テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#ライトノベル
こはる
871
Nu²Ⅰ
14,737
上野文
6,157
#ご本人様には関係ありません
ふゅう@低浮上
8,626
第十七章 消された研究者編
第238話 医療棟外縁
【異世界・王都イルダ/医療棟外縁・昼】
足の裏に、硬い地面の感触が戻った。
次の瞬間、ハレルたちの背後で透明な輪が細く縮み、音もなく閉じた。
現実世界の仮設通信室。机の上に残してきたハレルとリオのスマホ。
城ヶ峰や日下部たち。
そのすべてが、光の向こうへ消えた。
残ったのは、冷たい風と、薬草の匂いだった。
「……着いた」
サキが小さく言う。
胸の前には、reの映るスマホがある。画面の中で、小さな光が淡く揺れていた。
ハレルは周囲を見回した。
目の前にあるのは、白い石で造られた大きな建物。
王都イルダ医療棟。
以前、ユナのコアを戻すために訪れた場所だった。
あの時、ハレルもリオも、この医療棟でユナに会っている。
だが、学園が現実へ帰還してからは、再び世界を隔てられた。
今、ユナはまた、この建物の中にいる。
リオは医療棟を見上げた。
「姉さん……待ってろ」
すぐに走り出しそうになる。
だが、その前にサキが声を上げた。
「待って」
リオが振り返る。
サキのスマホで、reが激しく揺れていた。
白い光は医療棟ではなく、横に広がる林へ向いている。
「何かいる」
ハレルは主鍵のネックレスに触れた。
熱はある。
だが、現実側にいた時よりも反応が鈍い。
仮設門を越えた直後で、まだ身体も座標も完全には安定していない。
「リオ」
「ああ」
リオも右手首の副鍵へ触れた。
腕輪は淡く光っている。
その時。
林の奥で、枝が折れた。
ぱきり。
一度。
続いて、別の場所。
ぱき。
ぱきり。
音が増えていく。
風は吹いていない。
それなのに、木々の影だけが揺れていた。
ハレルはサキを背中側へ下がらせる。
「俺たちから離れるな」
「うん」
林の中に、黒い点が浮かんだ。
二つ。
四つ。
六つ。
目だった。
地面近くに並んだ黒い目。
その奥から、獣の形をした影が姿を現す。
狼に似ている。
だが、脚が長すぎる。
身体の一部が煙のように崩れ、また別の場所で形を作っている。
一体。
二体。
さらに奥から、三体。
全部で五体。
リオは右手を前へ出した。
「こんな時に……!」
副鍵の光が腕を伝う。
だが、いつものように術式が安定しない。
指先へ集まった光が、途中で細く途切れた。
「まだ転移の揺れが残ってる」
ハレルは主鍵を握る。
「無理に大きい術を使うな」
黒い獣影の一体が、低く身を沈めた。
次の瞬間。
地面を蹴る。
速い。
「サキ、下がれ!」
リオが前へ出た。
獣影の爪が振り下ろされる。
リオは右腕で受けた。
副鍵の光が一瞬だけ盾の形になる。
だが、まだ不安定だった。
衝撃でリオの身体が後ろへ押される。
「くっ……!」
「リオ!」
ハレルが主鍵を前へ向けた。
白い線が伸び、獣影の身体へ絡みつく。
けれど、完全には止まらない。
影の身体が白い線の隙間から煙のように崩れ、別の形になって抜け出した。
林の左右から、残りの獣影も走り出す。
一体はハレル。
二体はサキ。
残る二体は、医療棟の外壁へ回り込もうとしていた。
「来る!」
サキがスマホを抱える。
reが強く光った。
白い線が、サキの足元から右へ曲がる。
サキは反射的に、その線へ一歩動いた。
直後。
さっきまで立っていた地面を、黒い爪が切り裂いた。
三本の黒い傷が残る。
「re……ありがとう」
だが、獣影はすぐに向きを変えた。
再びサキへ飛びかかる。
ハレルが走る。
間に合わない。
その時。
医療棟の上から、白い光が降った。
「伏せてください!」
知らない女性の声。
サキが頭を下げる。
白い光が獣影の身体を貫いた。
爆発ではない。
柔らかな治癒の光。
だが、黒い獣影は大きく身体をのけぞらせた。
影の表面から、黒い煙が剥がれていく。
「ギィィ……!」
獣とも人とも違う声が響く。
続いて、医療棟の横から三人の術師が現れた。
全員、白と青の治療服を着ている。
武器は持っていない。
代わりに、両手の間へ淡い光を集めていた。
先頭の女性術師が叫ぶ。
「治療班、外縁結界を展開!」
後ろの二人が同時に術式を開いた。
「〈光癒・浄輪〉!」
白い輪が地面へ広がる。
ハレルたちを囲み、そのまま獣影の足元まで伸びた。
黒い脚が光に触れる。
その部分だけが薄く崩れる。
獣影たちは一斉に後退した。
リオはすぐに状況を理解する。
「治癒光で押し返すのか」
「はい!」
先頭の女性術師は、獣影から目を離さずに答えた。
「外縁結界まで下がってください!」
「この場所なら、私たちの術を広く使えます!」
ハレルたちも、獣影に光系治癒術が効くことは知っている。
以前にも、傷や歪みを形にした影が、治癒の光によって崩れるところを見てきた。
ハレルはサキを結界の内側へ下がらせる。
「リオ、無理に追うな」
「分かってる」
獣影の一体が、もう一度飛びかかった。
女性術師は片手を向ける。
「〈照癒・白環〉!」
白い光が円を描いた。
獣影の胸へ触れる。
黒い身体が大きく揺らぐ。
背中が崩れ、脚が消える。
獣影は地面へ落ちる前に、煙へ変わった。
残る四体が、林の奥で動きを止めた。
黒い目だけが光っている。
治療術師たちは、ハレルたちの前に並んだ。
「医療棟へは近づけさせません」
白い光が強くなる。
獣影たちは低い声を上げた。
だが、襲ってこない。
一歩。
また一歩。
ゆっくりと林の奥へ下がっていく。
最後まで、黒い目だけはハレルたちを見ていた。
やがて、木々の影へ溶ける。
林は再び静かになった。
◆ ◆ ◆
女性術師は、しばらく林を見ていた。
完全に気配が遠ざかったことを確認してから、ハレルたちへ振り返る。
「けがはありますか」
リオが右腕を見る。
爪を受けた場所に、薄い黒い傷が残っていた。
「少しだけ」
女性術師はすぐに近づく。
「見せてください」
「いや、このくらいなら――」
「医療棟の外で黒い傷を放置しないでください」
強い口調だった。
リオは少し驚きながらも腕を出した。
女性術師が手をかざす。
白い光が傷を包む。
痛みが薄れ、黒い線も少しずつ消えていく。
「イデールの部下か」
ハレルが聞く。
女性術師は頷いた。
「はい。私たちは医療棟外縁を守る治療班です」
「イデール様はユナさんのそばを離れられません」
「そのため、私たちが迎えに来ました」
リオの表情が変わる。
「姉さんは」
「安定しています」
女性術師はすぐに答えた。
「ですが、あなたたちが門を越えた時、反応が少し強くなりました」
「悪くなったのか」
「いいえ」
女性術師は少し迷ってから言った。
「目を覚まそうとしているようにも見えます」
リオは医療棟を見た。
すぐにでも走りたい。
だが、一度息を吸い、足を止める。
「分かった」
女性術師は少し意外そうな顔をした。
以前のリオなら、説明の途中でも走り出していたかもしれない。
けれど、今は待つことを選んでいる。
「こちらです」
治療術師たちが歩き出す。
正面入口ではない。
医療棟の外壁沿いにある細い通路。
サキのスマホで、reも同じ方向へ白い線を伸ばした。
ハレルが気づく。
「reも、そっちを示してる」
先頭の女性術師が振り返った。
「正面入口は使えません」
「Cの影か」
「はい」
女性術師は表情を曇らせる。
「今朝から、入口の近くに黒い揺れが出ています」
「患者や治療術師には、まだ触れていません」
「ですが、外から誰かが入ろうとすると反応します」
サキはスマホを見る。
reは正面入口へ近づこうとしない。
白い線は建物の横を通り、青い治癒結界の内側へ続いている。
「最初から、こっちを通るつもりだったんだ」
サキが言う。
ハレルは林を振り返った。
黒い獣影は消えた。
だが、倒したわけではない。
光を嫌い、引いただけだ。
「さっきの獣影は、いつからいる」
女性術師は歩きながら答えた。
「数日前から、林の中で一体か二体は確認されていました」
「でも、同時に五体も現れたのは初めてです」
リオが低く言う。
「俺たちを待ってた」
誰も否定しなかった。
仮設門が開くことを知っていた。
三人がここへ来ることを知っていた。
そして、医療棟の外で待っていた。
ハレルは主鍵を握る。
「Cか」
サキのスマホで、reが小さく震えた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/医療棟・側面通路・昼】
青い結界を越える。
空気が変わった。
外の冷たい風が弱くなり、代わりに薬草と銀粉の匂いが濃くなる。
壁には治癒術式が何重にも刻まれていた。
白い光が、ゆっくり流れている。
サキが小さく息を吐いた。
「ここ、少しあったかい」
女性術師が答える。
「治療結界の中です」
「身体だけでなく、名前や意識が外へ流れないようにしています」
ハレルは壁の術式を見る。
名前。
器。
場所。
ユナをここへ留めているもの。
その先から、イデールの声が聞こえた。
「こちらです!」
通路の奥。
白い扉の前に、イデールが立っていた。
普段より疲れた顔。
だが、ハレルたちを見ると少しだけ安心した。
「無事でよかった」
リオはイデールの横を見る。
扉の向こう。
青い治癒光。
その奥にある寝台。
白い布。
長い髪。
眠っている女性。
以前、この医療棟でユナのコアを戻した時にも見た姿。
けれど、あの時より顔色は落ち着いている。
呼吸も静かだった。
「……姉さん」
リオの声がわずかに震える。
また会えた。
だが、喜んで近づくだけではいけない。
ユナの寝台の下には、Cが残した黒い影がある。
そのことを、リオは知っている。
一歩進みかけて、止まった。
サキのスマホで、reが一度だけ強く光る。
イデールも静かに言った。
「まだ、ゆっくり」
リオは頷く。
「ああ」
「分かってる」
ハレルは胸元の主鍵へ触れた。
主鍵は熱い。
医療棟の中。
ユナの近く。
そして、そのさらに奥。
見えない場所で、何かがこちらを見ている。
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深層】
黒い獣影が、林の奥へ戻っていく。
傷ついた影。
光に削られた身体。
ジャバは、その様子を見て舌打ちした。
「使えねえな」
Cは静かに言った。
「治癒光との反応を記録しました」
「記録、記録って」
ジャバは苛立ったように肩を回す。
「今がチャンスだろ」
Cは答えない。
画面の向こう。
ハレル。
リオ。
サキ。
三人は、もう医療棟の中にいる。
ユナのすぐ近く。
ジャバは口角を上げた。
「門を越えた直後だ」
「主鍵も副鍵も、まだ揺れてる」
「今ならまとめて潰せる」
奥にいたカシウスは、何も言わなかった。
ジャバは、それを止められなかったと受け取った。
「俺が行く」
黒い影が、ジャバの足元へ集まる。
獣の形。
爪。
大きな牙。
「今度は治療術師ごと――」
ジャバが一歩踏み出した。
その時。
暗がりの奥から、知らない声がした。
「勝手な真似はやめてもらいたいな」
ジャバの足が止まる。
「……誰だ」
ゆっくりと、一人の男が光の中へ出てきた。
黒い髪。
細身の身体。
研究者にも、企業の経営者にも見える落ち着いた姿。
男は、穏やかに笑っていた。
その後ろ。
灰色の長衣をまとった男が立つ。
冷たい目。
誰か一人を見るのではなく、その場のすべてを分析しているような視線。
さらに、その隣。
大柄な男。
古い王都式の結界衣。
言葉を発さず、深層の境界へ手を触れている。
Cの黒い針が、わずかに止まった。
カシウスは三人を見る。
「ようやく来たか」
黒髪の男は笑みを崩さない。
「門が開いたからね」
「見届けないわけにはいかない」
ジャバが低く唸る。
「何者だ」
Cが静かに答えた。
「白峰律」
黒髪の男。
「オルガ・セフィロ」
灰色の分析官。
「ヴァルド・レイグ」
沈黙する結界術士。
三人の幹部。
クロスワールドゲートを作った者たちが、初めて同じ場所に姿を現した。
白峰律は、医療棟に映るハレルたちを見た。
そして、静かに言った。
「さて」
「匠の門が、どこまで持つか見せてもらおう」
コメント
1件
第238話、読み終えたよ〜!😭✨ 医療棟に着いた途端に獣影の襲撃、めっちゃ緊張した…!しかも転移の揺れで術が安定しない中での戦闘、ハラハラしたよ…。治療班の〈光癒・浄輪〉で押し返すシーン、めっちゃかっこよかった!!リオが姉さんを前にしてちゃんと待つことができてる成長にも胸熱…🥺💕 最後のCのところに現れた白峰律たち、クロスワールドゲートを作った幹部が初めて揃ったってやばすぎる!!「匠の門がどこまで持つか」って意味深すぎて続きが気になりすぎるよ〜!!次の話も楽しみにしてるね!!🌸🔥