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第12話「エルフの彼女と日曜日」
日曜日。
午前十時四十五分。
相沢直人は昨日と同じマンションの前にいた。
二日連続。
森野リリカの家。
付き合い始めて、まだ数日。
少し早すぎる気もする。
しかし。
昨日、森野本人が言った。
「明日も来ます?」
だから来た。
インターホンを押す。
『はい』
「相沢です」
『知ってます』
「何で?」
『インターホンに映ってます』
「そうだった」
エントランスが開く。
五階。
チャイムを押す。
扉が開く。
「おはようございます」
森野が立っていた。
今日も髪を巻いていない。
耳が完全に出ている。
そして。
昨日より明らかに部屋着だった。
大きめのTシャツ。
ゆったりしたパンツ。
裸足。
「……」
「何ですか?」
「いや」
「また耳見てます?」
「今日は服」
森野が自分の服を見る。
「部屋着です」
「珍しいなと思って」
「家なんだから普通です」
「会社の森野さんと全然違う」
「どっちがいいですか?」
相沢は考える。
「今」
ぴく。
耳が動く。
森野は顔をそらした。
「入ってください」
リビング。
テーブルの上には食材が置いてある。
トマト。
ベーコン。
玉ねぎ。
パスタ。
「昨日の残り?」
「はい」
「本当に残ってたんだ」
「何だと思ってたんですか?」
「俺を呼ぶ口実かと」
ぴく。
「帰ります?」
「ここ森野さんの家だけど」
「相沢さんが帰るんです」
「作ります」
「手伝ってください」
二人でキッチンに立つ。
森野が玉ねぎを切る。
相沢がベーコンを切る。
「相沢さん」
「何?」
「大きすぎます」
「ベーコン?」
「はい」
「これくらいでいいだろ」
「昨日の倍あります」
「豪快でいいじゃん」
「料理に豪快さはいりません」
「森野さん細かいな」
「百四十三年料理してますから」
相沢の手が止まる。
「百四十三年間ずっと?」
「生まれた直後から料理してるわけないでしょう」
「ですよね」
「百二十年くらいです」
「十分長い」
森野が笑う。
「昔は薪でした」
「料理?」
「はい」
「ガスないもんね」
「ありません」
「電子レンジは?」
「ありません」
「冷蔵庫は?」
「ありません」
「不便だ」
「その代わり保存方法はいろいろありました」
「エルフの魔法?」
「塩です」
「急に現実的」
「干します」
「もっと現実的」
「燻製にもします」
「エルフ感ゼロだな」
「人間はエルフに何を期待してるんですか」
パスタが完成する。
二人で食べる。
「うまい」
相沢が言う。
森野の耳が上がる。
「今日は俺も作ったけど」
「ベーコン切っただけです」
「重要だよ」
「大きさバラバラです」
「味は同じ」
「食感が違います」
食後。
二人で皿を洗う。
相沢が洗う。
森野が拭く。
何でもない時間。
相沢は少し不思議だった。
会社では秘密。
外では耳を隠す。
でも。
この部屋では。
森野は何も隠していない。
「森野さん」
「はい」
「家だと楽?」
「何がですか?」
「耳」
森野が耳に触れる。
「楽ですよ」
「毎日隠すの大変だね」
「慣れてます」
「何年くらいやってる?」
「今の会社に入ってからは毎日ですね」
「その前は?」
「職場によります」
「耳出して働いてたことあるの?」
「ありますよ」
「え?」
相沢が振り返る。
「どこ?」
「昔です」
「どのくらい?」
「百年くらい前」
「大正?」
「そのあたり」
「普通に?」
「エルフとしてではありません」
「じゃあどうして?」
森野が笑った。
「舞台です」
「舞台?」
「劇場で働いていたことがあります」
「役者?」
「少しだけ」
相沢は驚く。
「初耳」
「言ってませんから」
「耳出して?」
「はい」
「バレなかった?」
「衣装だと思われていました」
相沢は笑った。
「本物なのに」
「誰も本物だと思いません」
「写真ない?」
森野の動きが止まる。
「ありますけど」
「見たい」
「嫌です」
「見たい」
「絶対笑います」
「笑わない」
「本当に?」
「たぶん」
「もう信用できません」
それでも森野は押し入れから古い箱を出した。
中に写真が何枚も入っている。
白黒写真。
森野が舞台衣装を着ている。
長いドレス。
耳は完全に出ていた。
「おお」
「笑わないでください」
「笑ってない」
「どうですか?」
「かわいい」
ぴく。
「今と変わらない」
「百年以上前ですよ」
「すごいな」
別の写真。
森野が和服を着ている。
「これは?」
「昭和の初めです」
次。
制服のような服。
「これは?」
「女学校に通っていたころ」
「学生何回やってるの?」
「数えてません」
次。
スーツ姿。
「これは?」
「昭和四十年代」
「今と同じだ」
「服が違います」
「顔が同じ」
相沢は写真を見ていく。
一人の女性の。
長い長い人生。
その途中に。
自分が入った。
ほんの最近。
相沢は少しだけ怖くなった。
「相沢さん?」
「何?」
「急に静かになりました」
「いや」
森野は相沢を見る。
「寿命のこと考えました?」
図星だった。
「少し」
森野の耳は動かない。
「レオンに言われてから?」
「うん」
「やっぱり」
森野は写真を箱に戻す。
「相沢さん」
「はい」
「無理しなくていいですよ」
「何が?」
「私と付き合うこと」
相沢は森野を見る。
「どういう意味?」
「今ならまだ」
森野が少し笑う。
「始まったばかりですから」
「別れたい?」
「違います」
即答。
耳も動かない。
本当だ。
「じゃあ何で?」
「怖いからです」
「森野さんが?」
「はい」
森野は写真の箱を見る。
「人間と付き合うと」
少し間。
「最後は必ず置いていかれます」
相沢は何も言えない。
「病気だったり」
「うん」
「事故だったり」
「うん」
「寿命だったり」
森野の声は静かだった。
「私は何度も見てきました」
相沢は森野の横顔を見る。
百四十三年。
長い。
自分には想像できない。
「だから」
森野が言う。
「昨日、嬉しかったんです」
「何が?」
「相沢さんが家に来て」
「うん」
「一緒に映画見て」
「うん」
「キスして」
ぴく。
そこで耳が動いた。
相沢は笑いそうになる。
「笑わないでください」
「笑ってない」
「顔が笑ってます」
「ごめん」
森野も少し笑う。
「こういう普通のことが」
「うん」
「嬉しいんです」
相沢は森野の手を握った。
「じゃあ普通にしよう」
「何を?」
「付き合う」
「普通に?」
「普通に」
「でも」
「未来のことは分からない」
相沢は言う。
「俺が百歳まで生きるかもしれないし」
「かなり頑張ってください」
「森野さんが先に死ぬかもしれない」
「それはあります」
「あるの?」
「エルフも不死身じゃありません」
「そうなんだ」
「風邪もひきます」
「そこは普通なんだ」
「虫歯にもなります」
「エルフも?」
「なります」
「健康診断は?」
「行きます」
「何か安心した」
「何にですか?」
「森野さんも普通なんだなって」
森野は少し考える。
「普通ですよ」
「耳以外?」
「耳も普通です。私たちには」
相沢は耳を見る。
長い。
細い。
少し動く。
「触らないでくださいね」
「まだ何もしてない」
「顔に書いてあります」
「一回だけ」
「昨日しました」
「今日は今日」
「日替わりじゃありません」
「恋人なのに」
ぴく。
「その言葉を使えば何でも許されると思わないでください」
午後二時。
二人は近所のスーパーへ買い物に出た。
森野は帽子をかぶる。
耳を隠す。
外へ出れば。
また人間として生活する。
スーパー。
「牛乳」
森野がカゴへ入れる。
「卵」
「はい」
「ヨーグルト」
「はい」
相沢が言う。
「完全に普通だな」
「何がですか」
「エルフの買い物」
「だから何を期待してるんですか」
「謎の薬草」
「スーパーにないでしょう」
「森の木の実」
「ナッツ売り場にあります」
「買う?」
「買いません」
「エルフなのに」
「関係ありません!」
そのとき。
「あれ?」
聞き覚えのある声。
二人が振り返る。
田中美咲。
買い物カゴを持って立っていた。
三人。
固まる。
「……」
「……」
「……」
田中が森野のカゴを見る。
牛乳。
卵。
ヨーグルト。
パスタ。
トマト。
そして。
相沢を見る。
「こんにちは」
相沢が言う。
「こんにちは」
田中も答える。
森野は完全に固まっている。
「偶然ですね」
相沢が言う。
「偶然ですね」
田中が答える。
沈黙。
田中が聞く。
「二人で買い物?」
森野が即答する。
「偶然です」
相沢を見る。
「偶然会いました」
ぴく。
帽子が少し動いた。
田中が帽子を見る。
「今、帽子動かなかった?」
「動いてません!」
「風?」
「スーパーの中ですけど風です!」
相沢は笑いをこらえる。
田中が二人を見る。
「じゃあ」
「はい」
「偶然会った二人が」
「はい」
「同じカゴ使ってるの?」
森野がカゴを見る。
相沢も見る。
相沢が持っている。
森野が商品を入れている。
完全に二人のカゴだった。
「……」
森野は考える。
「環境保護です」
田中が止まる。
「何?」
「カゴを二つ使うより一つのほうが」
「カゴって使い捨てじゃないよ?」
「そうですね」
森野はうつむいた。
「もう駄目です」
田中が笑う。
「付き合ってるんでしょう?」
「違います」
ぴく。
帽子が動く。
田中がまた見る。
「やっぱり帽子動いてる」
「気のせいです!」
そのとき。
相沢は森野の肩を抱いた。
森野が固まる。
田中も固まる。
相沢が言った。
「付き合ってます」
森野が相沢を見る。
「相沢さん!」
「もう無理だろ」
「でも秘密って」
「田中さんには」
田中が両手で口を押さえる。
「やっぱり!」
声が大きい。
「田中さん!」
森野が慌てる。
「ごめん!」
田中は声を落とす。
「いつから?」
「数日前」
相沢が答える。
「どっちから?」
「それは」
「相沢さんです!」
森野が言った。
「そこ即答するんだ」
「事実です」
田中の目が輝いている。
「会社のみんなに」
「絶対駄目です!」
森野が言う。
「絶対です!」
「分かった」
「本当に?」
「言わない」
「信用しますよ」
「任せて」
田中は笑顔で去っていった。
森野はため息をつく。
「終わりました」
「何が?」
「月曜日には全員知ってます」
「田中さん言わないって」
森野が相沢を見る。
「相沢さん」
「何?」
「百四十三年生きてきた経験から言います」
「はい」
「秘密を知った人間の『誰にも言わない』は」
森野は静かに言った。
「だいたい三日もちません」
翌朝。
月曜日。
午前八時五十六分。
相沢が営業企画部へ入る。
「おはようございます」
「おはよう!」
妙に明るい。
相沢は席へ向かう。
机の上に。
小さな紙袋が置いてある。
何だ?
開ける。
中には。
二つのマグカップ。
ペアだった。
カード。
『祝 相沢&森野』
相沢は田中を見る。
田中は目をそらした。
「田中さん」
「私は一人にしか言ってない!」
「言ったの?」
森野が出社してくる。
「おはようございま――」
全員が拍手した。
森野が止まった。
「……」
部長が言う。
「おめでとう」
森野は田中を見る。
田中が両手を合わせる。
「ごめん!」
森野の帽子はない。
髪の中。
耳が。
猛烈に動いていた。
神崎だけが。
静かにコーヒーを飲みながら。
「三日どころか一日でしたね」
とつぶやいた。
コメント
1件
うわ、めっちゃ良かったです。エルフと人間の「時間の長さの違い」に触れたシーンでぐっと来ました。リリカの「置いていかれます」って台詞、百四十三年分の重みが詰まってて、一気に物語のスケールが変わった感じがしました。でもその後、相沢さんの「普通にしよう」で温かさを取り戻す流れが絶妙。最後の田中さんのバラしと神崎さんの呟きで笑わせてくれるのも、この作品らしくて好きです。