「…彼奴、起きてっかなァ…」
月明かりに照らされるビルの屋上。誰もが寝静まった横濱の街で、彼_ポートマフィア幹部・中原中也_の溜息が響いていた。手元の携帯電話に表示されているのは、数時間前に届いた2通の着信履歴。そして、溜息の要因である「6月20日」の文字。
「やらかした…完ッ全にやらかした…..」
そう、彼は恋人の誕生日と云う一大イベントに、1日と3時間の大遅刻をしでかしたのである。
かと云って彼も、誕生日を忘れていた訳では無い。もちろんスマホのカレンダー機能には太宰の誕生日だと記していたし、プレゼントだって用意して、御馳走も振る舞う予定だった。19日に予定されていた任務を18日までに詰め込むなどして、不器用は不器用なりに、精一杯時間を確保しようとしたのだ。…だが、其れが不味かった。
幹部の仕事量は尋常ではない。それを、1日に無理やり2日分の仕事を捩じ込んだのだ。何処かで不備が発生するに決まっている。口に出す者は居なかったが、彼の部下ですら、きっと無理だろうと勘づいていた。普段であれば佳く考えずともそんな亊解っただろう…其れが出来なかったのは、ただ単純に浮かれていたのだ。恋人として過ごす、初めての誕生日に。だからこそ罪悪感で死にそうになっているし、通じないと判っている言い訳を必死に考えている。
本日6度目の溜息が、夜風に紛れて消えていった。
・ ・ ・
「…ただいま」
家に到着したのは、結局午前4時を過ぎた頃になっていた。すでに空はほんのり白掛かっており、もうすぐ夜明けが来ることを暗示している。薄暗い廊下の中を、彼は静かに歩いていた。
作戦はこうだ。まず、指輪を買う。これは指のサイズを予め把握していたので、欧州へ飛んで簡単に購入する事ができた。そして、寝ている太宰の指へはめておく。朝起きて、きっと太宰は驚くであろう。そんな呆然とする彼に向けてこう云うのだ。「…悪ィな、昨日やりたかったんだが…時差の関係で指輪の発注日を間違えちまってよ…」と。
いける!これはいける!指輪だって、金剛石は0.2カラットと少し小ぶりだが、その1粒1粒がクオリティの高い上等品で、とてもサラリーマンの給料3ヶ月分で買えるものではないし、太宰であればひと目で其れが判るはず。許されるどころか、彼奴は喜んで抱きついてくるかもしれない!そんな思考回路になってしまうのは、やはりまだ浮かれているのだろうか。寧ろ、深夜テンションを通り越して賢者タイムに突入しているとも云える。謎の自信と共に指輪を握り締めて、中也は寝室の扉を開けた。
・ ・ ・
結論から云うと、太宰は寝室に居なかった。そして補足をすると、掛けてあったヘッドフォン、充電器、コップ、歯ブラシセット、そして枕。太宰が持ち込んだ物ほぼ全てが、この部屋から綺麗さっぱり消え去っていた。┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「…..まァ、自業自得…だな。」
それは誰に向けた言葉でもなく、云うならば、自分に向けたものだった。変に揚がっていた気分が一瞬で冷める。指輪を外套のポケットに突っ込んで、帽子と外套をいつもより乱雑にハンガーラックへ掛けた。手袋を外すと、そのまま床へ落として気にせず、ベッドへ飛び込んだ。少し大きめのシングルベッドが、中原の勢いと体重を支えきれず上下に軋む。半分顔を枕に埋めながら、悔しそうに唇を噛んだ。
(….太宰、太宰、だざい…)
心の中で何度呼ぼうが、太宰は帰ってこない。そのまま布団も掛けず、中原は目を閉じた。
_低めの体温と、ふわふわの蓬髪を思い出しながら。
太宰が隣に居ないベッドは、彼にとってやけに広く、冷たく感じた。
to be continued
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