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立ち上がり、膝に付いた埃を払おうとした瞬間、後ろから抱き締められた。
相手は誰だか分かっている。さっき名前を呼ばれたからだ。
それでも、何故この状態になったのか分からず、アンリエッタは困惑した。
「マーカス? 一体、どうしたの?」
さっきまでユルーゲルと普通に会話していたじゃない。何かあったの?
顔を確かめたくて、振り返ろうとした。が、抱き締める腕が徐々に強くなっていき、それどころの状態ではなくなってしまった。
お腹に回されたマーカスの腕を、何回も叩く。苦しくて、口で上手く説得できる自信がなかったのだが、どうやら分かってくれたらしく、少しだけ緩くなった。
ホッと一息つき、下を向いていた頭を上げた。今度こそ、振り返って抗議しなくては、と思ったところ、私はあることに気がついた。マーカスが、私の首の後ろに、顔を埋めているということに。
「!」
最初はマーカスの髪が首に当たり、くすぐったくて仕方がなかった。けれど、その感触が突然、別のものへと変わった。
「ちょ、何を。……やめて」
首筋に、マーカスの唇の感触がしたのだ。再び腕を叩き、身を捩った。それでもやめる様子がないため、アンリエッタは歯を食い縛り、最終手段を実行した。
バチッ!
「うっ!」
神聖力で自分の身を包み込んだのだ。それによって、マーカスの方には、静電気を起こしたような痛みが伝わったことだろう。
相手を傷つける程のものではなかったが、効果はあったようだ。腕が放れ、アンリエッタはすかさずマーカスから距離を取った。
「こんなところで、何てことをするの! ユルーゲルさんだっているのに!」
「よく見ろ、ユルーゲルはいない」
そう言われて、辺りを見渡すと、マーカスの言う通り、ユルーゲルの姿は何処にもなかった。
「そ、それでも、こんなところでするようなことではないでしょ!」
アンリエッタは一歩、後ろに下がった。
「勿論、そんなつもりはない」
マーカスも、一歩前に進む。
「なら、さっきのアレは、どう説明してくれるの?」
「アンリエッタまで、一緒に消えるかと思ったんだ」
祈りを捧げた時に現れたヴァリエの姿のことを言っているのだと、瞬時に理解した。私には、似ているけど似ていないように感じたが、マーカスからすれば同じに見えたのだろう。
ヴァリエが私を連れ去るかもしれない。そんな風に感じても可笑しくないくらい、彼女は幻想的に美しかったから。
気まずそうに目を逸らしながらも、マーカスは歩みを止めなかった。
「マーカスの気持ちは分かるけど、場所を考えて。不謹慎極まりないでしょ」
「不謹慎? あぁ、体はそれほど大きくはなかったが、一応竜なんだから、いきなり食うよりも、丸飲みしたんじゃないか。その竜自体が消滅したんだから、もうここは殺伐とした場所にはならないだろう」
何ていう屁理屈。生贄の殺害場所はここではなく、竜の腹の中だと無理やり漕ぎ着けて、それ故この場はもう不謹慎な所じゃない、と言い張っているのだ。
何でそんな考えに至らせるの?
思わず後ずさりしながら、手で口を覆った。すると、その手をマーカスに掴まれた。
「ごめん。言葉が悪かった。そんな顔をさせるつもりはなかったんだ」
え? 何? いきなり、どうしちゃったの? いつものマーカスなら、ここでさらに減らず口を叩きそうなものなのに。
少し気味が悪いと思い、後退しようとしたが、背中に何かが当たり、それ以上はいけなかった。顔を横に向けると、行き止まりだった。
前にはマーカス。後ろには壁。手は掴まれたままで、逃げられない。
どうしよう、と悩んでいる間に、マーカスは私の手のひらに、唇を当てた。
「ひっ!」
「……なんだか、懐かしいリアクションだな」
「あっ」
そうだ。マーカスと初めて会話をした時、手の甲にキスをされて、私は思わず悲鳴を上げた。
「ここはアンリエッタにとって、不謹慎な場所だろうが、俺は違う。初めてアンリエッタを見た場所なんだ」
「……一目惚れしたっていう?」
「あぁ。だから、俺にとって、ここが一番適した場所なんだ」
いやいや、可笑しいでしょ。さっきの屁理屈いい、今のマーカスは、いつも以上に変だった。
こんな時、いつもどうしていたんだっけ。えっと、そうだ! リボン。青いリボンだ!
アンリエッタは、未だ掴まれたままの腕に視線を向けた。
「マーカス。そういえば、リボンを返して貰っていないんだけど……」
そう言うと、マーカスはフッと笑って見せた。
「リボンを渡した時、何て言って渡したか、覚えているか?」
「嫌だと感じたら、解いて意思表示していいんじゃ、……なかったっけ?」
「まぁ、そっちの意味合いが強かったから、その後に言ったことまでは、覚えていないか……」
「え? ごめん。待って、今思い出すから」
まだ、一年も経っていないのに、忘れるなんて。
残念がるマーカスの表情に、空いている方の手を頭に当てて、思い出そうとした。しかし、マーカスは待ってくれなかった。突然、跪いたのだ。
そ、そんなに傷つくことだったの? どうしよう。
焦れば焦るほど、違う記憶ばかりが思い出され、泣きそうになった。
「マーカス。私……」
「大丈夫。これをはめれば思い出すだろう」
そう言って、マーカスはアンリエッタの薬指に、サファイアが付いた指輪をはめた。
「指輪の代わり」
すっかり忘れていたことと、いきなりこんなことをされて、顔がとても熱かった。さらにマーカスの姿勢が、より赤くさせた。
ここまでされれば、マーカスが次何を言うのか、予測が出来た。思わず、不謹慎と言ったことを、謝りたくなった。
でも、何もこんな場所じゃなくても、と思うことがある。
ただ、マーカスも安心したからこそ、慌ててしまったのかもしれない。私は、逃げないのに。いや、さっき思いっきり逃げた、けど。
だから、今は大人しくマーカスの言葉を待った。返事は決まっている。
マーカスは目を閉じて、アンリエッタの指にキスをした。さすがにもう、悲鳴を上げるようなことはしない。
ゆっくりと目を開けたマーカスと、視線が重なる。そして微笑み、口を開く。
「俺と結婚してくれませんか」
そのたった一言を言うために。