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明智は今まで晴永のことを名前で認知したりはしていなかったはずなのだが、おそらく今、瑠璃香が無意識に呼んだことで知ったんだろう。


「……今のまま小笹さんを無理矢理連れて帰るのも構いませんが……」


(やめとけって言うんだろ?)


眉根を寄せて警戒した晴永に、明智はいつも通りのふんわりした笑顔で続けるのだ。


「お二人とも気持ちが高ぶっているように見えます。このままお店を出られても……その、――」


そこで言いにくそうに言葉を濁す明智を補佐するように、織田おりたが「きっと喧嘩別れして解散ですね」とさらりと告げる。


「ちょっ、織田おりた、言い方!」


すぐさま明智がそんな織田おりたたしなめたのだが、彼はいっこうに気にした様子はない。


「まぁ別に貴方が可愛い部下とどうなろうと、僕の知ったことじゃないですけど……」


そこでスッと立ち上がるなり晴永の耳元に唇を寄せると、

「これでも片想いの辛さは知っているつもりです。明智の言うとおり、少しクールダウンすることをお勧めします」

晴永にだけ聞こえる声音でそう囁いた。


晴永は耳朶をくすぐる吐息に思わず耳をギュッと押さえて織田おりたを見遣ったのだが、彼は用は済んだとばかりに晴永から離れて席へ戻ってしまう。


そんな織田おりたの非礼とは裏腹。丁寧な口調で明智が再度、

「――えっと、悪いことは言いません。落ち着けるものをお出ししますのでもう一杯だけ飲んで行かれては?」

言って、小首を傾げてくる。


(これは……引き止められてるっちゅーより、本気で心配してくれてる……よ、な?)


その空気は嫌ではなかったが、瑠璃香への恋心を知られてしまったのもあって、気恥ずかしくて落ち着かない。


それで、そうした方がいいと分かっていて心裏腹。「いや、やっぱり今日は……」と断ろうとしたのだが、その矢先、瑠璃香がふらりと立ち上がった。


(ん? 素直に帰ってくれる気になったのか?)

と思った晴永だったのだが、そんなはずがない――。


「マスタぁー! 落ち着けるもにょと言ったらやっぱり秘蔵のおちゅまみれすよね? わらし、以前マシュタァが言ってらした熟成じゅくしぇーチージュを燻製にしたやつ、食べてみたいれす!」


前のめりになって瑠璃香が告げたのは、ここぞとばかりのおねだりだった。


(ちょっ、このタイミングで何言い出すんだ小笹!)


晴永が目を白黒させる横で、明智がしたり顔で静かに頷いた。


「了解です、小笹さん。では、熟成チーズのオールド・アムステルダムと天然物の姫クルミ、それから最高級のマカダミアをいぶしたのを出しましょう! きっとウィスキーと合わせると……ちょっとしたご褒美になりますよ?」


「ご褒美……!」


ぱぁあっと瑠璃香の顔が輝いた。


(……あー、これはもう、帰れねぇやつだ)


晴永は、観念した。


明智が奥へ下がり、ほどなくして――燻製の香りがふわりと漂ってきた。


「わぁぁ……いい匂いぃ……!」


瑠璃香が嬉しそうに手を合わせる。

その横顔があまりに幸せそうで、晴永は胸が締め付けられた。


(こんな顔……俺には向けてくれたことないな……)


そんなことを思っていたら、明智あけちがふと晴永に目線を向けてくる。


「……二人分あります。折角なのでちょっと良いウィスキーを開けたくなりますが……」


言って、自分の背後に並んだボトルに視線を向ける明智に、晴永は

「一番お勧めのやつを開けてくれ。キープする」

返事は一拍も迷わなかった。


その迷いのない物言いに、明智が軽く目を見張る。


「よろしいのですか? 俺の一番のお勧めはコレで……結構値が張るんですが」


「問題ない」


そう言った声は、珍しく自信に満ちていた。

ほどなくして現れたのは、琥珀色の液体が美しく輝く高級ウィスキー。


明智が丁寧にグラスへと注ぎ、熟成チーズのオールド・アムステルダムと、ナッツ類の燻製を並べる。


瑠璃香は目をきらきらさせていた。


「えっ……これ……ずっと飲んでみたかったやつれす……! でも高くて手が出せにゃくて……」


七〇〇ミリのボトル一本で、軽く六桁を超えるの値段がするシングルモルトウィスキー。


グラスを両手で包み込み、そっとひと口。


「っ……なにこれ、美味しすぎ……っ!」


うっとりと目を細め、恍惚とした溜め息を落とす。

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