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本当の自分が何をどうして欲しいのかなんて分からない。ひとつは彼女に幸せになって欲しい。ひとつは自分を特別に扱って欲しい。かまって欲しい甘えて欲しい。ありのままでいて欲しい。この4つが俺の望みなのかもしれない。みんなも1度考えたことあるのでは無いか?自分の意見がそのまま全て通ればっと。俺も思う時はあった。がそれはただの願望であり本心ではない。よくみんなが言う。
恋人、家族のためなら自分の身を捨ててもまもれる。と。ただ実際にそう言う場面に出くわした時に真っ先に守ろうとする人はごく稀(少数)では無いのか。それどころかみんな真っ先に逃げるのではないか。地震、津波、自然災害は守る人多いかもしれない。ただ犯罪現場等だったらどうだろう。逃げないと殺される。でも置いて行く訳には行かない。だいたいの人が逃げるだろう。それが人間の本心だろう。ただ俺が腐ってるだけなのかも?こんなことを考えて夜は終わる。
学校ではよく「自分の命を優先に」とか言われるがそれは本当にそうなのだろうか。
俺は命に優先順位なんてないと思う。皆同じ尊い命であり平等だ。誰を守って誰を守らないのではなくて自分を守りながら守るべき人を守るものこそが真の優しさや優先ではないか。ただ器用なものはなかなかいない。助けようとしても助けきれないのが事実。ただ助けようとする意思、姿勢は持っとくべきでは無いのかなと思う。
まぁ、つまり、人間誰しも完璧ではなく何かしらには劣ってる。その部分を人と人で賄う必要がある。
俺は嘘を許せない。ただ俺自身も嘘をつくことはある。嘘つく度に自分が嫌いになり後悔することも多い。嘘には大きく二種類にわかれてると思う。
優しい嘘と卑怯な嘘。
他人を下げて自分をあげるために平然と嘘をついたり、その人を見下し騙そうとする嘘は到底理解しがたく許せない。ただ優しい嘘。まぁ。守るため、傷つけないためにつく嘘は俺はいいと思う。そこの見極めは大事だと思う。俺はどちらかと言うと卑怯な嘘をつかれることがしばしば多い。
今日も俺はいつも通りパシられ的?になった。実行委員だからやれというほぼ強制的な。実行委員と言ってもボランティアと何ら変わりない。やりたくてやってると思う人もいるかもだが実際人数が足りず渋々していることもある。かと言って楽しくないかって言われたら楽しい。彼女にも会えるし友達とも会える。1番の楽しみはやはり彼女に会うこと。彼女は2-1で俺は3-1と学年が違ってなかなか会う機会がない。学年が違えば校舎の階もちがう。移動教室等ですれ違うことはたまにあるがそれでも時間は無いから軽く話すだけ。しかし実行委員の仕事の時は昼休、放課後と会えるし長く話せるから俺的には楽しい。終われば一緒に帰れる。
ただやっぱり親切心のない馬鹿が当たり前にやれと言うと心からイラつく。ありがたみを持って欲しい。やってくれるが当たり前じゃない。やってくれてありがとうと思えっていっつも心で思っている。そしてまた自分の弱いところは体と精神力、そして断る力だ。