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第11話「エルフの家に招かれました」
金曜日。
午後五時四十分。
相沢直人は仕事をしながら時計を見た。
あと二十分。
今日は残業しない。
理由がある。
森野リリカと付き合い始めて最初の週末だからだ。
もっとも。
何をするかは決めていない。
相沢は社内チャットを開いた。
『明日どうする?』
送信。
二つ離れた席。
森野が画面を見る。
ぴく。
耳が動く。
返信。
『何がですか』
『休み』
『休みですね』
『会わない?』
森野が止まる。
ぴくぴく。
返信が来ない。
一分。
二分。
三分。
『監視ですか』
相沢は笑った。
『恋人です』
森野がこちらを見る。
真っ赤だった。
社内チャット。
『会社のパソコンでそういうこと書かないでください』
『じゃあスマホに送る』
『そういう問題ではありません』
『明日デートしよう』
森野の耳が髪の中で大きく動いた。
そこへ田中が通りかかる。
「森野さん」
「はい!」
「どうしたの?」
「何がですか?」
「急に顔赤くなったけど」
「暑いんです」
「今日ちょっと寒いよ」
「私は暑いんです!」
田中が相沢を見る。
相沢は必死にパソコンを見る。
危ない。
午後六時。
仕事終了。
森野が先に帰る。
相沢は五分待つ。
午後六時五分。
会社を出る。
いつもの角。
森野が待っている。
「十二秒遅いです」
「また?」
「十二秒です」
「誤差だろ」
「待っている側には長いんです」
「百四十三歳なのに?」
「年齢を便利に使わないでください」
二人で歩く。
会社から十分ほど離れたところで。
自然に手をつなぐ。
もう慣れてきた。
「明日」
相沢が言う。
「はい」
「どこ行く?」
森野は少し考える。
「相沢さん」
「何?」
「私の家、来ます?」
相沢の足が止まった。
森野も止まる。
「家?」
「はい」
「森野さんの?」
「他に誰の家ですか」
「いいの?」
「付き合ってるんですから」
ぴく。
言った本人の耳が動く。
相沢は笑う。
「何ですか?」
「森野さんから『付き合ってる』って言った」
「事実確認です」
「もう一回言って」
「嫌です」
「恋人」
ぴく。
「やめてください」
「彼女」
ぴくぴく。
「相沢さん」
「かわいい彼女」
ぴくぴくぴく。
森野が手を離した。
「帰ります」
「ごめん」
「知りません」
「明日行きます」
「来なくていいです」
「行く」
「……十一時」
「はい」
翌日。
午前十時五十八分。
相沢は森野のマンション前にいた。
普通のマンション。
何度見ても不思議だ。
エルフが住んでいるようには見えない。
インターホンを押す。
『はい』
「相沢です」
『どうぞ』
エントランスが開く。
エレベーター。
五階。
部屋の前。
チャイム。
扉が開いた。
「いらっしゃい」
森野がいた。
相沢は固まった。
髪が。
巻かれていない。
まっすぐ下ろされている。
そして。
長い耳が完全に出ている。
「……」
「何ですか?」
「いや」
家だから。
隠していない。
相沢に対して。
完全に。
「入らないんですか?」
「入ります」
部屋へ入る。
以前一度来たことはある。
しかし今日は違う。
正式に恋人になってから初めてだ。
リビング。
ソファ。
テレビ。
本棚。
観葉植物。
テーブル。
普通。
ただし。
本棚の一角だけがおかしい。
古そうな本が並んでいる。
相沢が一冊取る。
「これ何?」
「日記です」
「誰の?」
「私の」
「いつ?」
森野が本を見る。
「明治三十九年くらい」
相沢は静かに戻した。
「文化財じゃん」
「ただの日記です」
「百年以上前だよ」
「私にとっては昔の日記です」
相沢は本棚を見る。
大正。
昭和。
平成。
令和。
一人の人生が全部つながっている。
「全部森野さんの?」
「はい」
「何冊あるの?」
「数えてません」
「読んでいい?」
「絶対駄目です」
「何で?」
「日記だからです!」
ぴく。
耳が動く。
隠していないので。
今日は全部見える。
相沢は思った。
これは危険だ。
感情が丸見えだ。
「何ですか?」
「いや」
「耳見てるでしょう」
「見えるから」
「家では仕方ないです」
「今日は分かりやすいな」
「耳で感情を読むの禁止です」
「はい」
森野がキッチンへ行く。
「コーヒーでいいですか?」
「うん」
相沢は部屋を見る。
写真立てがある。
若い女性。
森野だ。
ただし。
写真が白黒。
「これ」
森野が戻ってくる。
「あ」
「いつ?」
「昭和二十年代です」
「森野さん?」
「はい」
「全然変わってない」
「少しは変わってます」
「どこ?」
「髪型」
「そこだけ?」
森野がコーヒーを置く。
「エルフは百歳を過ぎると、外見はほとんど変わりません」
「ずっと二十代くらい?」
「そうですね」
相沢は写真を見る。
不思議だった。
自分が生まれる何十年も前。
森野はもう。
今と同じ顔で生きていた。
「相沢さん」
「何?」
「変ですか?」
「何が?」
「こういうの」
森野が部屋を見る。
「昔の写真とか、日記とか」
「別に」
「気味悪くないですか?」
「何で?」
「普通の人間にはないでしょう」
「俺の家にはないけど」
「そういう意味じゃなくて」
相沢は写真立てを戻した。
「森野さんの人生なんだから、普通じゃない?」
森野の耳が。
ゆっくり動いた。
「……そうですか」
「うん」
森野が少し笑う。
昼。
二人でパスタを作った。
正確には。
森野が作った。
相沢は皿を出した。
「料理するんだ」
「しますよ」
「エルフ料理?」
「パスタです」
「森の木の実とか」
「入れません」
「薬草とか」
「入れません」
「鹿とか」
「エルフを何だと思ってるんですか」
「森の民」
「偏見です」
食べる。
普通においしい。
「うまい」
「本当ですか?」
「うん」
森野の耳がぴくっと上がる。
「今嬉しかった?」
「耳で判断しないでください」
「嬉しかったんだ」
「知りません」
午後一時。
ソファ。
二人で映画を見ることになった。
「何見る?」
相沢が聞く。
「何でも」
「ファンタジー?」
「嫌です」
「何で?」
「エルフが出るから」
「いいじゃん」
「嫌です」
「どんな感じなの?」
森野がため息をつく。
「だいたい森に住んでます」
「うん」
「弓を持ってます」
「うん」
「人間を見下しています」
「あるね」
「千年くらい生きます」
「近い?」
「個人差があります」
「魔法使う?」
「使いません」
「本当に?」
「少なくとも私は使えません」
「残念」
「何を期待してるんですか」
結局。
普通の恋愛映画を見る。
三十分。
映画の男女が手をつなぐ。
森野の耳が動く。
一時間。
映画の男女が抱き合う。
森野の耳が動く。
一時間二十分。
映画の男女がキスをする。
森野の耳が。
ぴくぴくぴく。
相沢は映画より耳を見ていた。
「相沢さん」
「はい」
「映画見てます?」
「見てる」
「私の耳見てません?」
「見てない」
森野がリモコンで一時停止する。
「見てました」
「少し」
「映画を見てください」
「耳が動くから」
「勝手に動くんです!」
「キスシーンで特に」
森野の顔が赤くなる。
「もう帰ってください」
「まだ二時半」
「帰ってください」
「映画途中」
「知りません」
相沢は笑う。
森野が再生する。
映画が続く。
しかし。
相沢は気づいた。
二人の距離。
最初はソファの両端だった。
いつの間にか。
近い。
肩が触れそうだ。
映画が終わる。
午後三時。
エンドロール。
森野が言う。
「終わりましたね」
「うん」
誰も動かない。
テレビから音楽だけ流れる。
「森野さん」
「はい」
「耳触っていい?」
「駄目です」
即答。
「今日は見えてるから」
「関係ありません」
「一回」
「前に一回って言いました」
「二回目」
「駄目です」
「じゃあ」
相沢は少し迷う。
「キスは?」
森野が固まった。
耳が。
ぴく。
ぴくぴく。
ぴくぴくぴく。
「……」
「……」
森野は何も言わない。
「嫌ならやめる」
相沢が言う。
森野はまだ黙っている。
そして。
小さな声。
「耳よりは」
「うん」
「そっちのほうが普通です」
相沢は少し笑う。
「していい?」
森野は目をそらした。
「いちいち聞かないでください」
「分かった」
相沢が少し近づく。
森野は逃げない。
目を閉じる。
距離がなくなる。
ほんの短く。
唇が触れた。
離れる。
二人とも黙る。
森野の耳は。
今まで見たことがないほど。
激しく動いていた。
「……」
「……」
相沢が笑う。
「耳」
「言ったら怒ります」
「はい」
「絶対言わないでください」
「分かった」
「笑うのも禁止です」
「はい」
森野は両手で耳を押さえた。
顔まで真っ赤だった。
「百四十三歳なのに」
「年齢は関係ありません!」
「キスくらい慣れてるのかと思った」
「相沢さん」
「はい」
森野が睨む。
「エルフの百四十三歳を何だと思ってるんですか」
「人生経験豊富?」
「恋愛経験とは別です」
「じゃあ何人と付き合った?」
「教えません」
「気になる」
「私は相沢さんの人数を聞いてません」
「聞いていいよ」
「聞きたくありません」
ぴく。
「本当?」
ぴく。
「耳は聞きたいって」
「耳に人格を持たせないでください!」
午後四時。
二人でコーヒーを飲む。
さっきより。
少しだけ距離が近い。
森野が言う。
「相沢さん」
「何?」
「会社では絶対に言わないでくださいね」
「キス?」
「声に出さないでください!」
ぴく。
「誰もいないよ」
「壁があります」
「壁?」
「集合住宅です」
「隣に聞こえないよ」
「エルフは耳がいいんです」
相沢は止まる。
「隣もエルフ?」
「違います」
「じゃあ大丈夫じゃん」
森野も止まる。
「……そうでした」
「動揺しすぎ」
「誰のせいですか」
午後五時。
相沢は帰ることにした。
玄関。
「じゃあ月曜日」
「はい」
「明日は?」
森野が見る。
「会いたいんですか?」
「会いたい」
耳が。
ぴく。
「じゃあ」
森野が少し笑う。
「明日も来ます?」
「いいの?」
「パスタの材料が余ってます」
「それだけ?」
「それだけです」
ぴく。
「分かった」
相沢が靴を履く。
ドアを開ける。
「あ」
森野が呼び止める。
「何?」
「忘れ物」
「何か置いた?」
森野が近づく。
そして。
今度は森野から。
ほんの一瞬。
相沢の唇にキスをした。
「……」
相沢が固まる。
森野も固まる。
自分でやっておいて。
顔が真っ赤だった。
「忘れ物です」
「今の?」
「はい」
「もう一回忘れていい?」
「駄目です!」
ドアが閉まった。
相沢は廊下に一人残された。
扉の向こう。
森野リリカは。
玄関にしゃがみ込み。
両手で耳を押さえていた。
「何やってるんだろ、私……」
耳は。
しばらく。
まったく言うことを聞かなかった。
コメント
1件
ああっ……もう、最高でした……!😭💕 リリカちゃんが家で耳を出してるの、直人さんにだけ見せる姿って感じで、すごく特別な瞬間だなって思いました。キスの後の耳の動き、押さえても言うこと聞かない感じがもうね……エルフだけど人間の女の子って感じがしてすごくかわいかったです。それにラストのリリカちゃんからのキス、あれは直人さんもやられるでしょうね(笑)。二人の距離が確実に縮まってるのが伝わってきて、心がぽかぽかしました。明日も来るって約束してるし、続きが楽しみすぎます🤍