れました」
月島。
「前回より話しましたね」
「もう行きたくありません」
エリアス。
「次も呼ばれますよ」
森野。
「八百十二歳なんですから代わりに出てください」
エリアス。
「私は来月ヨーロッパへ帰ります」
森野。
「逃げるんですか」
エリアス。
「長生きの秘訣です」
夜。
相沢と。
駅前。
森野が今日の話をする。
相沢。
「結婚って言ったとき」
「何ですか」
「耳動いた?」
森野。
「そこですか?」
「重要」
「制度の話をしてください」
「制度より重要」
「動いてません」
ぴく。
相沢。
「今動いた」
「今のは怒りです」
「じゃあ」
「何ですか」
「結婚」
ぴく。
「もう一回」
ぴく。
「もう一回」
森野。
「相沢さん」
「はい」
「遊んでますね?」
「少し」
森野は。
手を離す。
「帰ります」
「同じ方向」
「一人で帰ります」
相沢。
追う。
「ごめん」
「知りません」
「プリン買う」
森野。
止まる。
「……何プリン?」
相沢。
「高いやつ」
森野。
「二個?」
「二個」
森野。
少し考える。
「では」
手を出す。
「許します」
相沢。
手を握る。
森野。
「プリンの話です」
「分かってる」
その夜。
森野の家。
二人。
プリン。
テレビ。
普通の夜。
森野は。
ふと思う。
国が。
制度を作ろうとしている。
世界が。
エルフの存在を知り始めている。
百年後のことまで。
考えなければならない。
でも。
今。
隣には。
プリンを食べている。
三十一歳の人間がいる。
「相沢さん」
「何?」
「一口ください」
「自分のあるじゃん」
「そっちのほうがおいしそう」
「同じだよ」
「一口」
「嫌」
森野。
「……」
相沢。
「その顔やめて」
「一口」
「分かったよ」
スプーン。
一口。
森野。
食べる。
「同じですね」
「だから言ったじゃん」
森野は。
笑った。
百年後より。
今日のプリン。
今は。
それくらいで。
ちょうどよかった。
翌朝。
営業企画部。
藤堂ユウが。
一通のメールを見る。
「森野さん」
「はい」
「母から」
「アリア?」
「はい」
「何?」
藤堂の顔が。
少し困っている。
「父が」
「はい」
「森野さんに会いたいそうです」
森野。
「旦那さん?」
「はい」
「百年前」
藤堂。
少し笑う。
「森野さんが」
「……」
「『絶対にアリアを不幸にする』って言った本人です」
森野。
「……」
相沢。
顔を上げる。
田中。
顔を上げる。
月島。
顔を上げる。
森野は。
ゆっくり机に。
額をつけた。
「まだ」
耳が。
真っ赤になる。
「百年前の話」
「残ってたんですか……」
どうやら。
百年以上生きるということは。
黒歴史まで。
なかなか寿命を迎えてくれないらしい。
コメント
1件
読了しました。公的制度とエルフの共生という重いテーマを、森野さんの視点から丁寧に描かれていて、すごく引き込まれました。「百年後も生きているかもしれないから今だけ安全では安心できない」という感覚、人間にはない視点で考えさせられます。一方で、プリンの一口をねだったり、黒歴史が百年前まで遡る最後のオチには思わず笑ってしまいました。重いテーマと軽やかな日常のバランスが絶妙ですね🤍