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ハナが津久野さんと無事に別れて、山下探偵事務所に再就職。バタバタしてる間に、1ヶ月が経った。
今日は日勤で17時半に病院を退勤し、徒歩で山下探偵事務所に向かう。航希くんの仕事終わりが18時頃なので、待ち合わせ場所を事務所の前にすると、タイミングよく逢うことができた。
病院から出る前にラインで事前に連絡していたけれど、既読にならずスルーされた様子で、航希くんのやってる仕事が忙しいことを悟る。もしかしたら残業になる可能性もあるなぁと思いつつ、10分弱で事務所前に到着した。
「絵里、お疲れ~!」
私を見つけたハナがビルから出てくるなり、にこやかに声をかける。私は利き手をあげて、「おつー」と返事した。
「榊原くん、所長に捕まってるから、いつもより出てくるのが遅いと思うよ」
「わかった、ありがと。ハナは仕事、だいぶ慣れた感じ?」
こうして直接逢うのが久しぶりで、思わずハナの様子を訊ねてしまった。
ミッションの関係で、無理を言ってお休みを適度にいただいてしまったため、その後は連勤で働きつつ、航希くんとデートを重ねたり、ハナは事務所の仕事に慣れるために頑張ったりと、お互い休日はバタンキューしていたので、音信不通を解消すべく問いかけた。
「やっと、一通りの仕事をこなせるようになったよ。副所長の田所さんが丁寧に教えてくれたおかげもあるけど、毎回依頼される仕事が刺激的で、書類仕事だけでもなんだか楽しくって」
「そうなんだ、よかった」
「所長の山下さんもいい人だし、ここで働くことができてラッキーだったと思う。あのままでいたら、私の人生の数年を棒に振るところだった。絵里、ありがとね」
笑っているのに、じわりと涙をにじませるハナの姿に、胸がこみあげてきてしまい、無言で首を横に振るのが精一杯だった。ハナは私の手を両手で掴み、ぎゅっと握りしめながら声高に宣言する。
「私、今度はちゃんとした恋愛する。ここにやって来る依頼人の話を聞いて、しっかり目と耳を養って、いい男をゲットするから!」
「あはは、期待していい報告待ってる」
「私もいい報告待ってるんだぞ。いい加減に、榊原くんに食べられちゃいなさい」
「へっ?」
ハナの爆弾発言に、自分の頬が赤くなったのがわかった。照れる私の手を放したハナは、大きく腕を振りかぶって背中を強く叩く。
「いたっ!」
「キス以上、進んでいないことくらい知ってるんだぞ。飢えたオオカミが自信喪失する前に、さっさとみずからを提供しなきゃ」
「ちょっと、やだ! 航希くんってば、ハナにそんなこと喋ってるの?」
「違うちがう。私はデートの次の日に『どうだった?』って聞いてるだけ。『楽しかったですよ』と言って浮かない顔してたら、誰だった気づくでしょ」
そのセリフで、顔を俯かせた。航希くんと付き合うことが決まってから、適度なぽっちゃりボディをなんとかすべく、密かにダイエットを決行。現在進行形でかんばってる最中なれど、この体を見て引かれたりしないだろうか。
「絵里がダイエットしてることくらい、私だって気づいてるよ。いい感じで絞ることができてるのに、なんで怖気づいているのやら」
「ホントに、大丈夫かな」
「今の絵里はすっごくかわいい。親友の私が言うんだから、大船に乗った気持ちでいなさいよ。絶対に嘘なんてつかない、絵里信じて」
心に響く熱い言葉を聞いて顔をあげたら、ハナの瞳が射竦めるように私に注がれた。
そして、目の前に差し出された小指。ハナの顔とそれを、交互に見比べた。
「私の自慢の親友は、世界一かわいくて気の利くできた女だぞ。そのことに、絶対嘘をついてない。指切りげんまんしてもいいくらい!」
迷うことなく、ハナの小指に自分の小指を絡める。
「親友のハナじゃなきゃ、重たい私の背中を押すことができないな」
ぎゅっと結ばれた私たちの小指。昔も今もこうして、仲良く指切りげんまんできるしあわせを噛みしめてしまった。
「ちょうどいいところに、榊原くんの登場じゃない。行ってらっしゃい、頑張るんだぞ!」
ビルから出てきた彼にいち早く気づいたハナは、小指を抜き去った勢いをそのままに、航希くんに向かって私の背中を力強く押した。
「ハナっ、ちょっと危ないって!」
躓きかけた私を、航希くんがナイスキャッチするように抱きしめる。
「榊原くん、絵里は食べ頃だぞ~!」
ハナは信じられないことを言い放ち、足早に去って行った。
「絵里さん、大丈夫ですか?」
航希くんは真っ赤になってる私を心配して、わざわざ顔を覗き込む。
「あわわっ、だっ大丈夫だよ!」
「それは、どっちの大丈夫ですか?」
「へっ?」
「体調が大丈夫なのか、それとも食べていいという大丈夫の、どちらなんでしょうねぇ」
いたずらっ子みたいに笑う彼の体を、両手でぽかぽか叩いた。
「航希くんってば!」
「俺は絵里さんの気持ちが固まるまで、粘り強く待つつもりですけどね」
そう言って、私の手を恋人繋ぎして歩きはじめる。
「そういえば津久野さんの奥さんから連絡がありまして、旦那さんから慰謝料全額振り込まれたそうです」
「そうなんだ」
「最初の話では分割でって言われていたのに、いきなり全額を振り込まれたとか」
「ふーん、いきなりねぇ」
私としては、どうでもいい相手の話だったので、適当な返事ばかりになってしまった。
「慰謝料を受け取ったという領収書を一応送ろうとしたらしいんですけど、どこにいるのかわからないみたいです」
「それって――」
「俺たちが所長に絶対直接関わるなと言われた人物に、拉致られた可能性があるかもですよね」
所長さんから伝えられたことで、ハナと奥様に内緒にしてることがあった。私は探偵事務所に依頼した経緯があるため、すべての調査報告を受けているゆえに、そのことを知っている。
「津久野さんが支店で不倫してた、若い女子社員のお宅が暴力団関係者だったなんてね」
「しかも彼女と付き合った男性が、軒並み行方不明になっているのは、絶対あやしいです。そのせいで、調査を断念せざるを得なかったんですけど」
「悪いことをしたバチが当たったんだよ。どうかもう誰にも迷惑をかけずに、海でも山でも散ってほしい」
航希くんと恋人繋ぎした手を大きく振ったら、いきなりぎゅっと握りしめられて、動きを止められた。
「俺の希望としては、俺の胸の中で、絵里さんが果てて欲しいと思ってるんですが?」
「ぶっ!」
(さっき、粘り強く待つって言ったクセに。もしかして航希くんってば、ハナに踊らされてる?)
「仕事でお疲れであろう絵里さんのマッサージ込みで、全力で癒して差し上げますが、いかがですか?」
「ちょっと、航希くん……」
「だって斎藤さんが『絵里は食べ頃』なぁんて、親友の目利きで判断してるのを、無碍にするのはどうかと思うんです。どうしても食べたくなっちゃうじゃないですか」
目に眩しい恋人の笑顔を見せられて、断れる人がいるなら見てみたい――。
繋いでいる手を握りしめ、意を決して言の葉を告げる。
「じゃあ航希くんに甘えて、マッサージ頼んじゃおうかなぁ」
「ま、マジで?」
「マジだよ」
「よっしゃー!」
上目遣いで照れながら告げた途端に、航希くんは私の手を繋いだまましゃがみ込み、喜びを示すように反対の手でガッツポーズを作る。
「あはは、待たせちゃったもんね」
「い、いやいや。楽しみはとっておきたい、みたいな」
今度は航希くんが照れる番。ガッツポーズを作った手で後頭部を搔いて、顔を赤らめさせる。
「ごめんね、もったいぶって」
「ヤりたいだけじゃなくて、あの……大好きな絵里さんに、直接触れたいだけなんです。この世で一番近い存在になりたくて」
「そういうこと、ぽんぽん言われると対処に困る」
これまでのことを含めて思い切って言ってみると、航希くんはしゃがんでいた姿勢から勢いよく立ち上がり、熱を込めた視線を私に注ぐ。
「俺は正直な気持ちを言ってるだけです。絵里さんに俺のことを知ってほしいから」
「そうやって、何度も直球を投げられる、私の身にもなってほしい」
まじまじと見つめられる視線にどうにも照れてしまい、俯いてしまった。
「絵里さんは直球、投げてくれないんですか?」
「直球なんて、なにを言えばいいのやら……」
困ってる私の体を、逞しい二の腕がぎゅっと抱きしめた。
「さっきみたいに、俺にしてほしいことを言えばいいだけですよ」
「マッサージしてほしい、みたいに?」
ちなみに現在いるところは、ときどき人が行き交う歩道のど真ん中である。バカップルがこんなところでなにをやってるんだろうかと、白い目で見ていた側だった、ちょっと前の私。
人の目につくところで恥ずかしいって思う一方で、航希くんが私を想ってくれる気持ちが伝わるおかげで、ふたりだけの世界を堪能できた。航希くんから伝わってくる心音の速さを聞くだけで、嬉しくて笑みが浮かんでしまう。
「絵里さんが思ってることを、口に出してみてほしいです。俺はどんな小さなことでも知りたい。アナタのことが大好きだから」
耳元で甘やかに囁かれたセリフに導かれるように私は頭をあげ、カッコイイ航希くんの顔を見つめる。
「自分が食べ頃なのかわからないんだけど、試しに味見してみる?」
「しますします! 味見なんて言わずに、絵里さんのすべてを完食させてください、俺の家で!!」
頬を上気させた航希くんが力任せに私を横抱きにして、いきなり駆けだした。あまりの素早さに私は慌てて航希くんの首元に両腕を巻きつけ、自身の安全を確保。彼を落ち着かせるべく、声をかける。
「航希くん、私は逃げたりしないから安心して」
(なんだか、頭からバリバリ食べられちゃいそうだな――)
「1分1秒すら惜しいんです。だってふたりきりでいられる時間は、限られているんですよ」
なんて言われちゃったら、それ以上の苦情が言えない。だって私も、航希くんと過ごせる時間が惜しいと思った。
こうして無事に、初心なカップルから脱却することができたのだけれど、私を完落ちさせるべく、ハナが事務所にて航希くんにあれこれ指南していたことが後日発覚した。
『絵里には結婚資金で貯めていた大金を使わせて、私をまっとうな道に戻してもらったお礼をしなきゃいけなかったからね。これくらいは、当然のことでしょ』
親友のしあわせを導くためのハナのミッションに、私は深く感謝したのだった。
おしまい
閲覧とコメントなどのリアクション、ありがとうございました。
おかげさまで最後まで書ききることができました。
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