明日も仕事があるからと芹が後ろ髪を引かれるようにしながら帰ってしまって、アパートに想と二人取り残された結葉だ。
芹は食べたものの片付けまでしてくれたから、後は入浴を済ませて寝るだけ。
想は買ってきたばかりの布団を出して「これ、お前の、な? ホントは一旦干してからのほうがいいんだろうけど」と申し訳なさそうに眉根を寄せる。
「大丈夫だよ。想ちゃん」
結葉はそんなにやわじゃないと自分では思っているのだけど、想は昔から結葉のことをこれでもかと言うくらい〝女の子扱い〟してくれて、チヤホヤしてくれるところがある。
芹と一緒にヤンチャなことをしようとすると、すごく心配されたのを覚えている。
***
小学三生の頃、近所の川に小一の芹と二人、スカートの裾をまくり上げて入っていたら想にオロオロされまくったのを思い出した結葉だ。
小魚を狙って芹と二人網を川に沈めるたび、
『そこ、ヌルヌルしてるから気を付けろ!』
そう言って最上級生の想が二人の後をくっ付いて右往左往して。
余りにバチャバチャ歩き回るものだから、芹に『お兄ちゃん邪魔! お魚逃げちゃう!』と叱られて。
『すまん』と謝りながらも結局すぐまた同じことを繰り返す。
そうこうしていたら自分達を気遣っていた想が、真っ先に転んでびしょ濡れになってしまった。
芹と二人で大笑いしていたら、結局自分達も滑りやすいコケに足を取られて転んでびしょ濡れになって。
三人で水を滴らせながら家路を急いだのを思い出す。
あれは、まだ水浴びするには早い五月の中旬だった。
あのあと、結局身体を冷やしてしまったのがいけなかったのか、結葉は風邪をひいてしばらくの間、学校を休む羽目になって。
想が、申し訳なさそうな顔をして、何度も何度もお見舞いに来てくれたのを覚えている。
***
そんなアレコレをふと思い出してクスッと笑ったら想に怪訝な顔をされた。
「ごめんね。小さい頃のこと思い出しちゃって」
言ったら、「どうせろくなことじゃねぇだろ」って憮然とされてしまった。
「小学生の頃、川遊びしてて三人で転んだことあったじゃない? あれを思い出しただけ」
言ったら「いや、あれ、俺にとっては汚点だからな?」と溜め息をつかれてしまう。
まぁ確かに妹たちを心配して自分が真っ先に転んだとか……想としてはいい思い出とは言い難いのかも知れない。
そう思っていたら「あの後、お前熱出してしばらく休んだだろ。俺がもっとしっかりしてれば、ってめちゃくちゃ後悔したわ」とつぶやかれて、結葉は思わず想の顔を見つめてしまう。
「想ちゃ……?」
あの時も今も。
想はやっぱり変わらずずっと、結葉のことを自分のこと以上に心配してくれる。
そう思ったら胸がキュッと切なくなった。
「いつも……私のこと、気にしてくれて本当に有難う」
その気持ちをお礼の言葉に託したら、想がうつむいたまま短く「おう」と返してくれて。
こっちを見ようとしない想が、耳まで真っ赤にしているのに気付いた結葉は、それに当てられて自分まで何だか照れてきて困ってしまう。
「あっ、あのっ、想ちゃん。わ、私も手伝うっ」
袋の中から布団カバーなどを取り出す想を見て、結葉はその恥ずかしさを跳ね飛ばすようにわざと明るい声で勢いよく手伝いを申し出て。
一瞬驚いた顔をした想に、
「……じゃ、敷き布団のほう頼むわ」
って、袋から取り出したばかりのカバーを渡された。
受け取った薄桃色のカバーに描かれた絵柄を見て、結葉は思わず笑ってしまう。
結葉が小さい頃にすごく好きで親にねだってはグッズを集めていた、サンリコのウサギキャラ、マイハーモニー柄だったから。
サンリコはマイハモ以外にも沢山の人気キャラクターを展開している、女の子なら誰もが一つくらいはそのグッズを持っている有名なキャラクター企業だ。
結葉も偉央と結婚する前は結構沢山のマイハモグッズに囲まれて生活していた。
大人になってからは、別に熱心に集めていたわけではないけれど、ポーチとかシャーペンとか……可愛いなと思ったら何の気なしに買っていた感じ。
ピンク色を基調としたふんわりした絵柄のマイハモは、見ているだけで気持ちが和んだから。
でも……。
そのグッズを想が買っているところを想像すると、どうしても笑いが込み上げてきてしまう。
余りにも似合わなさ過ぎて。
「――んだよ?」
一人で笑っていたら、想に不機嫌そうな声で問われて、結葉は思わず肩を跳ねさせた。
「ごっ、ごめんね、想ちゃ……っ。かっ、カバーがマイハモだったからちょっと、そのっ、ぎゃ、ギャップ萌えしちゃって」
言っているそばから笑ってしまって、うまく喋れなかった結葉だ。
それにギャップ萌えだなんて言ってしまったら、自分が何を想像して笑っているのかバレバレじゃない!と、すぐに失言だったと思ったけれど後の祭り。
「笑うな。俺だって買うの、すっげぇ恥ずかしかったんだからな?」
今度こそ想が真っ赤になっているのがしっかり見えて、結葉はキュン、と胸が高鳴るのを感じずにはいられない。
(想ちゃん、可愛い……)
完璧主義の夫に対してはただの一度もそんなこと思ったことなかった。
偉央のことは「かっこいい」と思うことはあっても「可愛い」だなんて感じさせられる要素は皆無だったから。
「お、前がっ、このキャラ好きだったな、って思い出したからこれにしただけで……」
そういえば、今日一緒にショッピングモールに行った時にも、結葉は百均でマイハモのグッズをひとつ買っていた。
想がアパートの合鍵をくれると言うから、その鍵につけるキーホールダーにひとつ、マイハモのを選んだのを思い出す。
想はそれを見て「そういえば」って思ってくれただけだと思う。
想が、一生懸命ゴニョゴニョと言い訳をしてくるところもまた、堪らなく愛しく思えてしまった結葉だ。
想は基本的にはいつも優しくてカッコイイお兄ちゃんだ。
だけど時々。
そう、本当に時々。
こんな風に照れて可愛らしいところを見せてくれて、それが結葉にはすごく魅力的に思えてしまう。
何年も離れていたけれど、やっぱり想ちゃんは想ちゃんだ、と改めて実感させられて。
結葉はそれだけで心がほんのりと温かくなる。
「想ちゃん、有難うね。すっごく嬉しい」
布団カバーが甘めのピンク色を基調としたマイハモは、二五才を過ぎた自分にはちょっと痛いかも知れないけれど、誰かに見せるわけじゃなし。
想が自分のために選んでくれたと思ったら、ただただ嬉しい!と思った結葉だ。
そもそもマイハモは嫌いじゃないから。
結局当たり前のように掛け布団も枕カバーもみんな同じセットもので、並べてみたら、本当に薄桃色の甘めな雰囲気になってしまった。
「ヤベーな、これ」
想が思わずそうつぶやいて。結葉も同感だったので二人して顔を見合わせて笑ってしまった。
「いや、マジ……俺のアパートにコレはかなり違和感だわ」
言われて、結葉も「そうだね」って答える。
想の部屋は基本黒か白で物が統一されているから。
それを思うと、このふんわりピンクはかなり異質なのだ。
「で、布団なんだけどさ」
そこで想がソワソワと視線を彷徨わせるのを見て、結葉はキョトンとする。
「想ちゃん?」
恐る恐る声を掛けたら「あっ、すまん」と何だかどこか変。
(想ちゃん、緊張してる?)
幼なじみの勘でそう思った結葉だ。
「このアパートさ、ダイニングキッチンやら風呂なんかの他はバルコニーに繋がってるリビングと、俺が寝室にしてる隣の洋室しかねぇんだわ。で、布団は俺がいま使ってるベッドに敷く予定なんだけど……」
想が寝室にしている部屋もリビングも共に六畳。
物を少し移動させればそのどちらにももう一セット、布団を敷くことは可能らしいのだけれど。
***
「俺のベッドはお前に使ってもらうとして……俺、どこで寝たらいいと思う?」
結葉が寂しくないなら、節度ある距離を保つべくリビングに布団を敷こうと思っている想だ。
だけどあの怯え方からすると、もしかしたら見えるところに人の気配がないと不安なのかも?とも思ってしまうわけで。
それに関しては結葉にしか基準が分からない。
だから想は決めあぐねている。
「あの……想ちゃん。私、ベッドじゃなくて……下でいいよ?」
だけど結葉はそっちに気持ちがいってしまったみたいだ。
まぁ結葉らしいといえば結葉らしい。
「バーカ。お前を床なんぞに寝かせられるか」
畳の部屋ならまだしも、フローリングに敷き布団は結構寒いはずだ。
「お前が下に寝るとなると敷き布団の下にアンダーマットレス買わねぇといけなくなんだけど?」
わざと睨むようにして言ったら、結葉がちょっぴり怯んで。
でもすぐに気を取り直したように言い募ってくる。
「私に必要なものなら想ちゃんにも要ると思う……」
怯えた目をして言いたいことの半分も言えなかったんじゃないかという雰囲気だった結葉を思えば、いまこうやって想に物申してくるのは喜ばしいことだ。
そう思いはするのだけれど。
「おっ、俺はいいんだよ」
正論を突きつけられた想は、若干しどろもどろになってしまう。
「何で?」
なのに結葉は引き下がるつもりはないみたいだ。
想は一瞬グッと言葉に詰まって、それでも何とか言い返す。
「お、俺は男だから」
寝心地の良し悪しに男も女もないのは百も承知だ。
だが、結葉と自分の明確な違いはそれぐらいしか思い付けなかった想だ。
苦し紛れに言った言葉だったけれど、結葉が黙ってくれてホッとする。
「な? そう言うことだからお前は上で俺は下、な? そこはもう決定事項だからこれ以上ガタガタ言うな? いいな?」
――でないとここには置いてやれねぇぞ?
思わずそう続けそうになって、想は慌てて口をつぐんだ。
(そんなことを言っちまったら結葉が気にするじゃねぇか。馬鹿なのか俺は)
きっとそれを言えば、行くあてのない結葉は押し黙るしかない。
だけどそんなことを言うのはフェアじゃないではないか。
想は結葉にはなるべく伸び伸びと過ごして欲しい。
いくら彼女の身体を案じてのこととはいえ、結葉を萎縮させるようなことは絶対に言うべきじゃない。
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想ちゃんの優しさが身に染みる